トーキング・マイノリティ

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もしもイエスが生まれなかったならば その二

2013-04-23 21:10:18 | 歴史諸随想

その一の続き
また、日本が第二次世界大戦に負けなければ、日本は未だに天皇を神としていた国でいたことでしょう。あの敗戦で、天皇は人間宣言をしたのですから。原爆を落とされたのは、世界で唯一の被爆国として核兵器廃絶を強く訴えることが出来る国になったと思います。それでなければ、核兵器廃絶への意識を日本は今ほど持たなかったような気がします。
原爆を落としたアメリカとも仲良くなったのですから、もう核兵器を使わなければ、今はいいのではないでしょうか。そして、戦時中は迫害されていたキリスト教が、敗戦でまたキリスト教を認めてもらえるようになりました。

このような歴史の一コマ一コマに神様のご支配があると思っています。因みに真珠湾攻撃の日12月8日はカトリックでは、無原罪の聖マリア、終戦記念日の8月15日は聖母マリアの被昇天の日で、マリアさまに関係あるのも面白いです。ザビエルが日本に着いた日も8月15日なんです。日本の守護聖人としてマリア様がなっていたと思います。

それから、イエス・キリストが生まれたのは、世の中(社会)を平和にするためではなく、平和でない時でも、苦しみの人生にある時でも、イエス・キリストを信じる者の心が平安であるようになるためであったと思います。罪(罪に苦しむ人)の赦しも含めて。
自殺したユダは、ローマに支配されていたユダヤをイエスが救ってくれると思っていたふしがあり、(他の民もですが)イエスがそのような行動に出なかったことに失望し、イエスを売ったのではないかということも聞きました

あと冬至祭にクリスマスを祝うようになったのは、冬至は一番陽が短い時で、それを境に陽が伸びてきます。イエス・キリストの誕生も暗かった時代から光が出てきたことを象徴して祝うようにしたと、今日牧師から聞きました。その辺は、当時の人は伝道した(支配かも?)土地の祭りを上手に取り入れて、キリスト教の祭りに変えていったと思います。

イエスの誕生年はBC3~5年くらいと言われていますが、正確な生まれ年は問題ではなく、救い主として実際に生まれたことが重要だと思っています。西暦の数え方は、後に出来たものですから多少の誤差は仕方ないのではないかと思います。2000年も前の出来事です。自分に起こったことですら、数十年も前のことは、いつ起こったか定かではないことが多いです。

長々とお邪魔しました。夜遅くまで私も暇人ですね。でも神様の話は好きです


 以上がElleによる2013-01-28(月)付コメントの全文。書込み時間は01:55、自称通り暇人なのだろう。この他にもElleなる者は長文コメントを繰り返しており、管理人からまもなく書込み禁止とされた。Elleに限らないが、これまで私がネットで見かけたキリスト教徒及び信者らしき者には何故か暇人が多かった。ツッコミどころ満載のコメントだが、とりあえず№6について書く。

「フランシスコ・ザビエルは日本に来なかったでしょう。そして、茶道の濃茶の作法もできなかったでしょう。利休はカトリックのミサをヒントに濃茶の飲み方の回し飲みを考えたと言われています。この二つの作法はよく似ています」と書いたElleだが、出鱈目もいい所。wikiの抹茶(濃茶)の解説には、「抹茶法が伝わったのは鎌倉時代とされる」とある。詳しくは「茶道の歴史」に紹介されており、既に室町時代から喫茶が一般に普及していたのだ!欧州の一般庶民が茶を飲むようになったのは、ようやく近代になってからではないか。ザビエルと茶道を結び付けるのはこじ付けを通り越し、でっち上げなのだ。

 Elleの虚言なのか、牧師の入れ知恵によるものか不明だが、クリスチャンは書込みにさりげなくを挿入する例を私も何度か見ている。クリスチャンについて、「彼らは、日本国籍を有しながら、日本人という自覚が全くない白人の奴隷です」と述べたコメンターさんもおり、Elleの書込みだけでそれが十分に証明されている。皇紀を否定、消滅させたがっているのはいかにも耶蘇らしいが、ちょんまげまで恥じており、日本の伝統文化全てを否定しているのがあからさまである。コメンターさんは“白人の奴隷”と表現したが、私には単なる白人のサルにしか思えない。本人は“国際人”気取りだろうけど。
その三に続く

◆関連記事:「キリスト教の本質

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