『君戀しやと、呟けど。。。』

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『溺れゆく』その切

2018-03-07 00:02:05 | 小説『溺れゆく』
カテゴリー;Novel


その切

 某警察署。知り合いの警察官矢沢を見つけると、葛城は先ほど架かってきた電話の内容を告げる。
 電話は彼に、真帆の身元引受人を頼めるかというものだった。
 急遽夜勤の交替を頼みこみ、大急ぎで駆けつけた。矢沢はすぐに対応してくれた。
「先生。今聞いてきますから、少し待っていて下さい」
 署内の奥にある形ばかりの応接セットに通されると、酔っ払い絡みのトラブルで人の出入りが激しい。
 五分ほど待っただろうか。署長自らが、一人の少女を連れてやって来た。

 真帆……

 痩せ細り顔色も悪く、この少女が真帆だと言われてもすぐには納得できなかった。
 顔の形相が変わってしまう程の何があったんだ。
 葛城は素早く立ち上がると、黙って真帆を抱き締めた。

 必要な書類を作ると言われ、彼女をソファに座らせる。その時、矢沢巡査に肩を叩かれた。
「先生、ちょっと」
 囁いた彼の顔は引き攣っている。
 嫌な予感を覚えながら、葛城は真帆に声をかけ彼の背を追った。

 人目につき難い、柱の陰で矢沢が振り返る。
「今夜、売春クラブの一斉摘発があったそうです。そこで引っ掛かったらしくて、身元引受人がいないと帰れないと言ったら、先生の名前を出したそうです」
 矢沢は、内緒ですよと前置きして教えてくれる。
 そこはそれなりの店なんだと、葛城に一種の覚悟をさせる。
「まぁ不法滞在の外国人ホステスを集めてね。違法なこともしてました。彼女はそこで働いていたようです。若いこともあって人気だと、他の女たちが話していました」

 違法なことをしているホステス。残してきた真帆の姿を思い出し、葛城はソファの場所に戻った。そこに座る真帆の姿を見れば、どんなことをさせられるのか。容易に想像がつく。
 深く切れ込んだスリット。胸元の開いた安っぽいドレス。少し前かがみになると、その隙間から胸の薄いピンクが見てとれる。背中を丸め体を折るように座る真帆は、痛々しくて見ていられないほどだった。

 泣くでもなし。笑うでもない。
 感情をなくしたかのような真帆の顔は、正しく能面のようだった。
 目頭が熱くなり、瞳が潤むのを葛城は感じていた。真帆はそんな葛城を見ても、顔色ひとつ変えることはなかった。

 葛城は、そのまま真帆をマンションに連れ帰った。彼女は言葉を発しない。葛城の名前を出し彼が迎えにきたら、その後どうしたかったのか。何も言うことはない。
 それでも、帰ろうと声を掛けると黙ってついてきた。

 帰り道のコンビニで当面必要な物を買ってくればいい、と思ったがコンビニという場所は下着はあっても服までは置いてない。仕方なく自分のTシャツを数枚手渡し、シャワーを浴びるように促した。

 キツイ化粧を落とし、男物のTシャツを着てソファに座る真帆は、やはり年相応の美少女だ。この一年、どんな暮らしをしていたのか。
 葛城は何か聞く方がいいのか。それとも聞かない方が彼女の為なのか、正直分からなかった。人間らしい反応というものがない。
 それでも簡単なサラダと冷食の焼きおにぎりを出すと、その手を伸ばしてきた。

 一体、何があったのだろうか。
 葛城の吐息のような憤りは、一晩中、消えることはなかった。

 翌朝。
 葛城が出勤する時間になっても、ベッドに眠る真帆が起きてくる気配はない。
 悩んだものの、自分から此処に来たのだからと置いて行くことにした。帰ったら、いないかもしれない。それならそれでもいい。
 キッチンテーブルに財布から出した五万を、むき出しのまま置く。少なくとも葛城の名を思い出すことだけは分かった。
 今はそれだけでいい。

 身支度を整えて、葛城はマンションを後にする。自転車にまたがると、見上げて自分の部屋の辺りを確認する。
 今はこのまま、真帆が居てくれることだけを祈ろう。彼は気持ちを切り替えて、ペダルを踏み込んだ。

To be continued. 著作:紫 草 



HP【孤悲物語り】内 『溺れゆく』表紙
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