歴史にイフは禁句とされるが、もしもイエスが誕生しなかったならば?という想像はキリスト教徒のファンタジーを大いに掻き立てるらしい。実は近代以降、イエスの実在性さえ疑われているのだが、殆どのクリスチャンには受け入れがたい説だろう。ブログ『ここがヘンだよキリスト教』にはイエスが誕生しなかったならば、その後の世界は大いに違っていたというコメントがあった。
「それで、「救世主」イエスが生まれてこの世の何がどう変わりました?イスラエルとその周辺の国との民族紛争は、旧約聖書時代から何も変わっていないようですが?」と問う管理人。それに対するElleなる者のコメントは教条的クリスチャンの見本そのものだったため、全文紹介したい。長文なので2回に分けて引用する。
―イエス・キリストが生まれて変わったことは、っていることを書けば、
1.西暦が出来て、BCとADに人間の歴史が分かれるようになったこと。西暦が無ければ日本は皇紀(神武天皇の即位日を基準にしている)を今でも使っていることでしょう。1873年(明治6年)に廃止されるまで、この皇紀が使われていたそうです。また元号も使われてますね。因みに2013年は皇紀2673年だそうです。1940年には皇紀2600年記念行事があったそうです。戦時中でした。
2.カトリック、プロテスタント、正教会、といろいろありますが、カトリックの腐敗が原因でルターの宗教改革が起こりました。私はプロテスタントの礼拝のほうが好きなので、カトリックの腐敗も有難く感じます。キリストが生まれなかれば、アウグスティヌス、ルター、カルヴァンの人生はなんだったのでしょう。
3.西洋音楽の「ドレミファ…」が出来た。グレゴリオ聖歌が今の音楽の元になっています。このドレミファ音階が入ってこなければ、日本はずっと雅楽、琴、三味線の世界だと思います。今歌っているポップスも出来ていないわけです。それに、バッハもモーツァルトも日本人が好きなベートーベンの「第九」も無いわけです。
4.キリスト教美術が多くできました。ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、私が好きなフラ・アンジェリコ、エル・グレコその他、これらの人達の絵画も無かったことでしょう。
5.今のヨーロッパ世界は無く、アメリカ合衆国も出来ていなかったでしょう。ヨーロッパの町は、まず町を作る時に、一番初めに教会を造り、教会を中心に町を作ると聞いたことがあります。ヨーロッパのことを知るにはキリスト教が分からないと理解できない、とよく聞きます。バチカン市国も無いですね。また信仰の自由を求めてイギリスからピューリタンがアメリカ大陸に渡りました。
6.フランシスコ・ザビエルは日本に来なかったでしょう。そして、茶道の濃茶の作法もできなかったでしょう。利休はカトリックのミサをヒントに濃茶の飲み方の回し飲みを考えたと言われています。この二つの作法はよく似ています。利休の弟子にはキリシタン大名が多くいました。
7.キリストの弟子たちの殉教、日本のキリシタン、二十六聖人を初め、多くの殉教者、内村鑑三の不敬罪など、キリストのために苦しんだ人々もでなかったでしょう。
キリストが生まれなかったら、今の世は全く違ったものになっていたと思います。150年前までチョンマゲを結っていた日本は今でも、チョンマゲを結っているかもしれません。あと中国の景教はできていなかったでしょう。
それから、私は戦争を絶対に悪いものであるとも考えていません。旧約の時代、モーセが神の杖を持ち、アマレクとの戦いに臨んだ時、モーセが両手を上げていると、イスラエルは優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になっていました。その時に、モーセの両側にアロンとフルが立ち、モーセの手を支えていたという話があります。(出エジプト17:8-15)
その二に続く
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そして、大航海時代や宗教改革、産業革命、名誉革命、フランス革命などに相当する出来事がイスラム教国となったヨーロッパ諸国で起こるのではないでしょうか。
キリスト教と無関係な日本が西欧と似た歴史を歩んだことから、西洋の歴史の中でキリスト教をあまり特別視しなくてもいいのでは思います。(クリスチャンには受け入れがたいのでしょうが。)
もしもキリスト教が生まれなかったら、イスラム教も生まれなかった可能性があります。ムハンマドの最初の妻の親族にクリスチャンがおり、その人物から聖書のことを聞いていたと見る研究者もいます。
イエスの時代、ユダヤでは彼と同じく“世直し”を訴える自称預言者は珍しくなかったそうです。彼らは全て忘れ去られましたが、キリスト教を国教化する前のローマではミトラ教が盛んでした。イエスが生まれなかったならば、ミトラ教が世界宗教になったのかもしれません。或いはマニ教が欧州を征服したかもしれないと言う人もいます。
棄教した方からもコメントがありましたが、日本人であってもクリスチャンは反日で、日本の伝統否定に血道をあげる者も少なくないとか。その二にも続きを書きますが、Elleの書込みは実に香ばしい。キリスト教を特別視するのが生きがいなのです。
何でも教会が喜怒哀楽の表情を描くのを禁止していたとか。
キリスト教が無ければそれ以前から表情豊かな人物画が描かれたと思います。
西洋美術史では、ローマ帝国末期は芸術衰退期とされています。原因はキリスト教の普及です。非常に観念的なキリスト教の精神世界が、現世的で人間的なものに価値を置く古典古代の精神世界と入れ替わったからです。
実在した英雄に至高の価値を見いだし表現するか、見えない神という観念的な存在にそれを求めるかによって当然芸術は変容します。前者では写実性の中に崇高さを求めますし、後者は「意味」が重要ですから記号的になったり装飾的な傾向が強くなります。
ローマ分裂後はキリスト教の世界が主流になります。それが中世の始まりであり、古代ローマとは全く異質のビザンチン芸術のスタートとなります。コンスタンティヌスの頃はまだローマの伝統が残っていますが、中世に向かって古典古代の社会が崩壊しつつあるとも言え、移行期の皇帝の彫像にも変化が出てきているように感じます。写生はするけど、その中に人間の尊厳を表現するモチベーションがもはや前ほど感じられないというか・・・。
この時期のに比べると、最盛期のカエサルやアウグストゥスの彫刻は、非常に古典的な芸術性が高いです。
Alexさんが詳しいコメントをされていますが、中世欧州の人物画は無表情だけでなく、表現も稚拙で色彩も乏しいですよね。むしろ古代ローマの壁画やモザイク画の方が色彩が鮮やかで芸術性が高い。ルネサンス以前は芸術面でも暗黒時代で、技法が後退したとしか見えません。
詳しい解説を有難うございます。仰る通り、古代と中世の欧州の美術では質だけでなくテーマも違っていますよね。芸術水準の点から見れば、古代の方が遥かに高い。対照的に中世のものはパターン化されており、表現技法も後退しています。ルネサンス以降、古代ローマの彫刻が見直されたのも、芸術水準の高さがようやく理解できるようになったのです。古代の彫刻はキリスト教普及で、かなり破壊されましたから。
笑えるのはElleなる者が挙げているキリスト教美術って、全てルネサンスのものですよ。キリスト教の締め付けが緩んだため、あのような作品が生まれたという史実を無視したいのがクリスチャンなのでしょうね。
あと、西洋音楽のルーツもキリスト教と同じく中東です。この話はその四で書くつもりです。
まるで部下に責任を押し付けて功績を横取りする上司のようですね。
部下の功績を横取りする上司なら、せいぜい一職場の問題で済みますが、キリスト教徒の場合はワールドプロブレムに発展するから困ります。
以前の記事でも書きましたが、タージ・マハルを「退廃的な建物」として解体を提案した英国人総督がいたそうです。幸いなことにこれは実行されませんでしたが、今度は一転してこの壮麗な建物の設計者は何と欧州人説を唱えるようになりました。何でも自分たちが発祥と主張したがるようで。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/12fc52aa913bc40a9a709d49aaab822d
全然説得力が無いですね。
自分の先祖が作ったものが分からんのかと。
そういえばお隣の国の人も似たようなことを言ってましたね。
キリスト教も布教されてるし、まさに類は友を呼ぶ。
日本人で良かったとつくづく思います。
キリスト教が広まるにつれ、各地で異教の神殿や神像が破壊されましたね。有名なアレキサンドリアの図書館もその憂き目に遭いました。異教の痕跡の抹消に血眼になったのです。キリスト教に限らず他宗教も同じ行為をしていますが、スケールの大きさでは耶蘇がダントツ。クリスチャンはよくイスラムの文化財破壊を非難しますが、よく自分たちのことを棚にあげて言えるなーー、と思いますよ。
隣国では国民の三分の一ちかくがクリスチャンだそうです。孔子や漢字、ヨガも自国がルーツと言っているとか。やはり類は友を呼びます。