(その2)の最後のあらすじ・・・
10月3日(木)、私は疲れ果ててしまい、無断で休んでしまった。責任感も何もあったものでなかった。私が担当している仕事がどれだけ忙しいか、「見せしめも時には必要だ。ストライキだ」とそれ程まで思った。
(その3)
・1968年10月4日(金)~いつもの様に午後4時にレストランへ行った。マネージャーから、「昨日はどうして休んだのだ」と言われた。「頭が痛かった」と言い訳をして逃れたが、既に私のポジションは剥奪されていた。オックスフォード店には9月21日から10月2日まで、月曜日を除いて10日間働いただけであった。
幸いにも首にならず、直ぐにヴィクトリア地区の同系レストランへ出張を命じられた。住所を教えて貰ったが、その場所への行き方、交通地理が分らず、何回も聞きながらやっと辿り着いた。
地下鉄やバスを使って行ったのであるが、自腹を切ってしまった。指定された場所以外の場所へ出張を命じる場合は、交通費を出すのが当然であると思った。会社がケチなのか、臨時雇いの私をバカにして出さないのか、請求しなかったから出さなかったのか、私には分からなかった。『交通費を請求すれば良かった』と後で悔やんだ。
・10月5日(土)~昨日来た時、「明日、午前9時に来てくれ」と言われ、今日もヴィクトリア店に来た。しかしここでの私の仕事は全くなかった。今度はEarls Court(アールス コート地区)のレストランへ又、出張を命ぜられた。
昨日の事もあったので、マネージャーに、「私はお金を持っていません。そこへ行くまでの交通費を下さい」と今度は請求したら、キッチリ片道のバス代を渡してくれた。
『出張時間は、労働時間に換算されるべきだ』と思っていた。しかし後日、給与明細を見たら含まれていなかった。「出張時間も労働時間に含めるべきだ」と労働条件を主張したいのであるが、そこまでは言いませんでした。否、私は彼等にそれを主張する、そこまでの英語力がなかった、と言った方が正解であった。それにしても、『全くケチな会社だ』とつくづく思った。
学生時代、イギリスは「ゆりかごから墓場まで」と言われるほど社会保障が充実している国であると教わった。しかし労働党が強い、労働者意識が高い、労働条件が整っているイギリスであっても、皿洗い如きの仕事人は、労働者としての身分、資格、労働条件等、何も保証されていないのであった。
*ウィンピー ハウス レストランの仕事~オックスフォード ストリート店の話(その4)へ続く
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