カテゴリー;Novel
※軽めのホラーになります
苦手な方はお戻り戴きますようお願い致します
横溝正史という作家の作品に「夜歩く」というものがある。
初めて読んだのは中学生だったろうか。内容はあまり覚えていないが、タイトルと夢遊病という状態だけは憶えている。
秋の澄んだ大気。
晴れた日の宵闇に浮かぶ月。
その月明かりに浮かび上がった人のシルエット。
残業帰りの道、時刻は十時を回っていた。
朝晩の寒暖差は日毎に大きくなり、昼間出かける時の装いだと風邪をひきそうな冷たい風が吹く。
いつもの住宅街には街頭があり、暗い場所は殆んどない。ただ一ヶ所だけ、通りの奥にある空き家の脇道だけは違う。
少し小高い丘に向かう細い道には木が葉を繁らせ、月明かりも街頭も届かない。
俺の家はその空き家の向かいだ。
歩いてきた住宅街は都会の明るさであるが、俺の家と向かいの空き家だけは半分だけ異世界に切り取られたような昏さが在った。
いつものように門扉を開け玄関に向かっていると、微かな音が聞こえたように感じた。
何かと問われても答えられない。
衣擦れか、溜め息か。それとも機械的な何かか。
ともかく違和感に振り返った。無意識に。
いつも昏いその道にあり得ないものを見た――。
『何⁈』
どう言えば伝わるのか。
空間に現れた巨大な影絵とでもいうのか。
黒い人型はどちらを向いているのかも分からない。
暫く見ていると、その黒が薄くなってきたように思った。
『消える⁈』
錯覚だ。思い直し、玄関の鍵を差し込み回す。
PCの見過ぎかな。
幻影のように黒い影を見てしまうくらい疲れていたのは事実だ。
三和土で靴を脱いでいると母が台所から声をかけてくる。ただいまと言って、そのまま洗面所に向かった。
洗面所は白くて明るい。
疲れた目には少々眩しすぎる。かといって灯りがなければ暗すぎる。
洗面台の灯りだけつけ手を洗う。
顔を上げると鏡がある。それは分かっている。いつも意識していないだけだ。
洗い終え左側に置いてあるタオルペーパーを取って鏡を見た。
「あれ?」
背には何もない。洗面台の灯りだけで暗いためか、何かが動いたように感じた。
振り返ると何もない。
「ダメだ。寝よう」
台所の母にもう寝ると告げようと思ったが、すでに寝室に移動した後だった。
いつもなら晩御飯を食べるのだが、今夜は食欲もあまりない。少し前まで腹へってたのにな。
二階に上がり突き当りの部屋の扉を開けた。カーテンは遮光タイプなので月明りも届かない。左手を灯りのスイッチに伸ばし、そこで止まった。
何か居る。
暗闇を見続けていると、最初は何も見えていなかった空間に家具が見えるようになる。
ベッドとデスクとクローゼットと……。一つずつ確認していても、気づいてしまうシルエット。
分かりたくない、何か。子供の頃、視えていた黒いモノ。
伸ばした左腕を引き、扉を閉めた。
やばい。
たぶん、あの脇道にいたヤツだ。連れてきた。
階下に下りた。
今夜は此処にいる方がよさそうだ。
この家には自分と母しかいない。二階の寝室にいる母は大丈夫だろうか。
ただもう上がりたくない。子機を取り内線をかけた。
あれ。出ない。
子機を耳に当てたまま、階段下まで近寄る。鳴ってるよな。どうして出ないんだよ。
二分以上鳴らしたものの出る気配はない。諦めて階段を上った。
「お母さん」
いくら母親でもいきなり扉を開けるのは気がひけて、小さく声をかけた。子機の呼び出し音に起きないんだから、こんな声じゃ無理だよな。
「開けるよ」
自分の部屋のアレに聞こえないように、静かに扉を開けていく。
すると。
「わー!!」
目の前に母が立っている。
「どうして電話出てくれないんだよ」
そう言ったが何の返事もない。
起きてるよね。それとも寝ぼけてるのか。
俺をよけるように部屋を出ていく。
「お母さん、何処行くの」
音もなく階段を下りていく。
お母さん⁈
そのまま庭への窓を開ける。裸足のまま庭に出る。
「ちょっとお母さんって。サンダル!」
体を抑え、庭用のサンダルを差し出すと大人しく履いた。
何なんだよ。
!!
刹那、通りに黒いシルエットが見えた。
「お母さん。うち入るよ!」
力づくで無理矢理引き戻した。暴れるわけでもなく部屋に入るが、暫くするとまた出ていこうとする。
夢遊病。
まるであの小説で読んだ主人公のよう。
夜、歩く。
やめてよ。
その上、黒いヤツ。いったい何体いるんだよ。
明日、無事に朝を迎えられるといいな――。
翌朝。
お約束か、と思える母の覚えてないという言葉。
マジかー。
黒いシルエットのことを言ってみた。
仕事で無理難題押し付けられたかと言われた。
ちょっと厄介なシステム修正してるかな。
じゃ、お前の頭が作り出した逃げたい病を治してくれるシェルターみたいなものでしょ、と。
母は自分が夜歩いたことを覚えていない。
ただ、あの時。あの黒いヤツに取り込まれそうになっていたものが、母のお蔭でそれどころではなくなったのは事実だ。
庭に出ていかないように、徹夜で母を見張ってた。黒いヤツより母の方が心配だった。
行きたくない病にはならずに済みそうだ。
このまま出勤だな。
寝てないけれど、目が冴えてる。このまま仕事もうまくいきそうな気がするから不思議だ。
「朝御飯まで少し時間あるわよ」
少し寝るかと言われたが、起きていることにした。
昔から霊感が強いのは俺の方だと言い続けている母。それは違うと思う。
やっぱり不思議な力を持ってるんじゃなかろうか。
冷蔵庫から豆腐とネギを取り出している姿を見ていると、何処にでもいる普通のオバサンだけれどな――。
【了】 著 作:紫 草
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2021年9月小題:歩く
イラスト提供
by 狼皮のスイーツマンさん