1989年
オリックス・ブレーブス
は
子供の教育のため在阪球団へのトレード
を
希望した
1988年
の
ホームラン王
打点王
MVP
南海ホークス門田
を
引き取る。
オリックス・ブレーブス
は
松永 打率.309 ホームラン17本 最高出塁率
ブーマー打率.322 ホームラン40本 首位打者 打点王
門田 打率.305 ホームラン33本
藤井 打率.292 ホームラン30本
本西 打率.302 ホームラン5本
南牟礼 打率.282 ホームラン2本
と
ブルーサンダー打線
を
構築した。
しかし
1986年 打率.300 ホームラン33本
1987年 打率.317 ホームラン34本
1988年 打率.296 ホームラン22本
の
指名打者・石嶺
が
門田が指名打者になる
ので
外野転向、
石嶺
は
外野守備のため10kg減量
その結果
パワーが落ち
打率.277 ホームラン20本
と
なってしまった。
しかし
開幕8連勝
で
前半戦独走の1位。
終盤戦
ホームランを打った
門田
が
ブーマー
と
ハイタッチ
で
肩を脱臼
という
珍事、
門田
終盤の大事な時
に
出場できない
116試合の出場にとどまる。
オリックス先発5本柱
佐藤
星野
ホフマン
酒井
山沖
だったが
リリーフ不足
で
酒井がリリーフ転向
と
なり
先発4本柱へ。
佐藤
は
開幕6連勝
その後
2勝2敗
で
前半戦 8勝2敗、
後半戦
7連敗
1勝
4連敗
と
後半戦 1勝11敗
シーズン 9勝13敗 防御率5,00
と
後半戦絶不調。
ホフマン 17先発9勝6敗 防御率3,45
と
好成績
も
「肘が痛い」とアメリカに帰国。
山沖 11勝6敗
も
内容が悪く
規定投球回に未達で防御率5,28。
先発は星野しか期待できない状況となった。
先発1本柱となったオリックス・ブレーブス。
星野
28登板27先発11完投4完封 15勝6敗 防御率3,48
勝率.714 最高勝率
近鉄バファローズ
は
いてまえ打線
と
言われるが
近鉄バファローズ
は
チーム打率.261 リーグ5位
チームホームラン157本 リーグ3位
と
オリックス・ブレーブス
チーム打率.278 リーグ1位
チームホームラン170本 リーグ1位
の
ブルーサンダー打線
には
及ばず
近鉄バファローズ
は
いてまえ打線
より
阿波野 19勝 防御率2,71
小野 12勝 防御率3,39
山崎、
加藤、
村田、
吉井
など
チーム防御率3,86 リーグ2位
の
投手力のチーム
だった。
投手力
いてまえ打線
の
近鉄バファローズ
は
71勝54敗5分 勝率.568
ブルーサンダー打線
の
オリックス・ブレーブス
は
72勝55敗3分 勝率.567
で
近鉄バファローズ優勝
と
なった。