ねぎぼうの神社めぐり

全国の神社をめぐり、御朱印と御朱印帳を収集しております。
私なりの感想を勝手に述べております。

伊豆 伊古奈比命神社(白濱神社)

2011-03-07 10:50:15 | 神社

伊豆半島東南の海岸の近くに鎮座する通称白濱神社は、
本来、三島大明神がたどりついた地。
現在の御祭神はその三島大明神の后神・伊古奈比命。

伊豆半島の東海岸沿いの唯一のルートである、国道135号線沿いにある。

拝殿の裏手が丘というか小山になっていて、その上部に本殿があるのだが、正式参拝者以外は立ち入れないみたい。
その緑銅色の屋根の一部が見える。
さらにその裏手が海になっている。

なんでも三島の神様は事代主とおっしゃって、伊豆の島々をお創りになられた神様。
当の三島大明神は現三嶋大社にご遷座されたので、そのお后神様がここに祀られている。

地味だがオリジナル御朱印帳をゲット。
 
御朱印の文字は、女性の祭神だけあって、女性の方の手によるものだが、とても優雅な筆遣いで感銘。


新日吉神宮←なんと読むでしょうか

2011-03-01 15:34:44 | 神社

いまひえ神宮

京都駅からも、そんなに遠くない、京都女子大学とその付属校などと、
知積院さんの敷地とに囲まれたところに新日吉神宮(いまひえじんぐう)がある。

なんとも上り坂がきつく感じられる。

御祭神は主としてご創建された後白河天皇。
神宮さんだから天皇とその祖先神が祀られているのは定石だが、
その他の祭神として日本国独自の、つまり天祖降臨以前の土着神様などが列座されている。

もともとは現在の滋賀県坂本、比叡山の東の日吉大社から守護神様たちをお迎えして、後白河天皇だか上皇だか法王だかがお祀りされた。
それで漢字表記では日吉。ところが比叡という読み方というか言い方から、“いまひえい”が“いまひえ”に転じたらしい。

神宮にはめずらしく、本殿の後ろ側まで歩いて回れる。
そこで思ったのだが、今回の京都のごく有名どころの数社の本殿には、ほとんど鰹木や千木といった飾りがないのが多い。
私が訪れたところは、全部といっていいほどない。
こちらの本殿屋根にもない。なにかいわれがあるのかな。
本殿(屋根に注目)

こちらで、ひとまず今回の京都めぐりは終わり。


近道のはずの寄り道 豊国神社

2011-03-01 11:21:17 | 神社

京都市の西の端・西京区より、四条通りを東に向けひた走り、どこから五条通りに入ったのかもわからないほど長い道のり。
気がついたら義経・弁慶ゆかりの五条大橋を渡っていた。
この旅、なんど鴨川を西へ東へ渡ることだろう。

本来はそのまま東大路通りまで直進するはずだったのだが、目の前にはだかる上り坂に恐れをなし、方向性は間違いないと自分に言い聞かせ、数本前の道を南下。
すると、思いもかけず人通りも車通りもあまりない、それでも結構広い道沿いに豊国神社があった。

これも何かのお導きと思い、石垣の上に鎮座する境内を訪れる。
社務所をのぞくと、そこに御朱印帳が授与されている。
これはラッキー、太閤様ありがたや。早速、御朱印帳に御朱印をお願いして参拝。

御祭神はもちろん豊太閤秀吉公。
ちょっと疑問に思った石垣は、かつてそこが方広寺の大仏殿跡ということでらしい。

方広寺といえば、秀吉死後、徳川家からその彫刻された字に因縁をつけられた鐘のあるお寺。
そして大阪冬・夏の陣にて豊臣家が終焉した。
秀吉の妻・高台院(おね)の庵、高台寺もすぐそばという立地。うなずける。

この旅の目的の真髄、太古の神々の祀られている神社という趣旨には則さないが、
御朱印帳収集の意味からすると、まったく問題なし。

ただ、最初に目にした御朱印帳の絵柄が、屏風絵に出てくるような洛中図のようなものだったが、
実はそれは絵葉書が入っているだけだった。
少々ショックではあったが、それでも五三の桐紋と秀吉の花押が文様となっており、
結構うれしい。御朱印には馬印の瓢箪も。
 
ちなみに御朱印の文言は「壽此南山 福如東海」と書いてあるらしい。