一頃に比べると、縁談の話も少なくなっていた。
雅景の振る舞いは、以前にも増して投げ遣りで、当主はホトホト困り果てていた。かといって放っておくわけにもゆかず、昨今では、ご機嫌取りのようなことまでする始末。家臣が、みっともないから止めて下さい、と頼み込むも効き目はなかった。
「若殿。いい加減、お館様の気持ちを考えて下さい。これじゃ、お子が駄駄を捏ねているのと同じですよ・・」
書の練習に、家臣数名と机を並べていた時だった。
一人の小姓が雅景に小言を云うと、続々と言葉が出てきた。
「五月蝿い。練習に言葉は不要だ。黙っていろ」
雅景が、半紙を一枚掌に丸め放る。
「勿体ない。まだ書けましたのに」
桔梗丸が、たった今、放り出された半紙を広げ、自分の前に広げると、そこに文字を書いてゆく。
――若殿と呼ばれたくらいで、動揺致しませんように――
それを読んだ雅景は、キッと桔梗丸を睨んで部屋を出ていった。
その剣幕を見ていた小姓が、声を掛ける。
「いいのか、あんなに怒らせて」
「いいよ。分かっているから、こんな我が儘は長く続かないってことくらい」
桔梗丸は、他の小姓に、そう言葉をかけるのだった。
確かに、このままでは西の国は駄目だ。こんなだらしのない跡取り息子では政略結婚ではなく、戦を仕掛けられ滅ぼされてしまうだろう。桔梗丸は、自分の首と引き替えに当主へ、ある提案をする決心をするのだった。
「お館様。ひとつ。お願いがございます」
中奥の、当主の寝室である。
その日、屋敷に残った者は少ない。桔梗丸は前から決めていたことを、当主に話すことにした。
「何事」
「私を小姓から外して下さい。そして雅景様の専属の家臣に」
全てを語る必要はなかった。当主は夜具に起き上がると、桔梗丸と向かい合った。
「それは、最早決めたことか」
桔梗丸は小さく頷くだけだった。
どのくらいの時が過ぎたのか。
当主にとっても、桔梗丸は手元に置くつもりの家来である。間もなく元服の支度を調えねばと思っていたのも事実だ。
しかし、雅景付きとしてしまえば、意味が違ってくる。様々な場面が脳裏に浮かぶ。そこに桔梗丸の姿がないことを想像しようとしても、今の段階では難しかった。
「私には、付いてはくれぬのか」
「お館様には、名のある方々が大勢家臣として控えておられます。私は雅景様を、お守りしたく存じます」
「分かった。来週にも、手筈を調えよう。それまで私の許を離れてはならぬ」
桔梗丸は、深々と頭を下げた。
この時代。男色というものは、ほぼ当然のように存在した。
しかし当主は長い間、誰も相手を必要としなかった。関係ができることで、城の家臣の上下関係を崩すことに繋がると考えたからだ。だからこそ桔梗丸に雅景が手をつけた、と聞かされても何も感じなかったのだ。
だが今、雅景の許へ行くという桔梗丸を引き止めたいと思う、その感情に当主は翻弄されていた。
「人とは、よく分からぬものだ。こんなことなら桔梗丸だけは、私のものにしておけばよかった」
独り言のように呟く当主を一人残し、桔梗丸は部屋を出る。
「相手が雅景じゃな。勝ち目はないな」
当主の言葉は、微かに震えて聞こえてきた。
数日後、桔梗丸は小姓を辞め、雅景の正式な家臣として仕えることとなった。ただ元服だけは雅景が許さず、髪を伸ばしたままの姿は、厳つい男たちの中にあって、異様なものに映るのだった。。。
雅景の振る舞いは、以前にも増して投げ遣りで、当主はホトホト困り果てていた。かといって放っておくわけにもゆかず、昨今では、ご機嫌取りのようなことまでする始末。家臣が、みっともないから止めて下さい、と頼み込むも効き目はなかった。
「若殿。いい加減、お館様の気持ちを考えて下さい。これじゃ、お子が駄駄を捏ねているのと同じですよ・・」
書の練習に、家臣数名と机を並べていた時だった。
一人の小姓が雅景に小言を云うと、続々と言葉が出てきた。
「五月蝿い。練習に言葉は不要だ。黙っていろ」
雅景が、半紙を一枚掌に丸め放る。
「勿体ない。まだ書けましたのに」
桔梗丸が、たった今、放り出された半紙を広げ、自分の前に広げると、そこに文字を書いてゆく。
――若殿と呼ばれたくらいで、動揺致しませんように――
それを読んだ雅景は、キッと桔梗丸を睨んで部屋を出ていった。
その剣幕を見ていた小姓が、声を掛ける。
「いいのか、あんなに怒らせて」
「いいよ。分かっているから、こんな我が儘は長く続かないってことくらい」
桔梗丸は、他の小姓に、そう言葉をかけるのだった。
確かに、このままでは西の国は駄目だ。こんなだらしのない跡取り息子では政略結婚ではなく、戦を仕掛けられ滅ぼされてしまうだろう。桔梗丸は、自分の首と引き替えに当主へ、ある提案をする決心をするのだった。
「お館様。ひとつ。お願いがございます」
中奥の、当主の寝室である。
その日、屋敷に残った者は少ない。桔梗丸は前から決めていたことを、当主に話すことにした。
「何事」
「私を小姓から外して下さい。そして雅景様の専属の家臣に」
全てを語る必要はなかった。当主は夜具に起き上がると、桔梗丸と向かい合った。
「それは、最早決めたことか」
桔梗丸は小さく頷くだけだった。
どのくらいの時が過ぎたのか。
当主にとっても、桔梗丸は手元に置くつもりの家来である。間もなく元服の支度を調えねばと思っていたのも事実だ。
しかし、雅景付きとしてしまえば、意味が違ってくる。様々な場面が脳裏に浮かぶ。そこに桔梗丸の姿がないことを想像しようとしても、今の段階では難しかった。
「私には、付いてはくれぬのか」
「お館様には、名のある方々が大勢家臣として控えておられます。私は雅景様を、お守りしたく存じます」
「分かった。来週にも、手筈を調えよう。それまで私の許を離れてはならぬ」
桔梗丸は、深々と頭を下げた。
この時代。男色というものは、ほぼ当然のように存在した。
しかし当主は長い間、誰も相手を必要としなかった。関係ができることで、城の家臣の上下関係を崩すことに繋がると考えたからだ。だからこそ桔梗丸に雅景が手をつけた、と聞かされても何も感じなかったのだ。
だが今、雅景の許へ行くという桔梗丸を引き止めたいと思う、その感情に当主は翻弄されていた。
「人とは、よく分からぬものだ。こんなことなら桔梗丸だけは、私のものにしておけばよかった」
独り言のように呟く当主を一人残し、桔梗丸は部屋を出る。
「相手が雅景じゃな。勝ち目はないな」
当主の言葉は、微かに震えて聞こえてきた。
数日後、桔梗丸は小姓を辞め、雅景の正式な家臣として仕えることとなった。ただ元服だけは雅景が許さず、髪を伸ばしたままの姿は、厳つい男たちの中にあって、異様なものに映るのだった。。。
まるで駄々っ子ね。
桔梗丸が桔梗丸のままでいたら、
どうなっていたのかしら。
人の運命ってどうなるかわからないわ。
ならば、城には上がらなかったかもしれません。いつのまにか消えましたという、そんな存在になったかも。そうなると姫様には会えなかった。
殿は、どうしたでしょうね。