行方不明になりたいとき
駅や交番の前に貼ってある、行方不明者のポスターは、必ず写真入りである。『この人をさがしています』その、引き伸ばされた、ピントの合ってない顔写真を見るたび、いつも思ってしまう。はたして、この人は、探し出してほしいのだろうか? あるいはこのまま、放っておいてほしいのではなかろうか…?と。
さて、このミルクやさんの場合は、どっちなんだろう?
表紙の、のびやかな姿を見ると、どうやら、探してほしくなさそうだ。
だけど、どうして、彼は行方不明になったんだろう? そして、戻って来るのかな? …と、まぁ、タイトルからして、スリリングである。
実は、このミルクやさんが配達するのは、ミルクだけではない。卵やクリーム、ヨーグルト、バター、などなど。つまり、彼は生鮮食品を定期的に家庭に届ける配達人。今どきの言葉でいうとエッセンシャルワーカー。いなくなっては困る人、である。その、いなくなっては困る人が、突然、日常からすべり落ち、いなくなっしまってしまう! それは、困る!
カラーとモノクロで交互に描かれる、コラージュ風でポップな絵は、とても1967年版とは思えません。カラー印刷がまだぜいたくだったころ、製作費を抑えるための工夫として、このような手法が用いられた、と聞いたことがありますが、それがかえって、日常・非日常の両方の美しさを、それぞれに際立たせています。
私はこの本に出会ってから、我が家に配達に来てくれる生協のお兄さん(あるいは、おじさん)に対する感謝の念を深めました。ミルクやさん、今日もありがとう。
…そのくせ、ときどき、この本を開き、ミルクやさんと一緒に、行方不明になりたくなるのです。
合わせて読みたい聖書の箇所 旧約聖書ヨブ記38~39章 (10分ほどで読めます)
ヨブとミルク屋さんには、何の関係もありません。が、この絵本のクライマックスの頁を眺めていると、この、ヨブ記のクライマックスが思い出されるのです。
荒っぽく説明しますと…ヨブという人が、神様から「お前は私のことを何もわかってないだろー。この世界を創ったのは、誰だと思ってるんだ!」と叱られる場面です。そのとき神様が、ご自分が創られた「この世界」について、長々と説明されるのですが、その描写が美しい詩のようになっています。そこで語られている世界の美しさ、あるいは正しさが、この絵本の頁に、凝縮されて描かれている気がします。
人が行方不明になりたくなるのは、そんな世界の美しさ・正しさに、もう一度ふれたいとき、なのかもしれません。