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バトラー。
その本当の姿は、なかなか知られることはないのかもしれない。
「日本では、家よりもホテルなどの方が多いですからね」
「そうなのよね。うちはお祖父ちゃんがイギリスから連れてきちゃったけれど、普通、家にバトラーなんていないものね」
物心がついた時には、我が家にはバトラーがいた。
祖父母と両親、兄が二人と弟が一人。
この家族と一緒に、家事手伝いというには年齢のいった家政婦の玉木オバちゃんと、家のことを殆んど全部やっちゃう三枝という、かなりお祖父ちゃんに年の近いオジさんがいた。
「何故、突然、バトラーの話をされるのですか」
今は応接間で二人しかいないから、いきなり聞かれるけれど、誰かがいたら、お嬢様ってつくのも当たり前なんだよね。
「最近、メイド喫茶に対抗してか、執事喫茶っていうのが流行ってるって聞いたの」
メイド喫茶でバイトをしてる同級生がいて、最近近くに執事喫茶ができたんだと話していた。今も執事を募集しているらしいのだが、その応募要項に、自他共に認めるイケメンであることと書いてあるらしい。
仕事ができるかどうかではなく、まず見た目というところが本物じゃないなって感じだ。
「ベテランのバトラーさんて、三枝さんくらいの年齢にならないと認めてもらえないんでしょ」
そう言うと、顔色ひとつ変えず一言。
「お嬢さま。私も若い頃から、今のような爺ではございません」
え~ じじいって何?
「でも三枝さんはずっと今の姿のままのような気がする」
「お嬢様がお生まれになったのは十七年前。私も十七年分、年を重ねておりますが」
真顔で言われると笑えてくる。
そりゃそうだ。
よく考えたら、お祖父ちゃんが雇ったのってまだバトラーになったばかりの頃かも。
すると即答で肯定される。そう思うと若く見えるね。
「日本では、執事という表現の方が好まれるようですが、会社に入ると秘書と名前を変えている場合も多いらしいですよ」
三枝がそう言ったところで、弟の雅が帰ってきた。
お腹がすいたという雅を連れ、三枝さんはキッチンに向かう。
執事かあ。
みんなが漫画で読んでる執事って、三枝さんのイメージからすると全然違うのよね。だから余計に架空のもののような気がしてた。でも、よく考えたら今もイギリスにはちゃんと学校があるし、もしかしたら日本にもあるのかも。
そんなことを考えていると雅が戻ってきた。
「都子姉ちゃんも食べる?」
見ると、チーズケーキが大皿に並んでいる。
「これ、玉木さんが作ったの?」
玉木さんは昔ながらの家政婦さん。和食には精通していても、洋食は三枝さんが担当していて、こんなケーキは今まで見たことがない。
「違うよ。知らないお兄ちゃんが台所にいて、冷蔵庫から出してくれた」
知らないお兄ちゃん?
「ちょっと、それ大丈夫なの?」
そう言ったところで三枝さんが戻ってきた。紅茶のセットをワゴンに乗せて、その後ろに若い男性を引き連れて。
「昨日、大旦那様と旦那様に許可を戴きました。本日より、執事の見習いとして住みこませて戴く、孫の三枝フェイです」
横目で見ると、雅は自分用に取り分けたお皿にフォークを刺している。
友達の言っていたイケメンの執事って、こんな感じの人かしら。
「初めまして。三枝フェイです。よろしくお願い致します」
彼の頭を下げる姿を見ながら、疑問に思う。
「三枝さんはどうするの?」
「引退し、イギリスに帰ろうと」
「駄目よ。三枝さんがいなくなったら、私困る」
失礼と知りつつ、話の腰を折って叫んでしまった。
「はい。大奥様と奥様にも同じように言われましたので、新しいバトラーを育てることになりました。ちょうど孫が養成学校を卒業しあちらで修業をしておりましたので、こちらに呼びました」
何という偶然。今日、バトラーの話をしていたところだった。
「初めまして。森永都子です。こちらこそ、よろしくお願いします」
彼は、ふわっと優しく微笑んだ。
「三枝さんに似てるね」
「孫ですから」
彼はそう言って部屋を出ていく為に、背を向ける。
「えっと、三枝… 孫さん」
名前を忘れてしまった。でも同じ苗字なんだから、聞かないと呼べないし。
「三枝さんが二人だと不便だと思って」
「フェイでいいですよ」
ふぇ… ふぇい?
余程、変な顔をしたのだろう。彼が笑いを堪えきれず、眉のあたりがピクピクしているのが分かる。
「エフ、エー、ワイと書きます。日本では片仮名でフェイでいいです」
「フェイさん」
「はい」
どうやら笑いのツボからは立ち直ったらしい。
「改めて。フェイさん、よろしく」
そう言って、右手を出す。躊躇するのは分かる。でも、家族だから。同じ屋根の下で暮らすんだから。
だから黙って、ただ彼がどうするかを待った。
三枝さんは何も言わなかった。フェイさんも三枝さんを見なかった。彼はよろしく、と声に出して握手をしてくれた。
それを見た雅が、僕もすると近づいてきて、今度は屈みこんだ状態で雅とも握手をしていた。
子供好きなのかな。まだ八歳の雅は、握手の次に肩車までしてもらっている。
フェイさんはよく笑う。この短い時間のなかでも、いろいろな顔を見た。
三枝さんは殆んど表情が変わらないけれど、もしかしたらバトラーとしたらは駄目なのかもしれないけれど。
「フェイさん」
「はい」
雅を下におろしてから、こちらを向く。
「チーズケーキを作ったのはフェイさんですか」
この質問には、三枝さんがそうだと答えた。
「私、普段はケーキって食べないの。みんなのお誕生日にバースデイケーキを作って下さい」
「畏まりました」
優雅ともいえるような仕草で、恭しく感じるように頭を下げる彼に見惚れてしまう。
たぶん、フェイさんは森永の家族だけだと思っているだろう。玉木さんも三枝さんも、当然そこには自分も入るのに。
でもそれは今、教えない。
三枝さんにフェイさんの誕生日を聞いて、それで彼の誕生日にはケーキを買ってこよう。どんな顔をするのか、今から楽しみ。
まだまだ新人バトラーさん。
その顔色を楽しめるのは果たしていつまでだろう。それでも少し年上って感じのフェイさんは、三枝さんよりは話が合いそうかなと予感する。
これで恋しちゃったってなると、友達の好きな少女漫画の世界になるわけね。
気付いたら、彼は部屋から消えていた。雅の相手は三枝さんがしていて、それはいつもの光景だった。
同じ屋根の下に、年頃の男性が一人増えた。さて、どんな生活になるのだろう。なんてことを考えていたら、三枝さんがこちらを見ている。
「まずは、ご自身でできることをもう少し増やすことです」
御尤も。
ぺろりと舌を出して、何もかも見透かされてしまう三枝さんから逃げ出すために都子は自分の部屋へ引き上げることにした。
【了】 著 作:紫 草