アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第111話  かいじゅうたちのいるところ

2012-05-14 23:24:24 | 子育て

                      SUN IN WATER

*日本ではもう初夏とか、聞きますが、こちらイギリスでは、いまだに雨が降り続き、寒くてヒータをつけているという有様。雨の晴れ間の休日は、近所じゅう、芝生を刈っていたようです。わたしも、待ちきれず、ナショナルトラストのガーデンを見に出かけました。

 

第111話  かいじゅうたちのいるところ

詩人坂村真民(さかむらしんみん)さんの詩が私をほんとに変えたのか?

わたしは生まれてからこのかた、物覚えがあるかぎり、今の今まで、すっきりと朝目がさめたことはなく、日本に帰省したとき、友達が、「仕事がお休みの日は、早起きしていろいろしたいことをする」といって、早起きして日帰り温泉旅行用にお弁当を作っていたのを見て、いいなあと思いながら、そんなこと、できたことがありませんでした。

それが、最近夕食を少なめに取るようになってから、朝、ちゃんと目がさめるようになったのです。夜、ちょっとおなかがすいたなあ、でも寝るだけだからいいや、という腹具合で眠りにつくと、朝自然に目がさめて、朝ごはんを食べたいというかんじになって、張り切って一日をはじめることができるのです。(食べ過ぎの人生を半世紀もおくってきたとは。)

おまけに顔に世界地図のように広がっていたしみが、ユーラシア大陸になり、さらに日本列島へと変わっていったのですから、「小食のススメ」という冊子を書いてみんなに配りたい、というほど自分の変化に驚いています。

わたしの両親は、今ではもう使われていないであろう言葉「共稼ぎ」で、わたしは日中一人でぼんやり過ごすことが多かった幼いころ、狭い路地の家と家の隙間のドクダミが、気味悪く感じられたり、どぶ川に放置されていた大きな箱が、棺おけのようで恐ろしかったり、と想像の世界で暮らしていました。

父親は、よく、「うちは放任主義でして」と「主義」をつければ、それで形がつく、かのように、人に話していましたが、放任で育つと、こうでなければいけないとか、常識、ということがあまりないのかもしれないなと、自分を振り返ったりします。

なずなも、わたしと似たようなもので、たまに何かを教えようとこころみると、「わたしはみんな間違ってるというのか!」と叫びだすしだいでしたし、大学生になった今でも、真冬にはだしでスリッパのような薄っぺらな靴を履いてマイナスの気温の中を歩いているし、雨のなかでも長いドレスを引きずっているしで、ひどいなとおもっていたのですが、最近、むかしの写真をみつけました。

それは、わたしの高校の同級生のデザイナーのK子さんのおしゃれな家で、みんなでひな祭りを祝ったときの写真でした。大きな美しいひな壇をバックにセーターを着たみんながカメラににっこりしているのに、なずなは、半そでのワンピースを着て(たぶんはだし)、後ろを向いているのです。

ほかにも、落書きのある白いバンと写っている写真があり、そうだった、なずなが車体一面に色とりどりの油性ペンで絵を書いたんだった、と思い出し、「ひどい!」と驚きました。

なるほど、こういう幼少時代を送っていたのでは、好きなことをし放題なのも納得できる、と、いまさらのように、わが娘を理解したのでした。

そんな、わたしたちふたりの好きな絵本は、「かいじゅうたちのいるところ」。

おおかみみたいな動物のぬいぐるみを着て、家中騒ぎまわり、壊しまわり、「このワイルドシング!食事抜き!」とお母さんに怒られても、「食べちゃうぞー」といいかえし、自分の部屋に閉じ込められたマックス、反省なんてするはずもなく、部屋は見る見るうちに木が生い茂り、冒険の旅に出るのでした。

かいじゅうたちのおうさま、マックスのようななずなも20歳、今は法律を勉強していて、はじめての試験を受けているところ。ずいぶんと、おとなになったものだなあ。

 

(間美栄子 2012年 5月15日  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef



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