最近はいつも疲れていて、仕事も多くて本を読むこともできなかった。
本というのは、ただ時間があれば読めるというものではない。文字がおりなす世界に没頭するだけの心の余裕がなければ、本は読めない。
せっかくの3連休だが、はじめの2日間は体も心も重くて、本が読めなかった。
3日目の深夜にして、ようやく人心地がついてきた。
そこで読んでいるのがこれだ、『異形コレクション 獣人』(光文社文庫)。
二十数人の作家が怖い話ばかりを書き下ろして発刊される『異形コレクション』のなかの一つ。
なんで、怖いとわかっているのにわざわざ怖い話を読みたくなるのだろうか。
恐怖がなければ生きる実感を味わえないからだろうか。もしかしたら、恐怖を実感できなくなることが最も恐ろしいことだと、本能的に分かっているからだろうか。それとも、いちど恐怖の味を知ってしまうと、脳が刺激に慣れ、さらなる恐怖を追い求めずにいられなくなるからだろうか。
小学生のとき、放課後の誰もいなくなった教師で、怖いと思いながらも江戸川乱歩の小説を読まずにいられなかったことを思い出すな。(もっともあのシリーズは、表紙の絵がやたらに怖いだけで、中身はそんなに怖くないのだが)
本を読んでいると不思議と心身が癒される。つくりごとの物語かもしれないが、その中に綴られている人間の感情、心の動きが本物であれば、物語は真実になりえる。
現実世界とは別の世界に身を浸しているうちに、現実を生きる間に降りつもった疲れが洗い流されるんだ。
それはなんと幸せな時間であることか。
明日からは、また忙しい日々が始まるだろう。その前に、もう一編くらい、獣人の恐怖を味わうとしよう。
本というのは、ただ時間があれば読めるというものではない。文字がおりなす世界に没頭するだけの心の余裕がなければ、本は読めない。
せっかくの3連休だが、はじめの2日間は体も心も重くて、本が読めなかった。
3日目の深夜にして、ようやく人心地がついてきた。
そこで読んでいるのがこれだ、『異形コレクション 獣人』(光文社文庫)。
二十数人の作家が怖い話ばかりを書き下ろして発刊される『異形コレクション』のなかの一つ。
なんで、怖いとわかっているのにわざわざ怖い話を読みたくなるのだろうか。
恐怖がなければ生きる実感を味わえないからだろうか。もしかしたら、恐怖を実感できなくなることが最も恐ろしいことだと、本能的に分かっているからだろうか。それとも、いちど恐怖の味を知ってしまうと、脳が刺激に慣れ、さらなる恐怖を追い求めずにいられなくなるからだろうか。
小学生のとき、放課後の誰もいなくなった教師で、怖いと思いながらも江戸川乱歩の小説を読まずにいられなかったことを思い出すな。(もっともあのシリーズは、表紙の絵がやたらに怖いだけで、中身はそんなに怖くないのだが)
本を読んでいると不思議と心身が癒される。つくりごとの物語かもしれないが、その中に綴られている人間の感情、心の動きが本物であれば、物語は真実になりえる。
現実世界とは別の世界に身を浸しているうちに、現実を生きる間に降りつもった疲れが洗い流されるんだ。
それはなんと幸せな時間であることか。
明日からは、また忙しい日々が始まるだろう。その前に、もう一編くらい、獣人の恐怖を味わうとしよう。