なんきんちの記録

なんきんちの日記

眠れないままです。

2019-02-24 10:25:31 | なんきん
今朝までブログを
書いて終わったけれど
何の問題も解決は
していません。
気持ちは収まりません。


しょうたろうが
小学校の時に
出会った教頭先生、
今はどこかの
特別支援学校の校長先生
やっておられるようです。
いい出会いでした。

小学校3年までは
校区外の小学校でした。
4年からは
いちかが小学校入学と
地元の学校に
特別支援学級が新設され
転校しました。

小学校入学当時は
とにかく大変でした。

学校では、
毎日書く字は
新幹線の名前。
先生が蛍光ペンで
書いたものを
なぞる日々。

担任の先生はその当時、
まだ若くて、先生になって
4、5年くらいの方でした。

自閉症のような動きが
絶えずあり
こだわりが強い
困った子。
先生は1年2年の
2年間、お世話になりました。

私はがっつり仕事で
放課後は学校の
留守家庭教室に
お世話になってました。

仕事が早く終わり
留守家庭教室に行く前に
お迎えに行ってしまった時は
暴れ出してしまいました。
予定の変更がとにかく
いやな子でした。

私はあえて
予定の変更を
たくさん作って
しょうたろうに
慣れさせるより
策がなくて。

保育園から環境が
変わっただけでも
彼には大変だったと
思います。

双子のことは
とにかく嫌いで
お母さん、病院に
返してきて!と
よく言われたものです。
病院からもらってきた?と
思っていたらしい。

担任の先生に
双子のことを聞かれても
返事もしないか
いない!と
言っていました。

だから双子は
私の父親、じいさんに
任せました。
しょうたろうの心の方を
優先したのです。

おかげで
じいさんがいない今、
双子にはほんとに
苦労してます。


前述の教頭先生は
しょうたろうが2年の時
赴任してみえました。
担任の先生に
べったりのしょうたろう。
仕事に追われ
手が回らない私を
見かねた先生は
私に話をしてくださいました。

今でもとてもありがたい
お言葉に涙が出ます。


教頭先生は
特別支援教育の分野で
活躍してみえる偉い方でした。

教頭先生になって
現場に降りてきてみえたようで
たまたま校区外ですが
地元の学校には
特別支援学級がないため
入れてもらった学校でしたので
巡り合わせに
ほんとに感謝してます。

まだ若い先生ですが
とにかく素晴らしいから
教頭先生にまで
なられたのでしょう。

先生は初めは
高等部の就職の世話を
なさっておられたようで
生徒さんたちの姿を
見ていて思われたことを
話してくださいました。

しょうたろうは今
こんなだけど
いつか高等部に入り
やがて就職するとき
身につけておくよい力を
教えてくださいました。

それは家のお手伝いを
すること。
やっていた子とやってない子では
かなりの違いがあったそうで
お手伝いをさせるように
言われました。

私はそのありがたい
お言葉を胸に
今でも子どもたちに
させています。

しょうたろうには
お風呂の掃除を
ずっとさせました。
具体的でわかりやすい
事柄なら
すうっと彼の中に
入っていくと
思っていたからです。

言われたら
真面目なので
ずっとやってくれてました。
双子が横取りする日まで。


悲しいことに
双子はしょうたろうのことを
よく思っていなくて
気持ち悪がったり
意地悪したりします。

自分たちも
特別支援学級で
嫌がらせされている?のかも
しれません。

気持ちがわかる子らでは
なかったので
残念でなりません。


お手伝いをさせることで
家族の役割ができ
中学部ではリーダーを
務められるほど
しっかりしました。


スケジュールの突然の変更は
経験することで徐々に
暴れたりしなくなり
切り替えられるように
なりました。

でも天気が悪いと
今でもぐちゃぐちゃ
言ってますけど。
天候はどうにもなりません。

小学校の姿から
考えると
ほんとによく
成長してくれたと
思うのです。


小学校の時の
教頭先生や担任の先生に
今のしょうたろうに
会ってもらいたいです。
そして励ましやってください。と
お願いしたいです。

しょうたろうなりに
がんばりましたよ。


私の今の問題は
何の解決にも
なってないけど
書くことによって
気持ちを切り替えて
いければと思い
連投です。


3月1日、心から
しょうたろうの卒業を
祝福してやりたい。
昨日からずっと
考えてることです。

悔しくて眠れません2

2019-02-24 03:03:57 | なんきん
思い出しながら
書いていたら
結構な時間になってる。
こんなことに徹夜か!


アグリピア農場は
私にとって
神さまでした。

私が抱えてる問題の
一つ一つに相談に
のってくださいました。

しかもアポなしで
懇談の次の日に
やってきて
うまく説明ができない
状態の私に
ゆっくり話を
聞いてくださいました。

ああ。
とても遠いのだけど
ここならしょうたろうが
安心してのびのびできるかも。と
感じました。

次の日にしょうたろうを
連れてきてもいいですか?と
お尋ねすると
快諾してくださいました。


次の日、しょうたろうを
連れてきて
様子を見ました。
嫌がってる時は
とてもよくわかるので
嫌じゃないのがわかると
しょうちゃん、夏休み、
こちらで実習をお願い
しようか?と
言うと、うれしそうに
わかった。と。
気にいってくれました。

夏休みは3日間、
バラバラの日にちだけど
私が送っていけるかも
考えながら
決めました。

元々並べる遊びを
幼少時代、していたこともあり
小松菜な種を植える作業は
喜んでました。
規則正しく並べる様は
私も興奮します。

今まで行っていた
実習のほとんどが
ミリ単位の作業で
目の悪いしょうたろうには
向いてないなぁと
考えてました。

就職をお願いするのも
ここがいいな。と
思うようになりました。

もちろん10月の実習も
アグリピア農場で
お願いしました。

進路の先生が勧められたから
行くのだ。と
言うことにしてます。
Tのやつはこの際
関係ない!


9月の終わり、
私は卵巣は取った方が
良いよ。と婦人科で
言われてたので
手術しました。

その話をTにしたら
寄宿舎の緊急入舎を
手配してくれました。
そのことだけは
よかったです。
家ではしょうたろうは
針のむしろで
双子に嫌がらせされ
気持ち悪がられ
自室に引きこもりだったので。

土日は自宅だけど
それでも味方のいない
家よりは
落ち着いて過ごせます。
それだけは
しょうたろうに
よかったことでした。


たったそれだけのことで
許したわけではないです!


3年の体育祭は
とても地味でした。
かわいそうに。

しょうたろうは1組、
2組との対決。
中学部ではアンカーの位置
だったけど
アンカーではない。
そこ、男子同士でアンカー
普通行くだろ?と
思うところ、なぜか女子。
は?って思いました。

地味に器具係を
一生懸命やってる姿をみて
かわいそうに。と
思いました。

活躍の場を減らされ
器具係。
いやいや器具係も
体育祭では大事な仕事。
がんばれしょうたろう。と
応援してました。




しょうたろうのことを
そうまでも意地悪するのか!と
さらに思ったのは
修学旅行です。

私がまさかの腹痛を
修学旅行でも起こすなんて
これっぽっちも
思ってなかったし
投薬依頼の用紙は
毎日飲んでいる薬が
ある人だけのための
物だと思ってました。

修学旅行の説明会は
体育祭の終わった後だったから
仕事で行けなくて
聞いてなくて。

そのまさかが
修学旅行で起きました。

夜、しょうたろうが
お腹を壊して
ノロウイルスだったら
帰りのバスに載せない、
セントレアまで
迎えに来い。という
内容でした。

どうやら漏らしてしまった
らしいです。
しょうたろうには
沖縄の空気は気持ち悪かった
ようです。

あといつも
百草丸を飲んで
落ち着いていたので
それを飲ませてやれば
気持ちが落ち着いて
過ごせるから
自分で買って飲ませて。と
頼んでも
それはできません!の
一点張り。

これが特別支援学校の
やり口が?と
苛立ちました。

実際仕事で
セントレアまで迎えに
行くのも難しい状況で
困るから
電話口にしょうたろうを
出すように言って
がんばれ!と
激励しました。

首里城が
しょうたろうの最大の
楽しみなのに
わかっていて
見せないて言ってくるT。
特別支援学校の先生は
失格!
いや、教師として
アウトだ!

見せてあげられるよう
工夫するのが
教師だと思うけど
見せない!と
絶望させて
精神的にダメージ
与えるって
どうよ?

しょうたろうには
首里城見たいんだろ?
がんばれ!って
言うしかないです。


なんとかがんばり
首里城を見ることが
できてよかったです。
最悪、段取りして
首里城見せに
沖縄に行かなくては
ならなくなるところでした。



そうしてもまだ
Tには普通に接して
いくつもりでしたが
それはもうできません。

決定打は
私が何日か連絡帳に
記入できない日が
早番だったりで
続いてしまって
たまたま書いた
私は具合が悪く
寝ていた時、
しょうたろうが
熱があったらしく
自分で頭を冷やして
熱を下げてました。と
書いた日のこと。

仕事中、電話があり
折り返すと
しょうたろうが
熱が37.5度で
迎えに来いと
言ってきました。

バカヤロー、
今日は1日仕事だから
迎えに行けるわけがない!と
思って
迎えに行けません!
一人で電車で帰らせてください。と
言うと
それはできません。とか
言ってきて
仕事中だから切る!と
ガチャンしました。

お父さんに電話で
1時半に迎えに来てもらうと
きめたらしいけど
お父さんは
私が職場に送ったから
車ないって!と
その話を無しにして
私が迎えに行くことに
しました。

職場の調理のおじさんが
行っておいで、仕事はボチボチ
やっとくから。と
言ってくれたので
お言葉に甘えて
迎えに行きました。


保健室におり
迎えに来いと言っておきながら
荷物は保健室に持ってきてない
段取りの悪さ。
腹が立ちます。
1分でも早く職場に
戻りたいのに
ほんと嫌がらせとしか
思えない。

しかも入口に立ってる
私に先になんか言うべき
だろうに
しらっと保健室に入るやろー。
ほんとバカヤローです。

そしてこの期に及んで
インフルエンザの検査に
病院に行けと言ってきた!

死ねばいいのに。って
ほんとに思いました。

どう見ても
インフルエンザじゃないだろ!

行きません!と言って
学校を去ったわけですが
仕事中に電話して
36度9分と聞き
帰っても病院には
行きません、

6時半に
クソのTから電話。
またもやインフルエンザの
検査に行けと。

キレました。
アンタはしょうたろうを
インフルエンザって言ってるのか!と。
熱はないから学校に
行きます!と言うと
来てもらっても
返すみたいな言い方。

電話で話す価値もない!と
しょうたろうに電話させといて
病院に電話。
間に合わないと締め出し食うから
時間までにがんばって行きます。と
言って病院に連れて行った。

学校行って何もないのに
返される意地悪されるより
インフルエンザじゃない
印籠を持たせて
堂々と学校に行かせようと
思って。

結果、やっぱり
インフルエンザじゃない!
当たり前だ!


次の日、年金の話の研修会で
学校行ったんだけど
さすがに昨日の今日、
冷静に対処できるはずがない!

アグリピア農場に出す書類を
もってきやがった。

2年の実習のところに
継続支援A型をお勧めしたが
B型に行った。と
書いてある!

悪意しか感じられん!
理由はちゃんと説明したぞ。
10月にB型にした理由。
2年の担任が書いたのだろうか?

風呂にたまに入らない。とか
いちいち書く内容か?とも
思った。
具合が悪くて入れないことも
あるし
今は双子が意地悪して
しょうたろうがお風呂に
入れない日もあるのに
あんな風に書いたら
自発的に入らないみたいに
みえるじゃねぇか!


あんな書類、
絶対ハンコを押さん!



3月1日、卒業式、
Tが来なければいいのに。
積年の恨み、校長先生に
話に行ったら
きいてくださるかしら?
Tのせいで3年間、
できることも少なく
はっきり言って
潰されました。と
報告したい。

でも聞いてもらえそうに
ないから
ここでぶちまける。

O特別支援学校高等部
第Iコース(普通コース)の
教師Tは
自分の気に入らない生徒は
潰しにかかる悪い教師です!

悔しくて眠れません。

2019-02-24 01:22:33 | なんきん

 

お久しぶりです。

いよいよ今年は

子供たち全員が

卒業の年です。

 

長男しょうたろうは

大垣特別支援学校を

31日に卒業です。

 

長女いちかは

中学校、

双子は小学校の

卒業式がひかえてます。

 

 

何がくやしいって

長男しょうたろうのことです。

 

 

小学校から中学校に

上がる時、

特別支援学校への

入学になり

なんで?と怒りしか

ありませんでした。

 

でもその中学部では

先生に恵まれて

地元の中学校に行ってたら

絶対経験することが

できなかった事柄が

たくさんありました。

 

夏休みの作品は

岐阜県知事賞を

いただけました。

先生の展示が

すばらしくて

しょうたろうの作品が

とても映えました。

 

運動会では

壇上にてお手本での

ラジオ体操を

させてもらうなど

代表として

頑張りました。

 

リーダーなんて

やったことがなかったけど

作業班では立派に

リーダーを務めて

みんなを引っ張って

ました。

 

 

中学部での活躍を

考えると

ほんとに入学して

よかったなぁと。

そして家では

双子が彼は

いやだったこともあり

学校は天国、家は地獄

と言っていたくらい

学校が大好きでした。

 

 

それが一転、

高等部に進学して

立場がおかしくなりました。

 

普通の中学校から

入学された生徒さんも

いるからとはいえ

今までリーダー格で

がんばってきたのに

ことごとく担任によって

できることが

減らされてしまいます。

 

私が知識がないせいで

一般就労を目指して

がんばらせようと

張り切っていたのも

仇でした。

 

中学部での活躍を

考えたら

一般就労できると

ふんだ私が悪かったけど

期待しちゃいます。

 

一般就労を目指している。と

担任に告げたら

ひどくしょうたろうを

追い立てました。

 

しょうたろうは

そんなに声は大きくなく

どちらかと言うと

丁寧に仕事をするタイプ。

どうしてもゆっくりに

なります。

 

そういった弱い部分ばかり

攻め立てるのです。

できるものも

できなくなります。

 

1年間、いやな思いを

しました。

 

 

2年は担任が代わり

彼は生徒会に立候補

しました。

でも2年なので

会長とかではありません。

でも素敵な先輩達と

楽しい生徒会活動が

できたようです。

 

実習のほうは

就労継続支援B型を

お願いしました。

 

6月は

かがやきネットワークに。

でもこちらは

公共交通機関がなく

卒業後は通勤して

もらいたいのですが

練習できなくて

5日間、私の送迎でした。

 

通勤の練習を兼ねての

実習がしてもらいたくて

大垣駅で歩いていける

新家サテライトに

10月はお願いしました。

駅から一番近かったので。

 

一般就労はあきらめては

いないけれど

私の知識不足で

いろいろ就労継続支援A型を

調べてはいましたが

通える場所となると

なかなか決まらなくて。

 

3年の6月に実習に

行くところは

通勤できるところで

結構絞られてしまって。

結局、新家サテライトの

系列である

ワークステーション大垣が

バスを使えばなんとか

行けるとわかり

お願いに行きました。

 

しょうたろうは

知的障がいですので

普通の高校生であれば

お金とその場所を

調べるツールがあれば

行けますが

そうはいきません。

 

何度も何度も

一緒に電車、バスに

乗って練習を重ねました。

 

学校での様子は

2年は大変すばらしい時間が

送れました。

 

副担任の先生は

バスケ部でもお世話になり

毎日昼休み、

筋トレをみんなに

教えながら一緒に

やってくれました。

 

一年下の後輩が入学して

知的を伴わない生徒さんも

入学できるシステムに

代わった関係で

歴史好きの女子が

教室に通ってきて

歴史談義に花を

咲かせてました。

すっかり歴史好きに

なりました。

 

そんな幸せな時間の中、

最悪な事件が起こりました。

1年の時は同じクラスで

2年生でクラスが離れて

別のクラスになった女子に

初恋したのです。

 

 

1年生の時の担任、

男で30代、名前を公表して

晒したいくらい

腹が立ってますが

しょうがないので

Tにしましょう。

 

そのTがしゃしゃりでてきて

しょうたろうにまた

ひどく言ったようです。

かなり傷ついたと

思います。

 

仕方がないです。

待ち伏せしたり

近づいてみたり

ストーカー化してました。

 

家でもその女子のこと、

一人で話してました。

初恋なんだ。と。

聞いてやらなかった

私もひどかったと

思います。

言い訳だけど

子供はしょうたろうだけ

ではなく、下の双子も

問題が多くて

大変でした。

 

しょうたろうには

その子のことは

あきらめやぁ。

その子と全く話を

してはいけないのでは

ないけれど

同級生みんなと

同じように友達だよ。

となだめました。

 

このことに

端を発したのか

私にもかなりの

嫌がらせがありました。

 

私はPTAの学年代表を

2年生で引き受けました。

役員はやると立候補したけど

学年代表とまでは

思っていなくて

でもやってみると

結構楽しかったです。

 

次の3年生の学年代表を

決める時、問題が起こりました。

Tが絡んだせいです。

体育祭の日に

役員が当たってない人にだけ

声をかけて決めました。

 

それがひどかった。

PTA会長さんが学年に

いたのもあり

そのやり方問題があると

物言いがついたのです。

 

中学部からいるので

その年によって

決め方がいろいろ

でしたが

役をやってない人だけ

集められて決めたことが

あると記憶してました。

だからいいと

思ってました。

 

全員集まって

決めてくれないと

認められない!と

怒られる事態に。

 

早速Tは

全員いないけどよろしいですか?と

聞きましたよ。と

きびすを返す返す。

 

大問題に発展して

嫌気がさしたのと

役員が楽しかったから

また来年度もやろう!と

思ったのと

やりたくない人が

2人くらいいて

その人たちに当たらないよう

してあげたい気持ちも

相まって

3年の役員決めは

おかしな方向に

行ってしまったのです。

 

Tのせいでさらに

こんがらがる結果に。

おそらくTは

私に次の年も役員を

やらせたくなかったと

今から考えると

はらわたが煮えくりかえる

思いです。

 

投票が行われて

私の立候補を

認めるか認めないかの

結果は半分半分でした。

これ以上もめるのも

面倒なので

私は退きました。

 

結局、やってない人だけで

くじが行われて

体育祭の時に決めた

その方が3年学年代表に

なる形に。

 

バカみたい。

って率直な気持ち。

 

寝る時間を惜しみ

文書を考えても

Tが全部否定してきたし

書き直しは何度も

ありました。

 

終わった時はお決まりの

時間を返せ!!と

破壊活動したくらい。

苛立ちました。

 

そして私は

学年中で保護者より

嫌われる事態に

なってしまいました。

 

 

そして3年の春、

またTが担任に。

最悪です。

就職を決める大事な年に

お前?と

しょうたろう2

悔しがりました。

 

案の定、3年生で

しょうたろうは

干されてしまいました。

 

作業班の時は

Tは関係なかったようで

よかったらしいです。

 

3年の6月の実習、

就労継続支援A型は

最悪でした。

即戦力となる人材しか

いらない!

伸び代とか関係ない!

初日からそう

言われました。

 

今から考えると

Tの仕業かもしれないと

疑います。

 

2週間、しょうたろうは

がんばりました。

最後に職場の皆さんに

がんばってね。と

言われてました。

 

通勤も一人で行く日は

遅れずに行きました。

送っていける日は

送るように

迎えに行ける日は

迎えに行きました。

だって初日に

あんなひどいこと

言われたから。

 

私はその頃

すこぶる体調が悪く

見学に行って

しゃがみこんで

疎ましがられてしまい

迷惑をかける事態に。

 

結果、卵巣に水が

溜まっていて

調子が悪かったのでした。

 

 

そんなこんなで

A型はダメと烙印を

押されてしまい

一般就労は消えてしまい

行くところがなくなりました。

 

7月の懇談の前に

私の携帯に電話があり

Tのやろー、

いろいろ言ってきました。

 

B型しかダメとか

言ってきたので

私の怒りは最高潮。

B型しかダメなら

最初に行った

かがやきネットワークで。と

言ったら

後出しジャンケンだ。と

ぬかしてきました。

 

こうなったら

ケンカに発展です。

まくし立ててやりました。

 

結果、7月の懇談に

進路の先生が

入ってみえました。

 

進路の先生より

話をいただいた

アグリピア農場に

行ってみることに

しました。