昨日は入学説明会でした。
入学までの心構えや
入学してからの話と
学用品、体操服、ピアニカの
販売でした。
その点は普通だと思いました。
しかし!
講演会の内容が
とても興味深いものでした。
お題は
「キレない子どもの育て方」
今はおとなしい子のほうが
問題なんだそうです。
いじめられていじめられて
我慢の限界を超えて
「反撃」にでます。
それが「キレる」という
ことだそうです。
その方法が「暴力」という
形になり、被害者が出ることが
あるそうです。
なぜ「キレる」のでしょうか?
人は思っていること、考えていることを
「言葉」にして相手に伝えます。
でも日本人の多くは「以心伝心」と言って
相手にことばで伝えなくてもわかってくれることを
好む傾向がつよいそうです。
欧米人は、たとえば「好き」ということを
言葉にだします。
わたしたちは、恥ずかしくてそんなに
言いませんね。
それとは逆に「いや」という気持ちは
どうでしょうか?
キレるという状態はどんなものなのか?
思っていること、考えていることを
「ことば」を使わないで伝えようと
します。
それが「肉体表現」という表現になるそうです。
その最たる時期が2~3歳児の「いやいや星人」。
この時期の子は、ことばを出して相手に思いを
伝えることができなくて、「肉体表現」にて
伝えようとします。
おもに「おもちゃの取り合い」「かみつく」
「たたく」といったトラブルが多いです。
この時期のお母さんたちに、先生は
「もう少しの我慢だからね」と
アドバイスなさるそうです。
こんなことがあったそうです。
2歳の子と出かけようと玄関で
靴を履かせて、戸をあけようとしたら
突然その子が大声で
泣きわめきだしました。
お母さん、なぜかわかりません。
その子はただこんなことを
思っていたようです。
右側から靴を履きたかったのに
お母さんは左側から靴を履かせて
しまったものだから
気持ち悪くて、「大声で泣く」という
表現でお母さんに「いや」という
気持ちを伝えようとしただけの
ようです。
このくらいの子はこだわりがあって
伝わらないと暴れたりするのです。
納得です。
なぜか似たような経験を
今もしてるんですけど・・・。
あははは・・・。
しかし4歳くらいにもなると
「靴、こっちから履く」と
言葉で思いを伝えられるようになり
「肉体表現」に出ることが
なくなっていく。
だからお母さんたちに「もうすこしの我慢」
とアドバイスなさるそうです。
私たち親は赤ちゃんのころから
子どもたちのことを見ているので
「解っている」ような気がするだけ
なんだそうです。
でもしっかりと自分の思っていることを
伝えられる子とそうでない子がいます。
こんな絵本が紹介されました。
「となりのせきのますだくん」という本です。
「となりのせきのますだくん」(ポプラ社)
このお話は
「わたし、きょう、学校へいけない気がする。
だって・・・。となりの席のますだくんが
怖くてしかたないみほちゃん。」
とはじまります。
学校に行きたくないんだけど
病気になった気がするんだけど
お母さんが学校に送り出し
仕方なく学校に行き
ますだくんとトラブルになってしまう
お話です。
みほちゃんは消しゴムを
ますだくんに投げるんですが
これが実際にかさを投げて
目に大怪我を負わせてしまったという
お話があるようです。
なぜ消しゴムを投げたか?
それはますだくんがみほちゃんの
鉛筆を折ってしまったからみたいです。
(絵本が小さくてよくわからなかった・・・)
それは単に引き金であって
我慢の限界を超えてしまったので
消しゴムを投げてしまった
ということでした。
みほちゃんは、自分の思いや考えを
話せない子でした。
なので、
・学校に行きたくないことを
言えない。
・ますだくんに「やめて」と言えない。
・自分は「こっちがいい」と言えない。
「言っても、どうせ・・・」お母さんは聞いてくれない。
「言ったら、どうせ・・・」ますだくんは怒ってまたいじめられる。
みほちゃんはつねに不安だったのです。
いやっといって関係が壊れてしまうのを。
この本から私たち親は何を学ぶのか?
自分の意見が言えない子にとって
学校は戦場みたいなものだし
ストレスがたまる。
家に帰っても親が
「宿題は?」「歯磨きは?」「早く」と
矢継ぎ早に指示、命令、叱責する。
家は安心できる場所でなければならないこと。
学校で疲れ果てているのに
家でも休めなかったらかわいそう。
小学生はランドセルを背負ったら
学校に行くしかない。
学校から疲れて帰ってくるので
「おかえり」と言ってやって労をねぎらってあげることといわれました。
そうすれば安心して
「この人に言っても大丈夫」と
自分の思っていることを伝えて
くれるようになる。
いやなことをされても「やめて」と言える子にしてあげることで
学校での生活もトラブルを
防げるのではないかということでしょうか?
かの有名な俵万智さんの詩も
紹介されました。
『「寒いね」と 答える人のいる あたたかさ』
これは「寒いね」というと
「そうだね」言ってくれる人が
いるといいね。と言うことを
詠った詩だそうです。
家に帰ってきて話が聞いてあげられる家にしましょうと
いうことですね。
さきに言ったように、私たち親は
「早く起きて」
「早くご飯食べて」
「ランドセルは?」
「早くして」
とせかせか学校に送り出します。
指示、命令、叱責の三本柱です。
「会話として成り立っていないよ。それは。」
と言っておられました。
耳が痛いはなしです。
私たちの都合で子どもたちを負いたて
会話もろくにしないから
言葉も育たない。
かといって、ゆっくりもできないので
これは対処に困る話で
反省しても繰り返してしまいます。絶対。
朝は仕方ないにしても
帰ってきてからでも
話をゆっくり聞いてやれるように
してあげないといけないですね。
きっとすぐ忘れてしまうでしょうが・・・。
いじめられてる子に、「しっかりしろ」だの「がんばって」だの言ってはいけないそうです。
うむむ。これもどこかで聞いたような話。
大人の「うつ病」などの症状の人に
こういう言葉をかけないようにと
言われたことがあります。
いっしょにするのはおかしいけれど
NGワードは同じなんですね。
「となりのせきのますだくん」には
続編があります。
「ますだくんのランドセル」というお話にも
自分のことが言えないみほちゃんと
対照的なますだくんのことが
書かれているようです。
ますだくん(3歳)がおねえちゃんに
「ランドセルちょうだいね」と約束します。
小学生になり、お父さんたちみんな
「そんなぼろぼろより新しいのを買ってやるから」
といわれますが、お姉ちゃんの赤いランドセルが
好きで、それを背負って学校に通います。
みほちゃんといえば
お母さんがランドセル売り場で
「こんな赤いの、ありふれてるわ」と言い
「こっちなんてどう?いいんじゃない?」
と水色のランドセルを勧めます。
みほちゃんは「赤いののほうがいい」と
言えなくて、(言ったら怒られる・・・)と
だまっていて、その水色のランドセルを
買ってもらってしまいました。
と言う内容だそうです。
私も読んでみたいです。
だけど講師の小池先生のように
考えられるのか?というと
ちょっと無理かな?
今までいろんな話を後援で聞いてきたけれど
ここまで自分の生活に根付いた話は
あったことがなかった気がする。
感動しました。
この小学校の先生が
講師の方にこのお題を
選んで頼まれたそうです。
すこし期待してもいいのかな?
特別支援のほうは
まだ何もお知らせすることは
ありません。といわれました。
4月にならないとどうしようもないとの
ことでした。
特別支援学級の教室は
今は低学年用図書として
開放されている部屋を
改装なさるそうです。
それが電車の線路がよく見える
部屋なんです。
授業中、立ち上がって電車を
眺めることでしょう・・・。
いちかの教室とすぐそばなので
いちかのほうが気になります。
それこそ「家に帰ってきたら話が聞いてやれる」
余裕をわたしが持たなくてはならないと
いうことです。
学校に行くのがいやで、行かなくてもいい理由を
かんがえる絵本のみほちゃんのようにならないよう
がんばりたいと思います。
入学までの心構えや
入学してからの話と
学用品、体操服、ピアニカの
販売でした。
その点は普通だと思いました。
しかし!
講演会の内容が
とても興味深いものでした。
お題は
「キレない子どもの育て方」
今はおとなしい子のほうが
問題なんだそうです。
いじめられていじめられて
我慢の限界を超えて
「反撃」にでます。
それが「キレる」という
ことだそうです。
その方法が「暴力」という
形になり、被害者が出ることが
あるそうです。
なぜ「キレる」のでしょうか?
人は思っていること、考えていることを
「言葉」にして相手に伝えます。
でも日本人の多くは「以心伝心」と言って
相手にことばで伝えなくてもわかってくれることを
好む傾向がつよいそうです。
欧米人は、たとえば「好き」ということを
言葉にだします。
わたしたちは、恥ずかしくてそんなに
言いませんね。
それとは逆に「いや」という気持ちは
どうでしょうか?
キレるという状態はどんなものなのか?
思っていること、考えていることを
「ことば」を使わないで伝えようと
します。
それが「肉体表現」という表現になるそうです。
その最たる時期が2~3歳児の「いやいや星人」。
この時期の子は、ことばを出して相手に思いを
伝えることができなくて、「肉体表現」にて
伝えようとします。
おもに「おもちゃの取り合い」「かみつく」
「たたく」といったトラブルが多いです。
この時期のお母さんたちに、先生は
「もう少しの我慢だからね」と
アドバイスなさるそうです。
こんなことがあったそうです。
2歳の子と出かけようと玄関で
靴を履かせて、戸をあけようとしたら
突然その子が大声で
泣きわめきだしました。
お母さん、なぜかわかりません。
その子はただこんなことを
思っていたようです。
右側から靴を履きたかったのに
お母さんは左側から靴を履かせて
しまったものだから
気持ち悪くて、「大声で泣く」という
表現でお母さんに「いや」という
気持ちを伝えようとしただけの
ようです。
このくらいの子はこだわりがあって
伝わらないと暴れたりするのです。
納得です。
なぜか似たような経験を
今もしてるんですけど・・・。
あははは・・・。
しかし4歳くらいにもなると
「靴、こっちから履く」と
言葉で思いを伝えられるようになり
「肉体表現」に出ることが
なくなっていく。
だからお母さんたちに「もうすこしの我慢」
とアドバイスなさるそうです。
私たち親は赤ちゃんのころから
子どもたちのことを見ているので
「解っている」ような気がするだけ
なんだそうです。
でもしっかりと自分の思っていることを
伝えられる子とそうでない子がいます。
こんな絵本が紹介されました。
「となりのせきのますだくん」という本です。
「となりのせきのますだくん」(ポプラ社)
このお話は
「わたし、きょう、学校へいけない気がする。
だって・・・。となりの席のますだくんが
怖くてしかたないみほちゃん。」
とはじまります。
学校に行きたくないんだけど
病気になった気がするんだけど
お母さんが学校に送り出し
仕方なく学校に行き
ますだくんとトラブルになってしまう
お話です。
みほちゃんは消しゴムを
ますだくんに投げるんですが
これが実際にかさを投げて
目に大怪我を負わせてしまったという
お話があるようです。
なぜ消しゴムを投げたか?
それはますだくんがみほちゃんの
鉛筆を折ってしまったからみたいです。
(絵本が小さくてよくわからなかった・・・)
それは単に引き金であって
我慢の限界を超えてしまったので
消しゴムを投げてしまった
ということでした。
みほちゃんは、自分の思いや考えを
話せない子でした。
なので、
・学校に行きたくないことを
言えない。
・ますだくんに「やめて」と言えない。
・自分は「こっちがいい」と言えない。
「言っても、どうせ・・・」お母さんは聞いてくれない。
「言ったら、どうせ・・・」ますだくんは怒ってまたいじめられる。
みほちゃんはつねに不安だったのです。
いやっといって関係が壊れてしまうのを。
この本から私たち親は何を学ぶのか?
自分の意見が言えない子にとって
学校は戦場みたいなものだし
ストレスがたまる。
家に帰っても親が
「宿題は?」「歯磨きは?」「早く」と
矢継ぎ早に指示、命令、叱責する。
家は安心できる場所でなければならないこと。
学校で疲れ果てているのに
家でも休めなかったらかわいそう。
小学生はランドセルを背負ったら
学校に行くしかない。
学校から疲れて帰ってくるので
「おかえり」と言ってやって労をねぎらってあげることといわれました。
そうすれば安心して
「この人に言っても大丈夫」と
自分の思っていることを伝えて
くれるようになる。
いやなことをされても「やめて」と言える子にしてあげることで
学校での生活もトラブルを
防げるのではないかということでしょうか?
かの有名な俵万智さんの詩も
紹介されました。
『「寒いね」と 答える人のいる あたたかさ』
これは「寒いね」というと
「そうだね」言ってくれる人が
いるといいね。と言うことを
詠った詩だそうです。
家に帰ってきて話が聞いてあげられる家にしましょうと
いうことですね。
さきに言ったように、私たち親は
「早く起きて」
「早くご飯食べて」
「ランドセルは?」
「早くして」
とせかせか学校に送り出します。
指示、命令、叱責の三本柱です。
「会話として成り立っていないよ。それは。」
と言っておられました。
耳が痛いはなしです。
私たちの都合で子どもたちを負いたて
会話もろくにしないから
言葉も育たない。
かといって、ゆっくりもできないので
これは対処に困る話で
反省しても繰り返してしまいます。絶対。
朝は仕方ないにしても
帰ってきてからでも
話をゆっくり聞いてやれるように
してあげないといけないですね。
きっとすぐ忘れてしまうでしょうが・・・。
いじめられてる子に、「しっかりしろ」だの「がんばって」だの言ってはいけないそうです。
うむむ。これもどこかで聞いたような話。
大人の「うつ病」などの症状の人に
こういう言葉をかけないようにと
言われたことがあります。
いっしょにするのはおかしいけれど
NGワードは同じなんですね。
「となりのせきのますだくん」には
続編があります。
「ますだくんのランドセル」というお話にも
自分のことが言えないみほちゃんと
対照的なますだくんのことが
書かれているようです。
ますだくん(3歳)がおねえちゃんに
「ランドセルちょうだいね」と約束します。
小学生になり、お父さんたちみんな
「そんなぼろぼろより新しいのを買ってやるから」
といわれますが、お姉ちゃんの赤いランドセルが
好きで、それを背負って学校に通います。
みほちゃんといえば
お母さんがランドセル売り場で
「こんな赤いの、ありふれてるわ」と言い
「こっちなんてどう?いいんじゃない?」
と水色のランドセルを勧めます。
みほちゃんは「赤いののほうがいい」と
言えなくて、(言ったら怒られる・・・)と
だまっていて、その水色のランドセルを
買ってもらってしまいました。
と言う内容だそうです。
私も読んでみたいです。
だけど講師の小池先生のように
考えられるのか?というと
ちょっと無理かな?
今までいろんな話を後援で聞いてきたけれど
ここまで自分の生活に根付いた話は
あったことがなかった気がする。
感動しました。
この小学校の先生が
講師の方にこのお題を
選んで頼まれたそうです。
すこし期待してもいいのかな?
特別支援のほうは
まだ何もお知らせすることは
ありません。といわれました。
4月にならないとどうしようもないとの
ことでした。
特別支援学級の教室は
今は低学年用図書として
開放されている部屋を
改装なさるそうです。
それが電車の線路がよく見える
部屋なんです。
授業中、立ち上がって電車を
眺めることでしょう・・・。
いちかの教室とすぐそばなので
いちかのほうが気になります。
それこそ「家に帰ってきたら話が聞いてやれる」
余裕をわたしが持たなくてはならないと
いうことです。
学校に行くのがいやで、行かなくてもいい理由を
かんがえる絵本のみほちゃんのようにならないよう
がんばりたいと思います。