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残業続きの日々。
駅前に花屋があるということは知っていても、営業しているところを見たことがなかった。
今夜は会社のサーバーがダウンするというハプニングで、突然帰ることになった。
だからこそ、この花屋が開いているところを通ることになったのだ。
店先には、学生時代に雑巾をかけてあったなという青いバケツがあった。ただ、その中身は真っ赤な薔薇の花だ。
ただ3本1000円という札と共に、咲ききった花が無造作に入れてあった。
綺麗に咲く花でも、明日には売り物にならないということだろうか。
ふと思い立って、1本でも買えるかと聞いてみた。
すると店員は割高になると言う。いくらだと尋ねると450円だと答えた。ならば1000円よりは安いだろう。1本だけでいいと告げ、レジに置いてあるプラケースにワンコインを置いた。
暫くして手渡されたビニールの中には、2本の薔薇が包まれていた。
何故だ、という思いをこめて店員を見る。
すると、明日には店頭には出せないので、せめてお客様のお部屋に飾ってあげて下さいと言う。
そう言われてしまっては、何よりすでに包まれてしまっていては黙って受け取るしかない。
さて、この薔薇をどうしよう。
俺はそこで初めて、そのことに気付いた。
駅から数分。越して間もないマンションに着く。こんなに早く帰宅したことなどない。
電話の一本でも入れるべきだったか。
彼奴は、どうしているんだろう。
知り合って半年。
一緒に暮らし始めて、まだ一週間だ。
もともと遅い時間が活動時間帯だと知っている。彼奴の方こそ、こんな時間にはいないかもしれない。
そう思いながらマンションの入り口を鍵と暗証番号を打ち込み抜け、部屋の前に立つ。
いつものようにチャイムを鳴らし鍵をさそうとすると、いきなりドアが開いた。
「おかえりなさい」
初めて聞く、その言葉と共に彼奴がそこに立っていた。
あまりのことに、ただ一言「ただいま」と言うことができず、あゝとか、おゝとかよく分からない言葉を発するのが精一杯で、そんな俺を見て珍しく彼奴が笑った。
いつも通りでないことが多過ぎて、手にある薔薇の説明もできていない。
誕生日でもない。結婚してるわけでもない。何かの記念日でも何でもない。
すると彼奴が俺の手に添えるように、自分の手を寄せてきた。
そこには黄色い薔薇が一輪、やはりビニールにくるまれて在った。
瞳を覗き込む。
言葉のない空間。重ねられる3本の薔薇。
何ともいえない『間』だった。
この薔薇をどうしたんだ、という説明はもう要らないだろう。二人で同じ日に花を買った。たぶん同じ残り物の、あのバケツの中の薔薇を。
その『間』を俺は愛おしいと、狂おしい程に感じたのだった――。
【了】
著作:紫草
*以前書いた~柿の実味のキス~の続編になります。
*『柿の実味のキス』
http://blog.goo.ne.jp/murasaki-sou/e/50aefbdbb294c7067e24c15a7a908232