ガレージのoff life

体力と根性の無いオイラのOFFタイム

牡鹿半島にボランティア

2011年05月31日 | Weblog

早めに被災地のお手伝いに行きたかったのですが

仕事の調整が付けられず5月の中旬となってしまいました。

3時ごろ山形を出発して石巻には薄暗くなったころに着きガソリンを満タンにして

コンビニの弁当で夕食をすませ石巻で車中泊しました。

目的は牡鹿町でのボランティアです。半島の先っちょの漁港の町 陸の孤島の様なところです。

石巻も大変な状態なのですが津波に合わない所はお店もありますし、

ガソリンだって入れることができます。

でも、牡鹿半島は街は破壊され壊滅状態  お店一軒ないのです。

こんな悲惨な所で助かった人たちは懸命に生活をしているのです。

オイラは自分に出来ること 大工道具を一通りもっていきました。 

 

 牡鹿半島には一週間いました。その間いろんなお手伝いをさせてもらいました。

上の写真の支援物資の展示店(ゼロ円バザー会場)もオイラ一人で作りました。

そのほか公民館の破壊された窓を塞いだりテーブルを作ったり

頼まれたものを今ある材料で工夫してなんでもしてきました。

ボランティアのかた皆さんが一人一人が小さなことを少しづつ被災地の復興に向かって

ガンバっていました。

毎日 三度サンドの食事がこんな調子の食事です。

カップラーメンとオニギリとレトルトのカレーの繰り返しで過ごしてきました。

いささか ウンザリしてきます。

一週間 車の中での宿泊でした。テントも持っていったのですが使いませんでした。

ボランティアセンターにはまだ電気が通っていません。風呂もありません。

皆んなそれでも一生懸命にガンバっています。

お金を貰えるわけでもなく、自費で大阪や岐阜、長崎と色んな所から来てガンバっているのです。

石巻はボランティアが7〜800人いるそうです。牡鹿は長期でいるひとは10人前後です。

これでは復興も地域差が出てくるのも当然です。

デーモン小暮閣下が牡鹿町に慰問に来てくれました。

敢えて 人が行かないような所を選んで来てくれたみたいです。

こんな田舎には似合わない様ににも思われますが我々ボランティアの指揮はあがりました。

まだ、手の付けられていない街、復興はこれからです。

6月にまた行きます。少なくても3回は行こうと思っています。

仕事の調整をどお付けるかです……

また お手伝いさせてください(o・・o)/~