僕らは靴を履いていると思っているが
たまに靴に履かれている時がある
玄関に置かれた靴の先が
一直線に目的地を指し示している時がある
自由に歩いていると思われるが
それこそタクシーのように
行き先までの道のりを無意識に歩いている時がある
靴は無感情だが、靴と一緒に無感情になっているときはないか
そういうときは
靴が勝手に歩かせてくれているときだ
大げさに言えば
靴が歩いている上に身体が乗っている状態だ
近所の草花も
新しくできたお店も
町内会の掲示板に貼られた貼り紙も
すべてスルーをしてしまう
全自動の時
全自動靴のおかげで
目的地に着くことはできるが
それまでの道のりは
道以上の役割を果たさない
再び目的地で脱いだ靴は一直線に帰り道を指し示している
たまには
靴と仲良くなって
普段擦り切らしているだけの
靴に意識を向けてやって
思いのままに
周りの風景に見とれながら
自由に歩いてみるのも靴孝行かもしれない
単なる道のり以上の風景に
歩くことの喜びを感じるかもしれない
靴はタクシーじゃない
人は全自動じゃない
靴に履かれる毎日は望んでない
まずは今日帰った後、靴を観察してみよう
思っていたよりも擦り切れていた靴
思っていたよりも汚れていた靴
僕らは確実に今日も歩いていたのだ
たまに靴に履かれている時がある
玄関に置かれた靴の先が
一直線に目的地を指し示している時がある
自由に歩いていると思われるが
それこそタクシーのように
行き先までの道のりを無意識に歩いている時がある
靴は無感情だが、靴と一緒に無感情になっているときはないか
そういうときは
靴が勝手に歩かせてくれているときだ
大げさに言えば
靴が歩いている上に身体が乗っている状態だ
近所の草花も
新しくできたお店も
町内会の掲示板に貼られた貼り紙も
すべてスルーをしてしまう
全自動の時
全自動靴のおかげで
目的地に着くことはできるが
それまでの道のりは
道以上の役割を果たさない
再び目的地で脱いだ靴は一直線に帰り道を指し示している
たまには
靴と仲良くなって
普段擦り切らしているだけの
靴に意識を向けてやって
思いのままに
周りの風景に見とれながら
自由に歩いてみるのも靴孝行かもしれない
単なる道のり以上の風景に
歩くことの喜びを感じるかもしれない
靴はタクシーじゃない
人は全自動じゃない
靴に履かれる毎日は望んでない
まずは今日帰った後、靴を観察してみよう
思っていたよりも擦り切れていた靴
思っていたよりも汚れていた靴
僕らは確実に今日も歩いていたのだ
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