博物館の夜というイベントをご存知ですか?
これはヨーロッパで5月に行われている夜間特別開館日のことです。
1997年にドイツで最初に行われ、1999年にフランスで正式に始まりました。その後ヨーロッパ各地の博物館や美術館が同じ日(夜)同時に特別開館するイベントです。
ベラルーシの博物館も現在はほとんど参加しており、入場が無料になったり、格安料金になったり、コンサートや仮装大会、ワークショップなどさまざまな催し物が開催されます。
日本でもそのうち行われるようになるかもしれませんね。
さて、今年は5月18日にマクシム・バフダノヴィチ記念館へ行って来ました。
マクシム・バフダノヴィチというのはベラルーシを代表する詩人です。
1891年ミンスクで生まれ、ロシアで教育を受けましたが、成人してベラルーシに戻ってからはベラルーシ語で詩を書きました。しかし結核にかかり、療養先のヤルタ(今のウクライナ)で1917年、25歳の若さで没しています。
ウィキぺディアではこちらです。
ロシア語表記だと「ボグダノビッチ」になるのですが、ベラルーシ語だと「バフダノヴィチ」になるので、このブログではベラルーシ語表記のほうで統一します。
どうしてバフダノヴィチ記念館へ行ってきたかというと、およそ100年前、バフダノヴィチはベラルーシ語で「日本風の詩」を4編書いており、今年の博物館の夜のテーマが日本になったからです。
バフダノヴィチ記念館のサイトはこちらです。(ベラルーシ語と英語です。)
http://bagdanovich.by/by/home
(こちらはその後バフダノヴィチ記念館のサイトで更新されたものです。)
http://bagdanovich.by/by/night2012
日本風の詩とは何かと言うと、短歌だということでした。日本語の短歌が外国語に翻訳されるとき、五行詩に訳されます。文字数を五七五七七にできないからです。
俳句のばあいは三行詩になります。
つまりバフダノヴィチはおよそ100年前に五行詩を4編書いて、詩集に収めていた、ということです。ほかにも「ペルシア風の詩」「スカンジナビア風の詩」なども残しています。
さらに5行詩(短歌)ではありませんが日本をテーマにした作品も1編残しています。
100年も前にベラルーシで生きていた詩人が日本にこんなに関心を寄せていたとは思ってもいませんでした。
私などバフダノヴィチが短歌を書いていたなんて全く知りませんでした。
(頭の中のイメージは「国立バレエ・オペラ劇場の近くに銅像が立っている」「若くして死んでしまったので、肖像画や写真の姿が若くて、他のベラルーシ文学者の中で一番目立って見える」・・・ぐらいでした。)(^^;)
テーマが日本なので、バフダノヴィチ作の短歌を日本語に訳して博物館の夜に二ヶ国語で朗読しよう、ということになり、日本語に関する作業の担当をすることになりました。
まず翻訳作業ですが、5行詩が4編しかないので(合計20行)素訳するのは簡単にできました。しかしせっかくなのでちゃんと短歌に訳すことにしました。これが難しかったです。
なかなか五七五七七におさまらないんですよね。
指を折って数えては
「あ、字余り。だめだ。」
と何回くりかえしたことか。
しかし博物館の夜当日までには何とか完成し、バフダノヴィチの詩がちゃんと日本語の短歌になりました。(^^)
せっかくなので筆で清書して(ちなみに私の字は・・・きれいなものではありません。)バフダノヴィチ記念館に寄贈することにしました。
そして当日オリジナルのベラルーシ語は記念館の職員さん2人に読んでもらい、それに続けて日本語訳を私が読みました。
職員さん2人は、はりきって日本風の服を探して着た、と言ってましたが、左の人は明らかにチャイナドレスですね。(^^;)
真ん中の人は本物の日本の浴衣を着ていましたが、(知り合いに借りたそうです。)着方が左前になっていたので、あわてて人のいないところで直しました。(^^;)
日本人の私が着物を着ていなくて申し訳ないです。
画像は3人で発表しているところです。会場には大きな拍手が起こっていました。
バフダノヴィチという詩人の歴史に足跡を残す、という偉大なことはできませんが、少しでもバフダノヴィチと日本を結ぶ縁が太くなったかな、と思います。