天下御免のすっとこどっこい

自分が読み返して「楽しかった」と思えることを書き綴っています。

曽根崎川(蜆川)跡散策

2013年06月09日 | 旅行・お出かけ
江戸時代の文化の本を読んでいると、「堂島は現在の堂島川の北一帯で、もとは堂島川と曽根崎川に挟まれた中州であった。」とありました。

中之島や堂島は蔵屋敷がたくさんあったとは知っていましたが、堂島川の北にもう一本、川があったとは知りませんでした。
古地図を見てみると、曽根崎新地の南側に川が描いてありました。

現代の地図を見ると確かに、うにょ~っと曲がっております。
今の北新地がちょうど川の上にあるようです。
なんとなくここかな~っと目星をつけて(薄い青い部分)歩いてみました。



1.京阪中之島駅から堂島橋を渡り(北詰からもう少し下ったところが曽根崎川南端のようです)、おそらく川であろう幹線道路を歩きます。



2.上天神前交差点で浄正橋の碑がありました。


さらに交差点を渡り、歩いていきます。

堂島3丁目交差点あたりに梅田橋があったようです。
梅田橋ビルという看板が見えました。

3.この近所に浄祐寺というお寺があります。
「五大力恋緘」の元になったという5人殺傷事件のお墓や、忠臣蔵の矢頭長助、右衛門七父子のお墓があるそうです。
写真失念。

4.また通りに沿って歩いて、出入橋。
ここには梅田運河がありました。明治時代に大阪駅ができると、陸路と海路を結ぶために曽根崎川と堂島川をつないでいたそうです。


5.四つ橋筋の交差点辺りに桜橋があったそうです。
桜橋って橋の名前だったんですね。ボウリングかサンケイホールしか出てきません(←は?)。


6.堂島アバンザの前に堂島薬師堂。堂島の名前の由来がこのお堂らしいです。
池に浮かぶ蓮をイメージしてるんでしょうか。


7.堂島川に向かって歩いて、中之島ガーデンブリッジ北詰には堂島米市場跡。
蔵屋敷だらけだったんでしょうねえ。
1つぐらい残っていてもよかったのになあ…。


8.北上すると、国産ビール発祥の地の碑。
なにやら明治5年にビール製造?醸造?が始まった場所らしいです。


9.さて、新地本通沿いを歩きますと、蜆橋跡碑、曽根崎川跡碑があります。
気がつかなかったのですが、新地本通沿いには何個か曽根崎を紹介する案内板がありました。
河庄もこの近所にあったとか。


10.御堂筋に向かうと、角に蜆橋跡。


11.大江橋からの望む難波小橋のあったであろう場所(赤い丸のところ?)。


全行程1時間弱。
高いビルが立ち並んでいて、面影がすっかりなくなっていますが、地図を片手に歩いてみるとなかなか面白かったです。


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