第8章 京都私鉄めぐり
2007/12/24 梅小路蒸気機関車館を出て山陰本線の高架に沿って丹波口駅までコ★ジコさんとぶらぶら歩いてゆく。高架の向こう側は市場のようである。コ★ジコさんと市場で働く人相手の定食屋に入りうどんちゃんこの昼食。650円とお安いのに(『リーズナブル』という表現は嫌いだ)じつにうまい。食が進み御飯もおかわり自由なので3杯も食べてしまった。
同店を出て丹波口駅からモハ113に乗り京都駅に戻る。コ★ジコさんは疲れたので静岡に帰ると言うので京都駅のコインロッカーに預けた荷物を引き出したところで解散とする。コ★ジコさんは新幹線乗り場へ、私は近鉄電車乗り場へと散ってゆく。鉄分濃い男達の別れは淡泊なのだ。
単独行動になり行先も決めてないので初乗り区間だけ乗車券を買い近鉄の普通電車に乗りこむ。桃山御陵前の駅名に惹かれるが古墳に関する資料は何も持ってきていないのでまたにした。上鳥羽口で特急を退避し竹田で京都市営地下鉄からの連絡をとり京阪乗換えの丹波橋で下車し路線バスでどこかへゆこうと思ったのだが同駅には路線バスがない。がっかりして一昨日も乗った京阪電車に乗り換えることにして連絡通路を歩き京阪の特急で中書島へ。ここで京阪宇治線に乗り換える。観月橋付近で宇治川の流れに沿い黄檗からJR奈良線と平行するルートで京阪宇治へ向かう渋い魅力を放つローカル線だ。
京阪宇治駅は京浜急行の浦賀駅のような感じのたたずまいで駅前をJR奈良線の宇治川の鉄橋が通っている。しかしJR宇治駅は対岸にあるという配置になっている。当初はJR宇治駅まで歩いてJR奈良線に乗るつもりでいたけれど、駅前ロータリーに京阪宇治バス「240A 近鉄大久保駅」ゆきが止まっていてマイクで
「近鉄大久保駅ゆき発車しま~す」
と告げるので衝動乗り。JR宇治駅、宇治市役所を経て住宅街に分け入り、宇治植物公園を通る。立命館宇治高校停留所は校内のバスロータリーに入るのに驚いた。祝日なので高校生の乗降はなかった。JR新田駅前の踏切で少し渋滞した。踏切の先に近鉄電車の高架が見え大久保駅も近そうだと思ったら次の停留所が終点の近鉄大久保駅であった。
近鉄大久保駅から普通で京都駅に戻るとかなりの遅れのトワイライトエクスプレスが大阪に向かってゆくのが見えた。京都駅ではビスタカーをスナップできた。
なんとなくまた山陰本線の湘南色のモハ113に乗り嵯峨嵐山へ。駅前にSL館なる展示施設ができていてそれがあると知っていて来たわけではないのでめっけもんだ。館外にD51 51、館内にC56 98、C58 48、D51 603(前頭部)、若鷹号(小形蒸気機関車)、人車がある。トロッコ嵯峨駅に付属する施設らしく入館無料。今日はなんとも蒸気機関車づいている日だ。
同館を出て商店街を歩いていると「長慶天皇陵」なる看板が出ている。時間もないので立ち寄ることはしないが家に帰ってから「歴代天皇知れば知るほど」(所功監修 実業之日本社)で調べたところ長慶天皇は第98代で南北朝時代の1368-1383年に在位(異説もある)とのこと。中世の天皇陵だから信頼してもよいのかな?(宮内庁の古代の天皇陵治定はまるで信用できない)チャンスがあれば京都の宮内庁が天皇陵だと言い張っている古墳めぐりをしてみたい。
薄暗くなってくる中有名な渡月橋を渡り阪急嵐山駅へ早足で向かう。JR嵯峨嵐山駅から約25分で踏破した。阪急嵐山駅で桂ゆきに乗ると車体前面の行先が方向幕ではなくサボで表示されている。中学生のとき本で見た阪急電車のサボだ。撤去された運転台スペースに乗って桂に向かうと戦時中の鉄材供出で上り線を撤去した後が色濃く残っている。桂で河原町ゆき特急に乗る。阪急電車と言ったら京都線の転換クロスシートの特急だ。烏丸で降りて京都市営地下鉄四条駅に乗り換える。地下鉄の京都で降りJRに乗り換える際に地下にJR改札があることに気付いた。
エピローグ
JR京都駅で精進弁当とビールを買って新幹線のぞみ36号の自由席に乗り東京駅に向かう。私の乗った車両は8割くらいの乗車率でC席にすわれた。A席は埋まっているがB席は空いている。私はビールとお弁当を食べながら過ごす。列車公衆電話から自宅に電話をするが今時テレホンカードで新幹線から電話を掛ける人もほとんどいないのだろうな。
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