何でんかんでん

自分はどうしたいのか自身に問いながらの日記

イチョウ並木と銀杏

2023-10-25 10:18:18 | 日記

イチョウの種子ギンナンは適量だと咳止めになるが多量に摂ると呼吸困難、最悪呼吸不全でいってしまうこともあるそうだ。

有毒物質が有益な活性作用の薬理成分ということだが、 昔から「年の数以上食べるな」と言われているように食べ過ぎてはいけない。

特に小さな子どもは注意が必要である。 

「イチョウ並木の風景」 佐倉城址公園 10/24撮影

夕方、太陽光が横から射して

紅葉前の葉っぱを輝かせて、いい感じです。

葉っぱを拾ってみました

東京の都営地下鉄三田線の車両のマークはこれでないかい?

表と裏

 

上ばっかり見て歩いていると踏んでしまいます。クサイ!

 

季節限定メニュー

銀杏塩して串焼きで食べるの好きなんですよね~

つまみに焼酎呑みながらバカなこと言って、ゲラゲラ笑って...

若かりし頃3回くらい飲み行ったら、歳の数くらい食べてたかも???


旅の終わりに盛岡冷麺

2023-10-24 13:30:55 | 青森旅行

青森旅行最終章

古城のような佇まいの葦毛崎展望台で太平洋を一望した後、帰路に付く。

帰路といっても自宅まで約700キロあるので、まずはカーナビを八戸インター入口に設定し、来た道を八戸市街地へ向けて車を走らせた。高速に乗る前にガソリンを満タンにしておこうと思いエネオスを探す。なぜエネオスかというと エネキー併用でリッター当たり2円?の値引きなわけで30リッター入ると60円、100円のコーヒー代の足しになるというセコイ考えだ。 

こうゆう時に限って、エネオスが中々見つからない、そんなこんなでグズグズしていると雨風が強くなってきて視界が悪くなり、ナビの誘導からも外れ夕暮れの市内を彷徨うことになってしまった。5時10分に展望台をスタートをして高速道路に乗ったのが6時15分、コーヒー代の足しをつくろうとするセコイ考えが無駄な時間とストレスを生む結果となった。

   

◆◆◆

八戸ICよりIN

高速を走ること約1時間、岩手山SAに到着。 

腹が減ったのでフードコートで夕食のメニュー選んでいたが食べたいものが見当たらない。メニュー全部が肉類か麺類だ、肉を食べたい気分ではないし、麺類は小麦がメインなので敬遠した。夕食は次のSAに持ち越すつもりでいた。

 

◆◆◆

再び高速道路を走り出す

盛岡の文字を見て閃いた!

  イメージ

盛岡駅のビル中に、盛岡冷麵が食べられるお店があったことを思い出す。

冷麺の麺はジャガイモが原料なので、小麦グルテン不耐性やリーキーガット症候群(詳しくは文末にて)の心配をしなくて済む。

高速代はドラ割を使っているので、どこで乗り降りしても一定のままということで、

もうそのお店一択だ!

  

◆◆◆

盛岡ICをOUT

ナビに頼らず15分くらい走っただろうか?

👇 駅前に到着!

そして、駅のすぐ近くのコインパーキングに車を停める。

下手すると冷麺代より駐車料金の方が高いかも?と思いながら徒歩で駅に向かった。

時刻は午後8時、久々の盛岡。

といっても仕事で日帰り出張の範囲だった…

 

◆◆◆

目指していたお店とは違うが

すぐに冷麺屋さんを見つけそこお店に入ることにした。

👇 駅ビル B1F

👇1100円

 

メニュー表の写真には、スイカが写っていたが実際にはリンゴであった。

今年最後のスイカと思っていたが残念であった。

当たり前だ、夏は終わっている。

 

◆◆◆

食後のコーヒー

これから長い高速道路の運転ということもあり、コーヒーを買いに

新幹線の改札を出たところにある ドトールコーヒーへ向かった。

なぜかサービスエリアのコーヒーショップはスタバばかりだ。

あいにく私はスタバのコーヒーは飲まないと決めている。

その理由は、

① 遺伝子組換えのコーヒー豆使用でかつ、悪名高き「モンサント社製」だから。 

② そもそもスタバのコーヒーはマズイと思っているから。 

③ 遺伝子組換作物は体に悪いと思っているから。

  

遺伝子組み換え作物は

   食べたくない

   飲みたくない

   吸いたくない

   触れたくない

💉 打ちたくない =mRNAウイルス

というのが私の価値観です

  

※ 遺伝子組み換え作物は、あらゆる食品に使用されていますが、「モンサント社」と密接な企業と聞いただけで、私がその「腐った我良し精神」で作られた商品を買いたくなくなる理由を文末に貼り付けてある動画、内海聡先生が開始3分以内でシンプルに仰っています。⇒よろしければどうぞ。

  

~話を旅行記に戻します~

◆◆◆

ドトールコーヒー 9時前で閉店

仕方ない、確か駅ロータリー脇にもコーヒー屋があるのでそちらへ向かいました。かつて盛岡は、千葉から日帰り出張の範囲で、メガバンクBOTMの東北法人営業部さんへ一企業人としてお金の相談をしに度々訪れたところでもあります。ということでコーヒーショップには詳しいのです。遠方から来るので遅刻して話が流れないように、約束の1時間以上前には盛岡駅に到着するスケジュールを組み、時間までコーヒーブレイクと洒落こんでいました。

面白いもので、マンネリ化したり、考え事したりするとミスを犯すものです。東京駅で乗る新幹線間違えたことがあります。いつもは停車駅が大宮-仙台-盛岡のみの到着が早い新幹線の指定席を利用しているのですが、なぜかその日は、仙台から各駅に止まる新幹線に間違えて乗っていた。仙台駅到着直前のアナウンス「仙台を出ると次は古川に停まります」を聞くまで自分が間違えて乗っていることに気が付きませんでした…  しかし、よく新幹線の座席がダブらなかったと思います。

 

◆◆◆

タリーズコーヒーを買い込む

この手のショップは注文の仕方、特にカップの大きさ指定をいつも迷う。L・M・Sや大・中・小ではなくて、ショート?ミドル?ラージ?何だっけ?未だに言い方がわからない。

 

◆◆◆

午後9時 盛岡駅前P 出発

ナビの案内は無視して、盛岡IC目指して標識通り走る。

ちなみに駐車料金は200円で済んだ。

 

◆◆◆ 

盛岡ICよりIN

そのまま、高速道路を南下、

時刻は0:40、日付が変わり国見SAで仮眠を摂ったつもりが、熟睡してしまい起きたら朝6:00でした

  

各SAに立ち寄り

のんびり高速道路を南下

自宅にたどり着いたのが11:30AM

3泊4日の青森旅行でした。

  


◆◆◆

途中の長者原SAで黒ゴマ入りソフトクリーム

夜中のソフト、なかなか美味かったです。

昨日食べた(不味い)黒ニンニク入りアイスクリームのリベンジのつもりでした。

 


  

◎追伸

 モンサント社について簡単に説明している動画があります

👇 内海聡先生15分動画 冒頭3分にモンサント社について、その後、遺伝子組み換え・ゲノム編集・昆虫食についてです。

 


◎追伸2

リーキーガット症候群=腸もれについての図解です。

小腸穿孔(本当に破れる)を合併症で引き起こし死に損なったことがあります。その経験から腸に優しい食生活を1年続けたところ、花粉症の症状が消えました。 

”収穫後に5種類の薬品が添加されている”輸入小麦を使ったパンやお菓子・揚げ油・ぶどう糖果糖液糖・添加糖・超加工食品・乳製品を なるべく摂らないようにした結果だと思っています。

腸の穴から多くの厄介者が侵入

侵入者たちが血液中にもれて体の各地へ

さまざまな不調や病気を引き起こすことになります

食物アレルギー・免疫低下・動脈硬化・糖尿病・自己免疫疾患・下痢・疲労感・うつ病など

腸もれを起こしている人は意外と多かったりして・・・?

 

書籍:「腸もれ」があなたを壊す/藤田絋一郎/永岡書店 より


 

 

記録

10/6   グリーンヒルオオノ8:25 → 陸中八木駅8:55 → 種差海岸9:40 → 是川縄文館10:50 →

八食センター13:20 → 熊ノ沢温泉15:00/16:10 → 葦毛崎展望台16:40 → 八戸市街地 →給油18:00 →

八戸IC入18:15 → 岩手山SA19:20 → 盛岡IC出 → 盛岡駅(夕食)20:00 → 盛岡IC入21:10

紫波SA21:30 → 前沢SA22:00 → 長者原SA23:00 →

10/7 → 国見SA0:40(睡眠6:00まで)→ 安達太良SA6:50 → 阿武隈高原SA7:30 → 中郷SA8:20 →

友部SA(朝食)9:00 → 下総IC出10:30 → 給油・洗車 → 自宅11:25着

3日走行 1835k 消費84.25L 燃費 21.8/L

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


葦毛崎展望台 (八戸)

2023-10-23 12:30:00 | 青森旅行

古城のような佇まいの葦毛崎展望台

太平洋をぐるりと見渡すことができます。

種差海岸随一 地球が丸く見える?眺望スポットです。

👆 八戸市街地から車で30分

   

スーパー銭湯でひとっ風呂浴びた後、夕日を求めてやってきた葦毛崎展望台(あしげさきてんぼうだい)が八戸観光の最終地となりました。展望台Pには車が4台のみ 八戸ナンバーの普通車、札幌ナンバーの軽ワゴン車、何と佐世保ナンバーの軽自動車、そして千葉ナンバーの普通車。観光スポットとしては寂しさを感じました。 

もっと見晴らしがよさそうな「鮫角灯台」にも寄りましたが閉館中でした。

 

👇 最初は晴れていましたが段々と雲が…

👇 展望台に上がってみました(風が強い)

👇 大須賀海岸エリア

👇 少し離れたところの展望デッキから

👇 この部分のみ光が射すが天使の梯子(エンジェルラダー)まではいかず

👇 薄っすらと虹が出ています(見えるかな?)

 空が急速に雲に覆われてきたため夕日は観れませんでした。日の入り時刻になったので帰路に着くことにした。

次は ⇒ 八戸インター入口へ

 


記録

10/6   グリーンヒルオオノ8:25 → 陸中八木駅8:55 → 種差海岸9:40 → 是川縄文館10:50 →

八食センター13:20 → 熊ノ沢温泉15:00/16:10 → 葦毛崎展望台16:40 → 八戸市街地 →給油18:00 →

八戸IC入18:15 → 岩手山SA19:20 → 盛岡IC出 → 盛岡駅(夕食)20:00 → 盛岡IC入21:10

紫波SA21:30 → 前沢SA22:00 → 長者原SA23:00 →

10/7 → 国見SA0:40(睡眠6:00まで)→ 安達太良SA6:50 → 阿武隈高原SA7:30 → 中郷SA8:20 →

友部SA(朝食)9:00 → 下総IC出10:30 → 給油・洗車 → 自宅11:25着

3日走行 1835k 消費84.25L 燃費 21.8/L


是川縄文館 / 縄文人は文明人

2023-10-21 14:14:55 | 古代・遺跡

是川縄文ムラは、本州北部の太平洋に面する八戸。平野から丘陵への変化点、新井田川が北流する小盆地に是川地区は立地しています。ここから南へと連なる丘陵には、豊かな山林が広がり、新井田川につながる沢が豊富に流れ、川を下れば豊かな海が広がっています。

縄文時代のころから、こうした環境が広がっていたとみられ、狩猟・漁労・採集によって生きる縄文人にとって、山・川・海の資源が豊富な、またとない好立地でした。

縄文時代草創期にはヒトが活動していたとみられ、前期後半にはムラがつくられています。それ以降、場所を変えるなどしながら、各時期にわたってムラがつくられました。

(是川遺跡パンフレット抜粋)


遺跡は、一王寺、堀田、中居の3つからなっていて、縄文晩期の中居遺跡では、居住域・墓・捨て場、配石など発掘されており、低湿地の捨て場からは、精巧な土器・土偶・木製品や漆製品が多数発見され多様な生業が行われていたことが伺えます。

  

     ~ 是川縄文館 ~

ガイドさん説明付で見学

中居ムラの縄文人は、現代に通じる漆の利用と知識をもっていた。縄文前期~中期ころには利用がはじまり、晩期の熟成した漆文化へ繋がったと考えられている。

「漆は北海道で古くから使われていた」

「発掘された場所が低湿地で常に湿った条件におかれていたことで、このような綺麗な色を保つことができた」

👇 木胎漆器(鉢)~縄文晩期~

👇 漆塗り壺形土器

👇 盤胎漆器(鉢)

綺麗に色が残っていることに感動しました。当時とかわらぬ状態に驚きです。

 


縄文の漆

👇 赤と黒

精製した漆に木炭を混ぜる⇒黒色漆、赤色顔料を混ぜる⇒赤色漆

3回~5回の重ね塗りをして仕上げている

👇 漆塗り櫛 左2つは複製 右は本物

👇 玉類 縄文後期 (翡翠だったと思います)

この他にもイヤリングなどの装飾品あり

縄文人はお洒落だった。

デザインや色の組み合わせ方など 美的感覚に優れていたのでしょう。見てみたいです!

女性の装飾品や 髪型なども独特なものがあったのだろうな。

原始的な生活をしている野蛮な感じや”みすぼらしさ”などは全くなかったと思います。

    


縄文の美

👇 深壺型土器 

👇 注口土器

👇 単孔壺型土器 

     よく見ると👆穴が開いている「何に使ったのでしょう?」

木片の栓があったとか?何だろう???

  


  縄文の食

👇 石槍(せきそう)

ヤリの頭の部分、この他にも釣り針、石斧柄など展示あり

ムラの周りには食料や木材となるクリ・トチ・オニグルミ、漆などの林が広がる「里地」が広がっていました。すぐそばには、「里川」の新井田川が流れ、秋になって上ってくるサケやマスをとり食料や衣料としていた。また、銛や釣り針なども見つかったことから海に出て漁をしていたことがわかります。

植物を編んで衣料にしたり、木を編んで船にしたり、釣りをしたり、貝を獲ったり、三内丸山遺跡と合わせて考えると、食事は木の実・植物・魚介類。獣肉あまり食べていなかった。一王寺遺跡に貝塚があることから貝をよく食べていたことが分かります。貝汁と季節の野草などを合わせていたのかな? 縄文人はグルメだったのでしょう。衣食住の在り方が非常に優れていたようです。

 

一王寺遺跡の貝塚

早期の縄文海進で八戸地域に形成された内湾は、前期半ばの十和田火山噴火と、その後の火山灰泥流により埋め立てられた。貝塚の上の中期の土層では、貝がみられなくなり、動物の骨がたくさん含まれていた。中期には山の資源を中心にした暮らしに変わっていたようです。

中期には食料を得るために、しかたなくシカやイノシシを狩猟していたのでしょう。大型動物の狩猟は危険と隣り合わせです。熊もいただろうな。

 


使用用途が分からない3点

👇 ミニチュア土器

かなり精巧につくられています。

絵具や染料を入れていた? 子どもの教育玩具か?

 

👇 土製品 イモガイの断面を写実的に表現したようなもの

中心に穴が開いている

 

👇 左、渦巻模様 右、精巧で美しい模様

右回りの4つの楕円で描かれている 

「何に使われたのでしょう?」

左の渦巻模様の土器は、装飾品ではなさそうだ!

 

楕円の渦巻はなにを表すかというと

 ・宇宙の広がり 星⇒銀河⇒大銀河

縄文人の宇宙観

 ・内から外へ広がるエネルギー、無限進化の仕組みを表している、

       宇宙に属するものは内から外へ渦状に変化する。

 ・渦の中心(それまでのものを大事に=自愛) /  渦の一番先っぽ(他愛にしていく)

宇宙は生命体と同じで細胞分割している 0 ⇒ 2 ⇒ 4 ⇒ 8 現在8つの宇宙体があると云われている(石が二つあったとか?)

ということは何?

何かの教材か?治療や癒しの道具か?わかりません!

 


土偶

モデルさんがいたかのような具体的な描写をしています。

👇土偶 一番人気

 お腹の点々は妊娠線を表すそうです

👇 こんな顔した人がいた? どっかの星の人?

👇 手が長い人

 


合掌土偶(風張1遺跡出土)

平成21年 国宝に指定

縄文時代後期後半(約3600年前)

高さ19.8cm 幅14.2cm 重さ1050g

 

👇 出土時の写真    特徴

👇正面と後ろ姿

肩幅が広く見えますが、後ろ姿は女性っぽいです。

妊娠線からしてモデルは女性です。

👇横からの姿

両足付け根と膝、腕の部分が割れており、アスファルトが認められた。

当時の人が修復して大事に使っていたようです。

頭部などに赤く塗られた痕跡があり、全身が赤く彩色されていたと考えられます。

さて、「何に使われていたのでしょう?」

 

私の想像です

縄文時代は自然崇拝が主であったことから、命を育んでいる存在を神というならば、この祈りのポーズは、母なる地球(地の大神)に向けて「感謝の念を手向けているところ」だと思いました。

  

もう一つは、

女性/シャーマンとの見方をするならば、何か帝王学的な教えを宇宙から受けている場面ではないかと思いました。 

東北の地の古の教えというのが これなのどうかは分かりませんが、「国の目的は整えて平和にすること」「上に立つ者は世のため人のために尽くすこと」という国家理念ともいえる思想、「トの教え」というのがあります。 ざっくり簡単に書いてます ⇒  縄文思想「トの教え」=他星人教?

   

何れにせよ、

偶像を崇拝するとゆう発想はなかったと思いますので、お守り的(意識を高めるための目当て)な芸術作品として大切に飾っておいたのかも知れません。

しかし、ただの芸術作品ではないことは確かです。(理由は後ほど)

(あくまでも私の今の考えです)

  


◆ 縄文人は立派な文明人

衣食住の在り方からみても縄文人の知恵は古くからあり、非常に優れた文化を持ち合わせた 立派な文明人であったと思います。

◆ 思うこと

私たちが暮らさせて頂いている足元の地面、地球、そこから溢れんばかりの恵みを頂いている。しかし、その母なる地球に対して感謝することを忘れてしまっている。

その発想が抜けてしまっているが故に破壊・汚染・略奪…を繰り返す。全ての根源はここにあるのではないかと思うのです。

喜びをくれる存在、自分の命を育んでくれる存在を仮に神というのであれば、地面そのものが自分にとっての神として、心から感謝を伝える生き方をした方が、心も身体も豊に暮らせるのではないのかと、縄文人が笑顔で語りかけて来たような?そんな気がしました(笑)  

縄文人のように、あ~ ありがたいな~って思って暮らせらるって いいですよね。縄文思想でハイテクノロジー生活に憧れます。

そこに一歩一歩近づいていきたいですね

  


  泉山氏による発掘

是川遺跡は、大正~昭和のはじめにかけて、八戸市の泉山岩次郎・斐次郎兄弟によって発掘が行われ、出土した遺物の素晴らしさから全国的に注目を集めるようになりました。泉山両氏はこれらの遺物を大切に守るだげではなく、写真を撮って絵葉書を作成し、文化財保護の普及啓発を行いました。現在、地元で是川遺跡出土品をみることができるのは、ふたりの功績によるものです。(パンフレットより)

遺物は、個人が所有する沼地から出土したもので、日本政府から没収されないように 時期が来るまで蔵に隠しておいた。私財を投じて 漆器など縄文そのままの状態で保存されていたと思われます。

なお、発掘にストップが掛かるほどに、古い遺物が掘れば掘るほど出てくるようで、歴史が変わるのを〇〇が恐れているものと思われます。

 


◆◆◆

話は合掌土偶に戻りますが、実物はかなり精巧につくられています。 

復元された実寸のレプリカを手に触れることができます。

実物の写真では、座った状態なので見えませんが、驚くことに肛門まで再現されていました。縄文人の思想と合わせて考えると、ただの芸術作品ではなさそうです。

    

※ 縄文人思想

万物には靈が宿る(霊魂) 

アニミズム = 自然信仰

神 + + 物 = 三位一体

  ⇩

という字体の変化が昔と今を物語っています。

※旧字体

靈  

① 神=の神

「雲から雨がしたたり落ちる」象形

② 間を取り継ぐ=口口口

「神を祭る区切りの中で人が両手で祭具を捧げる」象徴

     祝詞を奏上し雨乞いをする巫女を意味する

     巫女の口から出る言葉と 異次元存在からもたされる言葉とが 交わされている様

③ 巫女(シャーマン)= 人人

「神を祭る区切りの中で人が両手で祭具を捧げる」象徴 ➪ 雨乞いをする巫女

  ⇩

※ 新字体

霊 ← 間を取り継ぐ口が一で消され異次元と現次元が遮断されています。

「靈、そんなものはありません」とした。

「そんなことを言う人は頭がおかしい人なんです。可哀そうな者たちと思って 話を優しく聞いてあげなさい」って

それ以上のことを考えられなくさせられた…

   

こんなところにまで細工されています。

考えすぎでしょうか?

     


◆◆◆

今回の青森旅行で3つの遺跡に行ってきました。

最後はポジティブに終わりたいのでイキりの一言で失礼します。

まもなく真実が表に顕れる時代がやってくる。

真実を理解致し意識革命がおこれば虚偽が払拭され、この世の中を狂わせていた悪(偽善者)は消える。

夜明けは近い⁉

 

なお、抗う者が追い込まれ 抗う場面(残虐非道な事件)を見させられていますが、ネガティブなエネルギーに飲み込まれないように、世の中良くなってきていると考えるようにしております。 気持ちだけでもポジティブに保ちたいですから。

  


お土産   (八食センターに売っていました)

👇 これ美味いです

 


次の目的地 ⇒ 八食センターで寿司を食べる


記録 

青森旅行の計画

①大平山元遺跡(外ヶ浜)10/4

②三内丸山遺跡(青森市)10/4

③是川縄文館(八戸市)10/6

 

 

 

 

 

 

 

 


三内丸山遺跡 / 縄文人の衣食住

2023-10-20 14:25:14 | 古代・遺跡

三内丸山遺跡は、

縄文時代前期~中期(紀元前約3900~2200年)のものとされています。

👇 人気土偶の形(大型板状土偶)

今から、5900~4200年前の大規模な集落跡が見つかり沢山の竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器・石器・木製品・骨角製品が出土した場所です。

紀元前3000年頃になると、三内丸山など規模が大きく、長期間継続し、地域の拠点となる集落が登場。

集落には、多様な施設が配置され、祭祀・儀礼の空間も発達した。中でも、盛土には土砂とともに、大量の土器や石器が廃棄され土偶などのまつりの道具も多く出土することから、世代を超えて祭祀・儀礼が行われていたと考えられている。

(縄文遺跡群パンフレットより抜粋)

👇 玄関

 


三内丸山遺跡には、

・屋内 展示「縄文時遊館」

・屋外 復元「縄文のムラ」

 があります。

  

👇 定期ガイド

大平山元遺跡から青森市内へ車で約1時間、何とか15:00に間に合いました。

   

      ~ 縄文時代の「ムラ」を体験 ~


南盛土

盛土は堅穴建物や穴などを掘ったときの土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器などが同じ場所に長期間継続して棄てられ、小山のように盛り上がっている。現在、北・南・西の三か所が確認されていて北盛土や南盛土では土偶が特に多く見つかっている。

大量の土器や石器、土偶やヒスイ製の玉などが土と一緒にすてられ、約1000年間で丘のようになった。

使わせて頂いた物は自然界に戻すというシステム。 

縄文人は、自然界すべての物の中に靈魂が宿っているという考え。

 


竪穴建物(たてあな)

竪穴建物は地面を掘って床を作り、柱を立て、屋根をかけています。紀元前約3000年の竪穴建物を復元し、屋根は発掘調査の結果や民族例を参考に、茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類で復元。 時代によって、平面型、柱の配置、炉の位置や構造に違いが見られる。

👇 土葺き? 樹皮葺き

👇 内装 (5人ぐらいは入れる?)

家族で寄り添って暮らしていた。(屋内展示と合わせて考察すると) 生きる上での教育がちゃんと子供達になされていたのだろう。

それぞれが出来ること相応の仕事を分担して作業していた、今と違って明るく楽しみながら働いていたはずだ。

 


縄文人の食事は基本植物

野山で採取した木の実、海や川でとった魚・貝等です。ここ三内丸山では、動物の骨ではムササビやノウサギなどの(集合意識が強い)小動物が多いようです。肉を食べるというより毛皮として利用していたようです。

食べ物は必要に応じて必要なだけ取ってきて、みんなで料理して、季節に応じた食材を理解していた。衣食住すべて自然のものを活用できていた文化であったことが想像できる。平和的で生き生きとした光景が脳裏に映る。きっと料理を楽しんでいたのだろうな~ 

出土した動物の骨からみると、食べるための家畜はいなかったことになります。

三内丸山人は、靈意識が強かった? 生きとし生ける者、特に動物は自分達の仲間との考え。シカやイノシシなどの大型で単体意識が強い動物は、霊的な゙ことと合わせて、危険を伴うこともあり殺さないようにしていたのではないかな

 


掘立柱建物

地面の穴を掘り、柱を立てた建物跡があり、遺跡中央部分でまとまって見つかった。高床式の建物として復元。

👇 内部が覗けます(今は蜂がいないので大丈夫)

季節や周期を調べて季節の食べ物を採取するとともに、食品などの保管をしていたのかな?自ら進んでみんなのために働いているといった価値観だろう。 

 


大型竪穴建物

さて、誰が住んでいたのでしょうか? 何に利用されていたのでしょうか?

柱の表面を焦がすことで長持ちすることを縄文人は知っていた

ググってみたら・・・ムラの人口は最高で500人を超える程度だったと考えられています。 

このスペースに何人入るか実験をしたことがあるそうで、その時〇〇〇人(忘れた!)収容、ムラの人がほぼ収まる程の広さということが分かったそうです。

  

集会場?今風に言うと、定期〇〇総会とかやっていたのかな?

大都市なので、王という存在がいて、政を行なっていた?

真の王は字そのままの形で、神・靈・人、三界を繋ぐ人。政は神・靈、共にでなければ真の政は出来ないとされていた。人の科学など小さいということだ。

後述の大型掘立柱建物でシャーマニックな゙儀式を行い天啓を預り、ここの集会所?に皆を集め諮問会議でもやったのだろう。

時代が進み いつの間にか "繋ぐ" という部分を ”誰かに抜き取られて”  方向を誤り現在のこのザマになってしまった?  多分だけど、自分は弥生時代ぐらいから怪しくなったのではないかな と思うのだが…   それと、シャーマンという職業はかつて正式に認められていましたが、確か明治時代頃に外された経緯があるということを、付け加えておきます。

  


大人の墓

地面に掘られた墓に埋葬されました。墓は幅広い道路をはさんで向かい合うように配置され、約500基見つかっている。 道路は海方面に伸びており、墓の周りには何も建造物はなかった。計画的な街づくりをしていた事が伺える。

子どもの墓

埋設土器といい、子供は土器に入れて埋葬されました。穴を開けたり底を抜いた土器の中に握りこぶし大の丸い石が1~2個入れてあるものもある。これまで800基以上見つかっている。 なお、子供の墓は大人とは違い家の周りで埋葬されていた。

この頃の寿命は30歳代だったそうで、幼くして亡くなる人も多かったようです

縄文人は、靈人たちと伴に生きているという考え方。生きてる人に魔が入らないように、亡くなったら近親靈として付いている世であった 。異次元世界のサポート体制が充実しており、今のように容易に操られることはなかったのだろう。

  


大型掘立柱建物

直径1メートルくらいの栗の木です。

ロシアからシベリア鉄道で運んできたそうです!

柱が6本立っていたことは分かっていますが、どのような構造の建築物だったのかは分かっていません。

各々で想像してみてください。

  

👇私の想像は複数の用途がある。です

巫女を中心としたシャーマン集団が、太陽や月、地球(山川海火岩風雨・・・)を神として祭りごとをしていた場所。

空に伸びる柱は、自分達(魂)の先祖である宇宙銀河、星々と繋がっている。

 

目印?

宇宙から自分たちを視る人たちのへの目印?カーナビでいうポイントみたいなもの?

 

それと、

星を見て時期を調べたり、太陽の位置を刻んだり・・・

儀式的なことをしたり・・・

日巫女(ひみこ)= 太陽神を仕えた巫女たちの総称、長のような人がいたんだろうな~

  

今日は晴れでよかった! 

(昨日と翌日は雨でした)

 

👇 建物跡 保存されています

常にポンプで水位を調整している。

地下水が豊富なところで人が暮らすには最適な場所であった。

👇 直径1メートルの柱が良く見えるように水抜きしている。

👇 展示室「縄文時遊館」

石の斧で加工した痕跡がある

 

👇大型板状土偶

 

👇円筒上層式土器

👇食事の調理法は、焼くより「煮る」のが多かったようです。

👇 地下にも物凄い数の出土品があります。

目立たない場所にあるので、殆んど人が来ません

未開封の段ボールが(確か)万単位であると仰っていました。

縄文ビッグウオール(土器の破片5120個が使われている)

👇 まもなく閉館

なかなか見ごたえのあるところでした。

縄文時遊館はUの字の洒落た作りになっています。

あおもり北彩館(土産品)、れすとらん五千年の星(縄文食材の料理店)が隣接されています。

昨晩より、朝おにぎり1個しか食べてなかったもんで、急にお腹が空いてきました。

しかし、閉館間際でしたのでいずれも営業を終了していました。

(腹がへった)

  


記録 

青森旅行の計画

①大平山元遺跡(外ヶ浜)10/4

②三内丸山遺跡(青森市)10/4

③是川縄文館(八戸市)10/6

初日10/4で①②達成。