なんきんちの記録

なんきんちの日記

いつか・・・

2007-09-30 19:44:24 | Weblog
うえ二人は今日仲良く遊んでいた。
ポ○モンのはなしで盛り上がっていた。
いちかのレベルが高いのか?
いやいやしょうたろうのレベルが低いのだ。


いちかはいつか思う。
なんでおにいちゃんは違う学校に行ってるの?
なんでおにいちゃんは宿題しないの?
なんでおにいちゃんは子供会行かないの?


きちんと説明できるだろうか?
お兄ちゃんについて。
残念ながら私がいちかにかなり冷たいので
相手の気持ちになれる子には成長していない。


しかもこの地域は障がいに理解はない。
学校からして「障害のある子はそちらの学校へ」
という考え。
とてもじゃないけどその生徒が理解できるはずもない。


いちかもそういう学校に行くんだ。
親は楽だが、そういう人々との接し方が
わからずに育っていく。


私もそうだ。
昨日しょうたろうが引き寄せたのか
障がいのあると見られる男の子が
私に話しかけてきた。
つい避けてしまった。
人のことは言えないのである。


自分が避けてしまうのにうちの子は
どうぞ仲間に入れてやったくださいと
言うのは虫のいい話。


世間は冷たい。
しょうたろうもいつか気づくのだろうか?

アンパンマンショー

2007-09-29 20:31:05 | Weblog
実家がある町が主催の
ふれあいフェスタに
行ってきました。


アンパンマンショーの時間まで
時間があったので、
ラーメンを食べた。


「ラーメンふたつ!!」
元気よく言うので
否定できずそのまま
頼みました。
延びていて量が多く感じました。


アンパンマンショーを
見るためにステージの
ほうに行くとふうせんがあるよ~。あ~あ。


一目散に駈けていって
ピンクほし~いとうるさい。
げっ100円…。
買いましたっ。

アンパンマンショーは
しょうたろうはダメでした。
着ぐるみ嫌い。音が大きい。
そこにいるのがつらそうです。
ずっと抱っこしていました。


久しぶりに行ったけど
名前がハイカラになったが
やってることは変わってないかな。

主人のパソコン

2007-09-28 21:45:39 | Weblog
自分のは修理に行ってしまったので
主人のパソコンを拝借している。


ヘッドセットをフロントで使いたいのに
なぜかできない。
友達の彼氏に来てもらった。


設定がうまくいってなかっただけだった。
でも自分ではわからなかったので
呼んでよかった。


説明書が全部英語でとっても読めない。
彼氏さんいわく、昔は設定も差し込むだけじゃなく
指示を与えないと使えなかったって。
そういえば私は詳しい人に頼んでいたなぁ。


そのひとに頼めなくなっちゃって自分でも
なんとなく勉強したけどやっぱりわからないや。


子供たちは友達のことを大歓迎で
いっぱい話していた。
あんなハイテンションないちかは
はじめて見たといっても過言ではない。


別れ際、とっても残念そうだった。
おかあさんが冷たいからごめんな。
さびしかったのね。

じいさん

2007-09-28 21:37:55 | Weblog
双子とじいさんの誕生日が同じ。
それでなのか、ほかの子供はかわいがらないが
双子はとってもかわいがる。


おばあさんが亡くなって結構さびしい日が
続いていたが、なんとかやっていた。
双子誕生で孫にやっと愛着がもてたんだろうか?


最近はじいさんに双子のお守りをしてもらっている。
だけどわたしはじいさんとしゃべりたくないので
一緒にはいない。


それが気に入らないらしい。
でも私はじいさんが気に入らない。
お互い様だわ。


いま双子の一人が中耳炎で
今日病院に連れて行ってもらった。
両方腫れているらしい。


お兄ちゃんのときは早々切開されていた。
ここの医者は切らないで直すのか?
月曜日また来てくださいと言われたようだ。


帰り際、「今は予定がないが、わからん」と
いったじいさん。
まぁ当日まで待つか・・。
今日も朝早く来てくれたことだし。

いちか

2007-09-28 00:34:55 | Weblog
彼女はほんとうに気の毒かも。
なぜならいちかのために
なんてことはほとんどなく
双子が生まれる前は
お兄ちゃんについて回り。
産まれてからは放置ぎみ。


いちかは指しゃぶりが
激しかった。
最近は見かけなくなったが
今度はどもりが激しくなった。

お兄ちゃんはしゃべらなかったから
基準がわからないけど
さ行がちゃちちゅちぇちょ。


来年ことばの教室に入れる
なら入れたい。

私といたら治らないと
思うけど。
お母さん、いちかを見てくれない
って泣いてるらしい…。

確かに最近は怒ってばかりで
話を聞いてない。
距離がある。


腕の痛いと言うのも
そんなことかもしれない。
気の毒ないちか…。

悔しくて情けない思い

2007-09-27 23:56:55 | Weblog
今日は主人の誕生日。
何かプレゼントしたいが
彼の気持ちがわからない。
何がほしいか全然わからない。
結局毎年何もしていない気がする。


ほんとはいつも職場で
聞いているラジオで
お誕生日おめでとうの
コーナーがあり、そこに
投稿するつもりだった。

すっかり寝過ごしてしまい、
失敗してしまった…。

主人に対する愛が足らないのかな?
忘れて寝ちゃうなんて。


今日の夜は双子が期限悪く
離れるギャーギャー泣いて
怒った。
それだけで私はいらいら
していた。

いちかが「うでがいたい」と言い出した。
しかももう夜の10時。
主人に頼もうと電話しても
出ない。
職場にもいない…。

今日はまともな判断が
出来なかった。
赤ちゃんたちを抱えて
市民病院に走った。
しょうたろうはすでに
泥のように寝ていたので
置き去り。


病院に着いてもなぜか
痛いと言わず静かに
座っている。

脱臼したわけじゃないらしい。

キャンセルして帰った。

主人はどこにいたかというと
パチンコでした…。

悔しくて情けないとは
今ね。
こんな夜に誰にも相談できず
寂しい思い。
ずっとずっと何年も。

でも今は朝は一緒に保育園に
送ってくれるし、小学校も
行ってくれる。

優しい主人だから、粗末にしちゃいけないね。

双子の妊娠

2007-09-27 19:24:18 | Weblog
しょうたろうにいちかの
保育園の迎えが大変だった。


双子が妊娠6が月のとき
衝突事故を起こし、車は
廃車になった。
体はなんともなかったが
車に乗れない…怖くて…。
どちらにしても車はないので
大きなお腹を抱えて電車で
お迎えにいった。

車なら15分で行けるのに
行くだけで1時間かかった。
帰りは1時間半かかった。

電車が空いている時間でなく
学生がいっぱいで座る
場所もなかった。
妊婦にはつらかったな。

電車大好きのしょうたろうには
大興奮でした。
人の気も知らずに~。


二人の体重差は500gちがい
早々と管理入院となった。
私はトイレ以外はベッドから
離れることを禁止され
毎日退屈でした。

結局36週で帝王切開し
500g体重のちがう
一卵性双生児でした。
NICUに入らなくても
よかったのが助かりました。


産まれて2ヶ月は妹や
じいさんに助けてもらい
二人を保育園に通わせることが
できました。


入院してる間に新しい車がきて
しょうたろうは「新しいくるま」。
一年経つのに未だにそう言います。


怖いって言ってられず
車でお迎えにいきました。


なんか必死だったので、
双子とお昼何してたか
覚えてないです。

どうせパソコンばかり
してたんでしょうね。

保育園

2007-09-27 12:56:33 | Weblog
いちかと二人とも入れることになりました。

振り返るととってもいい二年間だと思います。
オムツはとれたし(4歳ですが…)、
食事では箸が使えるように。
服は自分でボタンがかえるように。


精神面はかなりの弱さが
ありましたがお友達のことが
目に入るようになり
名前を呼べるし、お友達みんなしょうたろうに
気を使ってくれ、優しかったです。


先生も気にかけてくたさり
彼なりに「安心できる場所」でした。


私といえば子供たちを
お父さんに任せて早朝5時から
仕事に行きました。
保育園のそばにちょうどいい職場がありました。
午後の4時まで働き
迎えにいきました。


せっかくいい感じだったのに
私はまた妊娠してしまいました。
しかも双子…。
複雑でした。


またしょうたろうが
赤ちゃんがえりしてしまうのか
いちかがなるのか?
不安でした。

ひまわり学園

2007-09-26 17:59:51 | Weblog

一年ひまわり学園に通いました。
マジックミラーからわが子の姿を見守りました。
いちかを抱っこしながら45分ほどの指導でした。

週三回のうち一回は個別。
集団指導が二回。
そのうち同年代の子達が一回、
ひとつ下の子供たちと一回でした。

 

彼はひまわり学園に通うことを嫌がりました。
きっと私がいやだと思っていたからだと。
結局一年間ひまわり学園を喜んでいく姿は
見られませんでした。

私自身は、息抜きで出かけたりしたくても
できなくて、結局パソコンばかりしていました。
みのりのない一年だった気がします。

 

いちかは自分のための用事で出かけてる
わけでないこともあり
指しゃぶりが激しく、おやゆびには頑強なたこが
できていました。

夜型で昼寝てくれて助かった反面、
夜中起きているので私の寝る時間が
あまりなかったように思います。


 

保育園選びはこれがまた大変でした。
プレイルームといって、いわゆる障害児保育を
実施している園に入らなければならず
競争が激しく、先着順で夜も明けないうちから
市役所に並びました。

それでも行きたい園に入ることができず
(12番目なのに・・・)来年から開設される
保育園に決めました。

それは後から振り返るととってもいい選択でした。
彼の成長はその保育園に通うことによって
ぐーんと伸びました。

ひまわり学園がぜんぜんだめだった
というわけではありません。
立派な先生がいらしたし、いろいろ工夫された指導で
通常の保育園に入れるお子さんもいました。


私やしょうたろうには合わなかっただけでした。