先月8月30日(金)に放送された民放BS『地球大紀行/エジプト大発掘 神になった動物たち』はなかなか面白かった。番組HPでは内容をこう紹介している。
―2017年2月、先史時代の沢山の動物の骨が古代エジプトの遺跡で発見されました。科学的な分析をすると、これらの骨はジャッカルやハヤブサ、クロコダイルなど多様な動物が長期間にわたって飼育されていたことを示唆していました。発掘を進めるとナイル川のワニやカバ、南部アフリカの象にヒヒ、サハラ砂漠のダチョウやキツネなど、多様な種が広大な地域から連れてこられたということが分かってきました。
さらに調べると、これは単なる動物園のようなものではなく、動物たちが信仰の対象として集められて来たものだということが見えてきました。しかし、これらはファラオが権勢を誇示した時代よりも、さらに約5世紀も前にさかのぼる時代のことです。 この時代に何があったのでしょうか? (後略)
番組の進行役は女性考古学者のレオ・フリードマン氏。上記だけを見ればさすが古代エジプト、ファラオがエジプトを統一する前から既に動物園があったのか、と思うだろう。遠方から集められた多くの動物には穀物の餌を与えられ、庶民に公開されることもあったというから 驚く。
しかし、集められた動物たちは施設に収容され、見せ物にされるだけではなかった。大量の動物が生贄とされ、殺されている。殊に神殿付きの動物園では供儀(くぎ)が盛んに行われ、動物は愛玩や信仰対象よりも対象だった。但し遺跡からは子供や女性の遺骨も多く出土しており、古代エジプトでも人身御供は行われていたようだ。
動物愛護を金科玉条とする現代人からすれば、夥しい動物を供儀にすることは虐待以外の何者でもなく、意味のないとしか思えない。しかし古代の人々は娯楽で動物たちを大量していたのではなく、供儀は神聖な行為だったのだ。
古代エジプトで動物を生贄にしたのは、王の力によって荒ぶる自然を治めるのが目的だったとフリードマン氏は考えている。カバが飼育された後に生贄とされたのは正にそのためで、カバやワニは川に住む恐るべき生き物だった。それらを生贄にすることで荒ぶる自然を制したと思われていたらしい。
日本ではカバは動物園の光景から愛嬌があり穏やかな生き物のイメージが強いが、野生のカバは実に獰猛で人間を容赦なく攻撃する。アフリカでは野生動物からの攻撃による人間の死者数はカバによるものが最も多いと言われ、1年あたり約500人がカバに襲われて死亡していることがwikiに見える。
供儀でされた野生動物の肉は庶民にも振る舞われている。カバやゾウの肉が美味しかったのかは疑問だが、それでも庶民には有難かっただろうし、供儀はある面楽しいイベントだったのかもしれない。
エジプトに限らず古代社会は何処も供儀は当り前だった。「牛耳る」の言葉の由来は、古代中国で諸侯が集まって同盟の約束を結ぶ時、牛の耳を切り落とし順番にその血をすするという儀式から来ている。牛は耳だけを切り落されただけとは考え難く、肉は食べられたのは想像に難くない。古代ローマでも牛は供儀に使用され、された後は焼いて食べられている。
意外なのはヴェーダ時代のインド。バラモン教の儀式では牛が使われていた。ウマを捧げた儀式もあり、大々的にそれを行うことは王族にとって大変名誉なことだった。元から牧畜民のアーリア人には牛馬のは当り前である。生贄にされた後の牛馬を、儀式参列者はさぞ満足して食べていたことだろう。
仏教やジャイナ教は、祭司の見栄の為だけに大量の動物を生贄にすることへのアンチテーゼでもあった。この不殺生の教えはヒンドゥー教にも大いに影響を与え、牛を神聖な生き物として口にしないようになる。それでも未亡人を火に投じる儀式は19世紀まで公然と行われていたが。
「動物の怨念」「動物の呪詛は50年は残留する」等とほざく真正のメンヘラが拙ブログに現れたことがある。しかし古代人は動物の呪いなど気にも止めなかった。むしろ生贄にすることでパワーが得られるとつゆ疑わなかった。迷信深くともパワフルな人々でもあったのだ。
但し現代人も古代人の迷信を嗤えるだろうか?先のようなメンヘラは論外だが、カルトや疑似科学に騙される人が何と多いこと。健常人でも常識や定説と疑わない公理が、実は間違っている可能性もあるのだ。現代人の誇る科学力も数世紀後の人々からすれば、原始的と完全否定されているかもしれない。
◆関連記事:「スピリチュアルと動物霊」
「悪霊の存在を信じる人々」
何年も前ですが、イランに旅行した日本人のブログを見たことがありますが、現地では毎度肉食ばかりで飽きた…と言っていました。もしかすると最近はイランでも、お野菜たっぷりの健康かつ美味しそうなレストランがあるかもしれません。
エジプトの野菜が美味しいのは、古代から農業大国だったことも影響しているのでしょうか?仙台にもトルコ料理店はありますが、未だ行ったことはありません。関西でも中東の料理店はほとんどないなら、東北で食べる機会はかなり少ないはずです。
サバイバル動画を拝見しましたが、いかに特殊部隊出身者でも気温55度の砂漠でラクダを捌くのは大仕事です。皮をはぐナイフが意外に小型でしたが、生でラクダの脂肪を食べていたのも驚きました。火を通さない肉は私も口にしたくありません。
以前トルコ料理を食べる機会がありましたが、香辛料がきつくても味に違和感はありませんでした。でも、こちらでは中東の料理店はほとんどないので、食べる機会はあまりないのです。
こちらはラクダの肉などで一晩サバイバルする内容です。正直体力とある種の鈍感さが必要です。仕事とは言え大変です。飢え死にするような状況ならともかく、あまり口にしたくありません。
https://www.youtube.com/watch?v=j1GX9TyvnHo
現代の家畜に慣れているためか、脂の少なそうなマンモスはあまり美味しそうに感じられませんでした。原始時代ならご馳走でしたが。ワニを食べた日本人が鶏肉のようだったと言っていたそうですが、カバは鯨に近い動物でしたか。ならばカバも不味くはないでしょう。
死んだ後の労働用の牛馬も、美味しそうなイメージがありませんよね。明治時代の牛肉は乳臭く硬かったそうで、改良に改良を重ねて現代の和牛になったとか。山岳地帯なら野性の猪鹿兎は獲られやすかったはずです。
日本で暮らしていると何処でも鍋文化が当たり前と思ってしまいますが、仰る通り鍋文化には、土器を作るための豊かな森林と土、豊かな水が必要でした。土器は他の文化圏でも見られますが、土器のある処全てが鍋文化ではありません。
日本には肉食用の家畜の飼育文化はほとんどありませんでしたが、労働用の牛馬が死ねば食べてしましたし、野性の猪鹿兎なども食べてしました。
日本は古くから鍋文化なので火はしっかり通していたのでしょう。鍋文化には、土器を作るための豊かな森林と土、豊かな水が必要です。これらは、どこにでもあるものではありません。また、遊牧生活は土器と相性が良くありません。乱暴に扱うと割れますからね。
ベジタリアン全てがおかしな人間ではないにせよ、彼らが過激な肉食反対運動を非難した話は聞きませんね。ご存知かもしれませんが、有名ヴィーガンが魚を食べていたことがばれ、炎上したことがありました。もうファッションと商売が目的としか思えない。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1988746.html
台湾でも菜食主義があり、その種のレストランがあるとは知りませんでした。リンク先を見たら本当に美味しそうですね!日本にも出店してほしいものです。
一方、中東で菜食主義の主張はあまり聞きませんが、あちらにも菜食主義者はいるようです。特に盛んなのがイスラエル。試に検索したら、ヨルダンを紀行したブロガーの記事がヒットしました。こちらもお野菜たっぷりで美味しそうです。
https://ameblo.jp/cha-chan0105/entry-11423223593.html
北大路魯山人が猿の肉を食べたというエピソードは初めて知りました。霊長類と聞いただけで敬遠したくなりますが、日本で処分されているニホンザルの肉はどうしているのでしょうね。
文化の違いといえばそれまでですが、やはり象肉には美味しそうなイメージが湧きません。そして神戸の中華街には象の干し肉があったのですか!満漢全席で使われるほどなら、決して不味くはなかったでしょう。
中国文化圏の台湾では菜食主義があり、その手のレストランもあるのですが、中近東はそんな主張あるのでしょうか?
こちらは台湾の菜食主義レストランの紹介です。実際美味しそうです。
http://naturaldineout.com/taiwanesevegetarianfood-3019/
>ゴリラやチンパンジーも食べられていたとは!
いささか霊長類は想像したくないものが・・・。日本でも北大路魯山人が猿の肉を食べたと本に記していました。きれいな感じの肉だそうです。しかし、京都にそんな物を売る店が当時あったのですね。
ネットを見ると象の死体に群がって肉を持っていく写真がありましたが、日本人からすると少々刺激的で文化の違いを感じました。ローマの象肉の話も驚きましたが、以前満漢全席再現の様子をテレビで放映しており、そこに象の肉の干したものが使われていました。たしか神戸の中華街にあった材料だったと思います。国力が増大して爛熟すると東西似たような行動をとるようです。
動物の呪詛は50年は残留などいう輩に、そのような正論は全く通じません。下手に反論するとそれには全く答えず、韓国の方が日本よりがん罹患率が低い、肉食と病気をこじつける怪しげなサイトをべたべた張る論点ずらしが毎度です。日本や欧米の肉食(牛豚)だけは責めるくせに、中韓や中近東の肉食は全く触れない。
そもそも中国では肉と言えば豚を指しているし、朝鮮はカルビの本場、中東諸国も肉食が中心。総じてベジタリアンの背後にはプロ市民が見え隠れする。動物の祟りなら、古代文明は全てそれで滅んだとなりますね(笑)。
本当に世界では様々な動物が食材とされているのですね。ゴリラやチンパンジーも食べられていたとは!そして古代ローマ時代のレシピ本に「ゾウの肉のおろし方」が出ていたことには驚きました。さすがローマです。
ロシアにも人柱がありましたか。コーカサス地方にも同じ話があるようで、映画『スラム砦の伝説』は中世グルジアで、美しい若者の人柱を砦の壁に埋めるストーリーでした。
https://eiga.com/movie/46037/
別に動物霊を信じたり、それを恐れて肉食を止めるのは勝手ですが、そうでないブロガーに御高説を垂れるのは、ネットでしか威張れないからでしょう。
「動物の呪詛は50年は残留する」とほざいたメンヘラの正体は、アルコールと砂糖が止められないネット浸りのザパニーズです。
動物の祟りと言うなら、ライオンやトラなどの肉食獣が他の生き物に祟られたという話も聞きません。ブリやイカやホヤが人に祟るという話も知りません。結局後ろめたさを感じるかどうかによるようです。以前グリーンランドかどこかで、イヌイットがアザラシの頭を海に投げ込んで霊魂を海に返していました。あのような文化圏も動物の祟りはないでしょう。クォ・ヴァディスにも雄牛百頭を捧げる、と言う会話が出てきます。
こちら、動物の味に関するサイト。世界には様々な「食材」があります。
https://matome.naver.jp/odai/2141674538882027501?&page=1
https://youpouch.com/2012/12/19/96785/
https://news.livedoor.com/article/detail/5553931/
生贄になる「動物」と言えば人間もありますね。殷墟とかもそうですが、中南米とか生贄の宝庫です。人柱と言うのもありますし。南方熊楠の本によると、ロシアにもそのような説話があるそうです。
『日本人の「あの世」観』は未読なので批評出来ませんが、仏教以降の日本人の「あの世」観はかなり変わってきたようです。沖縄とアイヌであの世は全てがアベコベというのは興味深いですね。
水木しげるの『続 妖怪画談』(岩波新書)にもアイヌのあの世の話が載っています。あの世(地下の世界)では夜と昼が地上とは逆であり、時間の尺度も違います。地上の人間があの世に行って数時間すごしたと思っても、返って見ると十日も経っていたりする。
またアイヌにも地獄があるそうで、ここには罪を犯した人間をはじめ、人を殺した熊、善神と戦って負けた魔神達が行く世界とか。
この本の参考文献のひとつに梅原猛の『地獄の思想』(中央公論社 昭和41)があり、水木も梅原の著書を読んでいたのです。
但し豚に限らず牛や鳥、羊も生肉は危険です。医学の知識のない時代なら『畜生のタタリ』を恐れるのは無理もありませんが、動物の呪い等と言っている輩は本当にアタマがオカしい。
宰という字の語源は、肉を分ける作業をつかさどるという意味だったとは知りませんでした。このような人物が王の右腕的存在「宰相」となる訳です。古代においては儀式と肉は欠かせないものだったことが分かりますよね。
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もともと日本人は死んだ人間は皆「あの世」へ行くと考えていたらしいのです。
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あの世に関する古い考え方は、沖縄とアイヌ人の間にその痕跡が残っていて、あの世とこの世はそう変わりがないらしいのです。ただし『全てがアベコベだ』という点が違っています。
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あの世では右と左は逆になるので、死んだ人の着物は左前に着せますし、お通夜で送り出すとあの世には夜明けに着く、使っていたお茶碗を欠いたらあの世では完全な形になる、こう考えるとお葬式の作法もナットクですね。
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で、「あの世」へ行くのは人間だけではなく、生きとし生けるもの全てが「あの世」へ行くのです。
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アイヌには『熊送り』という儀式がありますが、熊を大切に「あの世」へ送れば、送られた熊は『人間の世界でこんなに歓待された』と仲間に伝えるので、次の年には大勢の熊が(毛皮と肉を『ミアンゲ(=身上げ=土産)』として持参して)この世にやってくるのだ、とか。
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こんな風に自然の恵みをありがたく頂戴していたのが自然な姿だろうと思われます。
豚肉には寄生虫がいて、これが母親の皮膚から入り込んで胎児にまで達するとアタマのオカしい子供が生まれることがある。医学の発達していなかった昔はこのような子供が生まれると『畜生のタタリ』だと言われ、や解体はの仕事とされた。
これが『畜生のタタリ』の正体なのです。
イスラム教にいう『豚は不浄』も、これが原因だろう。
多種多様な動物をよく集めたものです。
そいえば宰相の宰という字の語源は肉
を分ける作業をつかさどるという意味でしたね。
儀式とそれに供される肉料理を分けるとこと
は古代において政治的にとても重要なことがうかがえます。