その邸宅を訪れる者は今も昔も少なかった。以前には、邸の主がほぼ留守にしていたゆえの事であったのだが、現在はそうではなかった。
主は静かに暮らすことを望んだ。家政婦が一人、食事の支度のために寝泊りしているが、あまり言葉は交わさなかった。新聞を読み、コーヒーをすすり、安楽椅子に座って音楽を聴いて過ごした。それでも良かったのだ。かれはすでにひとつの時代を生き抜いた者なのだから。
コーネリア首都郊外の閑静な住宅地の一角に、つややかな緑につつまれて邸宅はたたずんでいる。表札の上にはツタが生い茂り、かつてはその名とともにあった栄光までも覆い隠してしまっているようだった。あるいはそれも、主が望んだことなのかもしれない。
永遠を内包しているかのような、穏やかな静けさ――。だがそれも、長くは続かないようだ。邸宅の主が胸中に秘める、秘密の巨大さゆえに。
夜霧が街路樹の枝葉を濡らす夜更け。街灯に照らし出される夜霧を、赤茶けたコートでかきわけながら、近づくひとつの影。
影は邸宅の門柱の前で立ち止まり……からみあったツタの下に隠された表札の名前を確認することもせず、呼び鈴を鳴らした。
一言、二言、インターホン越しの言葉を交わした後、影は錆びついた金属の正門を開き、邸宅の敷地へと足を踏み入れる。玄関の扉が内側から開けられ、家政婦が顔を出して深夜の来訪者を招きいれた。
「向かって左の扉が応接間――」
家政婦は最後まで言えなかった。赤茶けたコートの男が、てのひらの内に納まる金色の何かを懐から取り出し、家政婦の鼻先にうすい紫の霧を噴射した。そのひと吹きで家政婦は昏倒した。
ぐらりと傾いたその体を、夜霧に濡れた腕が羽毛のように支えた。