以前、日本のロストジェネレーションの考え方の底流にあるものがスピリチュアル洗脳である旨の記事を書きました。
確かに、私も含めて彼らは若い頃、その数の多さにものを云わせて、社会に反抗的だったと思います。
気に入らないと直ぐに会社を辞めたり、公共の場所ではルールを守らなかったり、年長者の助言を蔑ろにしたりと、他の世代か観たら従順でなく、気に入らない態度を取り続けていたと思います。
その彼らの傍若無人ぶりがピークに達したのが、2003年から2006年頃と感じ、丁度その頃スピリチュアルブームが台頭したと感じます。
ある意味、親の世代である全共闘世代を、大人の力で制圧するがごとく、スピリチュアル洗脳で、各世代一丸となり彼らを制圧したと感じます。
それから彼らは、その洗脳と云う「孫悟空の頭の輪」により行動が大人しくなったと感じます。
この「孫悟空の頭の輪」は、等しく付けられたわけではなく、比較的真面目な人間に付けられたことが、日本らしさを感じます。
しかし、スピリチュアル洗脳の弊害で、本来規制されるべきでないものまで、潔癖症のように自主規制するようになります。
キリスト教ではこれを、異端と云います。
例えば、よい大人が男女間の接触を極度に敬遠したり、経済活動に関して発生する欲望を毛嫌いし、田舎移住や直接的な経済活動から離れるような職を選んだりなどです。
未だにその洗脳の後遺症に苦しむ同世代が多いです。
日本は、多かれ少なかれその文化的な特徴として、外国人から感じたら潔癖症の様に感じる素養はあります。
しかし、各国の国境の垣根が、既にインターネットにより薄くなった今は、そのよう日本固有の潔癖症な文化は、時代に取り残される原因にもなりかねません。
私は世に云う「ロストジェネレーション問題」の根幹は、宗教2世問題であると感じます。
日本の国体は宗教であり、他国の国体が軍隊であることと、根本的に異なります。戦争中も、国家神道を創り国をまとめようとして、実際にまとまりました。
戦後は、日本の精神性を構築したご本尊である「戦後大仏」を、敬い拝むことが今の日本で評価されることとなりました。
どんなに能力が秀でても、素晴らしい容姿を持とうが、「戦後大仏」を敬う気持ちのない人間は、日本から排斥されます。
私は、ロストジェネレーション世代が、その他の世代よりも見劣りする若者であったとは感じていません。
むしろ、当時の世界のIQテストや学力テストなどでも、世界トップを叩き出した、戦後の日本の集大成を体現した世代に感じます。
もちろん、出来ない人間もいましたが、「それは他の世代も同じでしょ!」と云うことが、私の素直な感想です。
しかし、この世代の共通の認識として、「戦後大仏」の存在に対して、違和感や疑問を、強く感じていた世代でもあったと思います。
中には、この大仏は「唯の木偶だ!張り子の虎だ!」と、声高に叫ぶ人間も居ました。
そこが、他の世代から観たら、本尊を汚した絶対に許しがたい彼らの特性に感じます。
要するに、「大仏様を拝まないお前らが、気に入らないんだよ!」と云う、宗教問題が多分に含まれていると思います。
最近になって、若者が簡単に離職する問題の原因が、雇用のミスマッチと云われ出しましたが、そんなことは少し考えれば判ることで、20年近く判らないことの背景には、宗教的なバックボーンを感じざるを得ません。
雇用のミスマッチは、産業構造の変化や求職者と雇用者の需要と供給のミスマッチで、きちんと是正する本質的な施策でもすればいいだけです。
未だに「戦後大仏」にしがみつく日本のあり方自体に、疑問を感じざるを得ません。
さて、そんなこんなで、我々ロストジェネレーション世代もいい歳になりました。
時代の被害者か自業自得かは、議論したところで、建設的な結論を見出だせる状況にないです。
もうここまで来たら、自分の興味のある趣味を「周囲の意見に惑わされず、深める」しか人生を豊かにすることは出来ません。
逆に云えば、趣味を気兼ねなく「周囲の意見を気にしなくてもよい状況」が、皮肉なことに最大の我々へのプレゼントかもしれません。
私は、先ずはそれを行うためにも、今の世の中の安全地帯とも云える、一応の着地点への転職をお勧めします。
我々世代でなくても、我々に賛同する他の世代の方でも、それを拒みません。
混沌とした世の中になりつつある昨今ではありますが、「ノアの方舟」でより多くの方々の夢が保存できればいいなと思います。
もちろん、保存にはメンテナンスも必要です。「ノアの方舟」に甘えずに、各人の努力の継続は不可欠です。
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