⑤ シルバー
ゼランドールの街には大きな工場群がある。その一つがジャングルという精肉工場。アーサー・ミラー社長の下売り上げを伸ばしている大工場である。ゼランドールの若者の多くはここをはじめとするミラー系列の企業に働いている。この街はミラー家の城下町でもある。
荒っぽい精肉工場の中では事故は多かった。ミンチを作る大型ローラーに夜間作業員のブラックの腕が引き込まれたのも、工場のオーナーにとってはありふれた事故に過ぎなかった。ブラックの腕は豚の肉と同じレベルまでつぶされた。「医者だ」と叫ぶ作業員の中、工場の主任は「機械をとめるな」と怒鳴りつけた。思わず主任を殴り倒したバイトのサムは骨も肉も同じ大きさにつぶされたブラックの腕に目の前が真っ暗になった。
(こいつは、チャンプになれる男だったのに、ここで死んじまうのか。)
「そうだ!シルバーならブラックを助けてくれる!」
シルバーは少し前からサムとブラックの通うジムに出入りするようになった若者だった。金髪銀目の冷たくすらみえる美顔を持つ彼は、腕の立つ錬金術師であった。シルバーというのが本名かどうかはわからない。サムもそうだが、この街では名前は記号に過ぎない。
彼はいきなりジムに来て、ブラックと3時間も打ち合ったあと、「リングの中ならこいつ(ブラック)の勝ちだな」と言いリングロープを利用したとはいえ10メートルも跳び、通りの向こうへ姿を消してしまった。次にサムが見たときは、シルバーはぼろぼろになったジムのメンバーを錬金術で治療していた。さっきまで呻いていたけが人が、青い光に包まれたかと思うと傷跡すらなく完治している。それはサムが始めてみる錬金治癒の風景だった。後で聞くとシルバーはジムのオーナーに実戦用に鍛えなおしたいといい、交換条件として怪我人は全部治すといった。実際、まったく容赦のない彼は怪我人を量産した。そして帰る前に傷あと一つ残さずきれいに治していった。
「シルバー!助けてくれ!ブラックがミンチの機械で腕をつぶされた。出血がひどい。あのままだと死んじまう!」リング内にいた彼は振り向くと同時に走り出した。
サムとシルバーが工場についたのは、事故から15分後であった。
精肉工場はいつも血と腐敗のにおいがしていた。そのにおいの中、床に転がされたままのブラックは、人いうより食肉蓄と同じ扱いを受けていた。
(まずいな、ショック状態を起こしかけてる)
「おい、ブラック聞こえるか、すぐ痛むのは止めてやる。次の試合に出たいなら絶対動くな。」
(チッ、まだ完成していない技だが止むを得ないな。共鳴を使うか)
どこに隠し持っていたのか小型のナイフを出す。シルバーと呼ばれていたラッセルは左手首を薄く切った。滴り落ちる血でブラックの周りに血の錬成陣を描く。青い錬成光が血の陣の内側に満たされる。それは奇妙な光景だった。通常なら数秒で消えるはずの錬成光がラッセルとブラックを包み込むようにいつまでも残っている。水のように見える濃い光である。その光の中、苦痛に気を失っていたはずのブラックの目に強い光が戻る。
「シルバー、俺の腕はだめみたいだな」
「あきらめるな、俺が直す。次の試合に出してやる。」
「骨もぐちゃぐちゃだぜ。できるのかよ」
「うるさいやつだな。錬金術の可能性に限界はない。痛くなくなったんなら黙って見てろ」
「そうだな、お前に任す」
「いくぞ」
ラッセルはミンチ状になった腕に手をついた。青い錬成光が連続して放たれた。
サムや行員達の見ている前で1度青い光が放たれるごとにミンチ状につぶれ骨片となった腕が修復されていく。1回打つごとにラッセルは青ざめていく。
「すげぇな。錬金術師はみんなあんなことができるのかよ。」
「いや、俺田舎で流しの治癒師にかかったけどあんなことできなかった。」
「あの金髪凄腕なのか。」
「多分、いや絶対そうだ。」
ざわめく行員達の声はラッセルには聞こえない。彼は血に染まった手でわずらわしげに前髪をかきあげた。
(後一度、打ち込めばこいつの腕は治る。あとたった一度でいい)
だが、疲れきった彼にはその一度が打ち込めない。
荒くなった息を無理やり整える。
(たった、1度でいいんだ、ここまで来てあきらめられるものか。あいつなら、絶対あきらめない。 絶対直してやる)
「おい、シルバー、お前真っ青だぜ。大丈夫かよ」
治療を受けているブラックは、まったく苦痛を感じていない。平気な顔で問いかけた。
「あまり、大丈夫とはいえないな。悪いが、共鳴を切る。痛むのは我慢しろ。」
ラッセルは視線を集まって見ている工員達に向けた。
「おいそこの若いの。こいつを押さえつけとけ。治療済みのところまでは触ってもいいから腕も押さえろ。」
工員達は突然現れたこの錬金術師がなぜ自分たちに命令するのかまるっきり理解できなかった。しかし、彼の天性のカリスマともいうべきオーラと堂々たる態度にしたがっていた。
「よし、共鳴を切る、暴れるからしっかり抑えろ」
血で描かれた練成陣が音もなく、消えた。同時に余裕の表情でいたブラックが、苦悶する。押さえつけていた若者達が慌てて力を加える。ブラックの口から悲鳴が漏れた。
「後、一度だ。我慢しろ。 いくぞ」
ラッセルはすでに熱くなっている左肩の練成陣に集中する。幾度もの打ち合いで感じたブラックの腕を完全な形でイメージする。
(よし)
青い光が、薄暗い食肉工場を輝かした。
ラッセルが次に見たのは、見慣れたジムの2階の天井だった。左肩が熱い。全身が異常に重い。息をするたびに胸が痛む。
(どうやら、患者の前で倒れたのか。情けないな。あの程度の治癒で、気を失ったとは。 原因は、<共鳴>か。あれは、体力を食いつぶすということだな。治癒と共鳴同時にするのは無理があるか。俺は共鳴だけにして、治癒はフレッチャーにさせるとするか。)
「シルバー、起きたのか、よかった。お前冷たくなっていたんだ。あのまま死んじまうかと思った。」
ブラックが、直してやったばかりの腕を差し出した。
(筋肉、血管、神経、血圧、毛細管、比重、水分圧、骨密度、蛋白、カルシウム組成率。よし、合格)
差し出された手を握り、ラッセルは手早く修復率を計算する。
「打ち合えるな?」
いきなり尋ねた。
「あぁ、さっきサムと軽く打ち合った。完全だ」
「まだ、許可を出した覚えはない。」
「お前の治癒に失敗があったことなんかなかっただろ」
「いい加減な患者だな」
「第一お前をここまで抱いてきたの俺だぜ。おっそろしく軽いな。まともに飯食っているのか。」
「人事だろ。ほっといてくれ。」
倒れたこともだが、抱かれていたということに、彼のプライドがより強く反発する。
「ま、お前が自分のことに口出しされるのが大嫌いなことぐらい知っているけどな。」
そこまで言ったところでラッセルはブラックの腕を利用してようやく起き上がった。
ブラックは知っていた。うかつに助け起こしたりしたら、このプライドの高い青年はおそらくもう2度と姿すら見せなくなる。
ラッセルはもうブラックのほうを見もせずに言った。
「用は済んだ。帰る。」
言い終えると、幾分ふらつきながら立ち上がる。サムが精一杯の感謝の念を込めて差し出した濡れタオルで手にこびりついた血糊をぬぐうと夜明け近い街に溶けるように去った。
10年後、3体重別クラスと無差別クラスで4本のベルトを最高8年所有したブラックは、現役引退パーティに招待するため旧い友人を探した。行き着いた相手がスポーツ界が最も嫌う軍人でそれもアメストリスで一番若い英雄と呼ばれるラッセル・トリンガムであったことは、どちらにとってより不本意であったのか。その後の記録はない。
⑥ ゼノタイムの奇跡へ
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ゼランドールの街には大きな工場群がある。その一つがジャングルという精肉工場。アーサー・ミラー社長の下売り上げを伸ばしている大工場である。ゼランドールの若者の多くはここをはじめとするミラー系列の企業に働いている。この街はミラー家の城下町でもある。
荒っぽい精肉工場の中では事故は多かった。ミンチを作る大型ローラーに夜間作業員のブラックの腕が引き込まれたのも、工場のオーナーにとってはありふれた事故に過ぎなかった。ブラックの腕は豚の肉と同じレベルまでつぶされた。「医者だ」と叫ぶ作業員の中、工場の主任は「機械をとめるな」と怒鳴りつけた。思わず主任を殴り倒したバイトのサムは骨も肉も同じ大きさにつぶされたブラックの腕に目の前が真っ暗になった。
(こいつは、チャンプになれる男だったのに、ここで死んじまうのか。)
「そうだ!シルバーならブラックを助けてくれる!」
シルバーは少し前からサムとブラックの通うジムに出入りするようになった若者だった。金髪銀目の冷たくすらみえる美顔を持つ彼は、腕の立つ錬金術師であった。シルバーというのが本名かどうかはわからない。サムもそうだが、この街では名前は記号に過ぎない。
彼はいきなりジムに来て、ブラックと3時間も打ち合ったあと、「リングの中ならこいつ(ブラック)の勝ちだな」と言いリングロープを利用したとはいえ10メートルも跳び、通りの向こうへ姿を消してしまった。次にサムが見たときは、シルバーはぼろぼろになったジムのメンバーを錬金術で治療していた。さっきまで呻いていたけが人が、青い光に包まれたかと思うと傷跡すらなく完治している。それはサムが始めてみる錬金治癒の風景だった。後で聞くとシルバーはジムのオーナーに実戦用に鍛えなおしたいといい、交換条件として怪我人は全部治すといった。実際、まったく容赦のない彼は怪我人を量産した。そして帰る前に傷あと一つ残さずきれいに治していった。
「シルバー!助けてくれ!ブラックがミンチの機械で腕をつぶされた。出血がひどい。あのままだと死んじまう!」リング内にいた彼は振り向くと同時に走り出した。
サムとシルバーが工場についたのは、事故から15分後であった。
精肉工場はいつも血と腐敗のにおいがしていた。そのにおいの中、床に転がされたままのブラックは、人いうより食肉蓄と同じ扱いを受けていた。
(まずいな、ショック状態を起こしかけてる)
「おい、ブラック聞こえるか、すぐ痛むのは止めてやる。次の試合に出たいなら絶対動くな。」
(チッ、まだ完成していない技だが止むを得ないな。共鳴を使うか)
どこに隠し持っていたのか小型のナイフを出す。シルバーと呼ばれていたラッセルは左手首を薄く切った。滴り落ちる血でブラックの周りに血の錬成陣を描く。青い錬成光が血の陣の内側に満たされる。それは奇妙な光景だった。通常なら数秒で消えるはずの錬成光がラッセルとブラックを包み込むようにいつまでも残っている。水のように見える濃い光である。その光の中、苦痛に気を失っていたはずのブラックの目に強い光が戻る。
「シルバー、俺の腕はだめみたいだな」
「あきらめるな、俺が直す。次の試合に出してやる。」
「骨もぐちゃぐちゃだぜ。できるのかよ」
「うるさいやつだな。錬金術の可能性に限界はない。痛くなくなったんなら黙って見てろ」
「そうだな、お前に任す」
「いくぞ」
ラッセルはミンチ状になった腕に手をついた。青い錬成光が連続して放たれた。
サムや行員達の見ている前で1度青い光が放たれるごとにミンチ状につぶれ骨片となった腕が修復されていく。1回打つごとにラッセルは青ざめていく。
「すげぇな。錬金術師はみんなあんなことができるのかよ。」
「いや、俺田舎で流しの治癒師にかかったけどあんなことできなかった。」
「あの金髪凄腕なのか。」
「多分、いや絶対そうだ。」
ざわめく行員達の声はラッセルには聞こえない。彼は血に染まった手でわずらわしげに前髪をかきあげた。
(後一度、打ち込めばこいつの腕は治る。あとたった一度でいい)
だが、疲れきった彼にはその一度が打ち込めない。
荒くなった息を無理やり整える。
(たった、1度でいいんだ、ここまで来てあきらめられるものか。あいつなら、絶対あきらめない。 絶対直してやる)
「おい、シルバー、お前真っ青だぜ。大丈夫かよ」
治療を受けているブラックは、まったく苦痛を感じていない。平気な顔で問いかけた。
「あまり、大丈夫とはいえないな。悪いが、共鳴を切る。痛むのは我慢しろ。」
ラッセルは視線を集まって見ている工員達に向けた。
「おいそこの若いの。こいつを押さえつけとけ。治療済みのところまでは触ってもいいから腕も押さえろ。」
工員達は突然現れたこの錬金術師がなぜ自分たちに命令するのかまるっきり理解できなかった。しかし、彼の天性のカリスマともいうべきオーラと堂々たる態度にしたがっていた。
「よし、共鳴を切る、暴れるからしっかり抑えろ」
血で描かれた練成陣が音もなく、消えた。同時に余裕の表情でいたブラックが、苦悶する。押さえつけていた若者達が慌てて力を加える。ブラックの口から悲鳴が漏れた。
「後、一度だ。我慢しろ。 いくぞ」
ラッセルはすでに熱くなっている左肩の練成陣に集中する。幾度もの打ち合いで感じたブラックの腕を完全な形でイメージする。
(よし)
青い光が、薄暗い食肉工場を輝かした。
ラッセルが次に見たのは、見慣れたジムの2階の天井だった。左肩が熱い。全身が異常に重い。息をするたびに胸が痛む。
(どうやら、患者の前で倒れたのか。情けないな。あの程度の治癒で、気を失ったとは。 原因は、<共鳴>か。あれは、体力を食いつぶすということだな。治癒と共鳴同時にするのは無理があるか。俺は共鳴だけにして、治癒はフレッチャーにさせるとするか。)
「シルバー、起きたのか、よかった。お前冷たくなっていたんだ。あのまま死んじまうかと思った。」
ブラックが、直してやったばかりの腕を差し出した。
(筋肉、血管、神経、血圧、毛細管、比重、水分圧、骨密度、蛋白、カルシウム組成率。よし、合格)
差し出された手を握り、ラッセルは手早く修復率を計算する。
「打ち合えるな?」
いきなり尋ねた。
「あぁ、さっきサムと軽く打ち合った。完全だ」
「まだ、許可を出した覚えはない。」
「お前の治癒に失敗があったことなんかなかっただろ」
「いい加減な患者だな」
「第一お前をここまで抱いてきたの俺だぜ。おっそろしく軽いな。まともに飯食っているのか。」
「人事だろ。ほっといてくれ。」
倒れたこともだが、抱かれていたということに、彼のプライドがより強く反発する。
「ま、お前が自分のことに口出しされるのが大嫌いなことぐらい知っているけどな。」
そこまで言ったところでラッセルはブラックの腕を利用してようやく起き上がった。
ブラックは知っていた。うかつに助け起こしたりしたら、このプライドの高い青年はおそらくもう2度と姿すら見せなくなる。
ラッセルはもうブラックのほうを見もせずに言った。
「用は済んだ。帰る。」
言い終えると、幾分ふらつきながら立ち上がる。サムが精一杯の感謝の念を込めて差し出した濡れタオルで手にこびりついた血糊をぬぐうと夜明け近い街に溶けるように去った。
10年後、3体重別クラスと無差別クラスで4本のベルトを最高8年所有したブラックは、現役引退パーティに招待するため旧い友人を探した。行き着いた相手がスポーツ界が最も嫌う軍人でそれもアメストリスで一番若い英雄と呼ばれるラッセル・トリンガムであったことは、どちらにとってより不本意であったのか。その後の記録はない。
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