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5月自作/『言葉2』
眩しさに、目が覚めた。ここは何処だ。続いて夕べの記憶を呼び起こす。
そうだ。大嶋と金城を相手に居酒屋で飲んだんだ。それで、どうしたっけ。
……あ。
「緑!」
見知らぬベッドの上に飛び起きる。でも隣には誰もいなかった。
あれ、店の前で会ったよな。
とりあえず携帯を探そうとサイドボードを見れば、そこに財布とスマホが並べてある。そしてホテル備え付けのメモ用紙に文字があった。
『先に帰ります。一人を満喫し終わったら、六日には連絡してね。みどり』
やばい。怒って帰ったか。というか、起こせばいいだろう。それより、何か凄く大事なこと忘れてないか。
俺って……
「振られたのか」
思い出せないまま、仕方なくそのままアパートに帰る。
緑に送ったメールの返事はない。世間はGWだ。自分もやっと取れた連休だった。しかし何の予定も入れてなかった、ということに帰りついて漸く思い当たった。
否、違うな。やっと取れた休みだから一人でいたいと言ったんだ。
どうしてそんなことを思ったんだろう。休みはいつも一緒にいたから、いるのが当たり前すぎたから。
でも、わざわざ一人って言う意味あったのかな。彼奴はベタベタしてくる時は鬱陶しいくらい近くにいるけれど、ほっといて欲しい時は部屋の隅っこにいたんだし、一部屋しかないんだから二部屋ある所に引っ越せば同じ部屋にいることもなかったかもしれない。
そうじゃなきゃ、一年以上もつきあってない。就活の一番辛い時期、別れた友達もいるって聞いた。やっぱり精神的に両立って難しいことも多かったんだろう。メールの返事すら面倒な時もある。
そんななか、緑は内定もらうまで全く近づいてこなかった。少なくなってしまったメールと週末の電話と、そして誕生日にだけ会った。
それを遠ざけようとしたのか、俺は。
愛想を尽かされたのかもしれない。
「酔った勢いでプロポーズしたって思われたんだろうな」
きっと本気にされてない。酔っぱらってても覚えてるんだけど。それに勢いじゃない。
大嶋から男といたって聞いて嫉妬した。それだけで充分のような気がした。ただ、こうなってしまうと、またきっかけを失ってしまったような気もする。
この状態は拙い。でも返信がない。家に帰ってるから連絡をくれと打ったメールに、返事がないんだからどうにもならない。
刹那、大嶋から聞いた男のことが脳裡を過ぎった。思わず電話をかけた。電源が入ってなかった――。
結局、その日は音信不通で終わり前日までの寝不足もあってふて寝をしたら翌朝だった。
それでも四日のうちには連絡がくると思い込んでた。四日が過ぎ、五日の朝を迎えて真面目に振られたのかと思った。
やばい。本当に覚えてないぞ。
プロポーズして、冗談だと思われて、そのままキスして、酔いが回って眠いって言ったらホテルに連れ込まれた……だけだ。
たぶん――。
振られてないよな。
前に、連絡ないって不安になるものよって言われて、そんなこと分かってるって答えたな。確かに、どうしたんだろうって思うし、メールの一通も打てないのかって思う、待つ身になると。
こりゃ、本気で捜さないと駄目か。
端午の節句だからだろうか。あちらこちらで和菓子の特売を見る。そういえば母親から帰ってこいって言われてたような気もする。しかし今はそれどころじゃない。
とりあえず緑の携帯に電話をするものの、あれからずっと電源は切られたままだ。
一体どうなってるんだよ。
携帯とは本人を捕まえるには最高の文明の利器だ。でも電源を切られ自宅の電話番号を知らないと、どうにもならないということに初めて気付いた。
緑は親と暮らしてる。固定電話は必ずある。しかしそれを知らない。
翌朝。
緑に連絡をして欲しいと言われた六日、母親と兄から実家に来いと呼び出された。何の冗談だと言ったら、前日のバーベキューの約束をすっぽかしたのはお前の方だと叱られた。
そう言えば、そんな約束も……
「今日はちょっと」
――問答無用だ。帰ってこい。母さんが昨日、どれだけお前を待ってたか考えろ。
仕方ない。緑に事情を説明するメールを送る。
電車で一時間足らず、でも行ってしまったら緑には会えない。GWが明け三日勤務でまた週末がくる。気持ちの上ではここまでが連休だ。だから今、一番伝えたい言葉を打った――。
その日のうちに帰宅し、電話をかける。相変わらず沈黙の携帯だった。もう本当に駄目かもしれない、と感じた。
それでも金曜の段階で週末の予定を連絡するからとメールだけ送っておいた。
弱気になりすぎだろ。GWの間、どうして携帯の電源を切っているのか聞き損ねた。
あの日告げたプロポーズについても何も言えず、メールだと言葉を選びすぎてしまうことに気付く。
大嶋が見たという男のことも聞けずにいる。気付いたら自然消滅してたという話をよく聞くが、このまま会えない時間が続くともしかしたら自分たちもそうなるかもしれない。ふと、そんな予感がした。
そして金曜、上司に連休を確認したところで緑にメールをする。土日、ずっと一緒にいたいと。
しかし、いくら待っても緑からの返信はなかった。
逢いたい。
緑、お前の顔が見たいよ――。
深淵の底にいるような眠りに、幽かな音が届く。
何の音だろう。規則正しい静かな刻み。そのリズムに心地良い眠りに誘われ、今度は深淵とは程遠い夢の世界へ導かれてゆくようだ。やさしい眠りは幸せな夢を見させてくれたような気がする。
熟睡したあとの自然な目覚め。瞼が軽く開いた。
ん?
ふと違和感を覚え、隣を見ると緑が眠ってた。
「緑!」
思わず叫んだ。
「まだ眠いよ」
彼女は、そう言って再び布団に潜り込む。
「お前。今までどうしてたんだよ」
でも、その言葉は届かなかったようだ。
無防備に眠る緑を見ながら、髪を梳く。
一度はプロポーズをした。ただ本当に結婚するのかと問われたら、どこかでしないかもしれないとも思っていた。まだ若い。大学出たばかりの男が、社会の伊呂波も分かっていない男が家庭を持つなんて、母さんに言ったら笑われそうだ。
「緑、お前何処にいたんだ」
小さな呟きだった。
聞かせる為に言ったわけじゃない。思わず口をついて出ただけの言葉。それに応えがあった。
「聖樹と同棲するって親に言ったら、軟禁されちゃったの」
「え?」
布団から顔を出し、暫く俺の顔を見上げていた。
「軟禁って……」
それしか言葉にならなかった。緑はだから逃げてきたのだと言う。
ごめん。
本当にごめん。
「同棲じゃなくて、ちゃんと結婚しような」
言いながら、彼女の小さな額に手を置き思わず笑ってた。
結婚なんて、いつするのがいいって決まってるわけじゃなし、帰る家が同じなら送る必要もなくなるしな。
「やった」
緑がぺろりと舌を出す。
「本気だぞ。分かってるか」
「もちろん」
言いながら、再び布団に潜り込む緑だった。
「こりゃ完全に寝惚けてるな」
何か切り札使い損ねた感じだ。こいつ、あのメール見たのかな。
だいたいお前の会ってた男って誰だよ。居酒屋の前でバッタリ会ったのだって分からないままだし。あゝ 聞きたいことは山ほどある。
でも今は、とりあえずブランチでも作ってやるか。漸く見られた緑の寝顔を見て、自然と口元が緩むのを感じながら俺は流し台に向かった――。
【了】 著 作:紫 草