京都市の西の端・西京区より、四条通りを東に向けひた走り、どこから五条通りに入ったのかもわからないほど長い道のり。
気がついたら義経・弁慶ゆかりの五条大橋を渡っていた。
この旅、なんど鴨川を西へ東へ渡ることだろう。
本来はそのまま東大路通りまで直進するはずだったのだが、目の前にはだかる上り坂に恐れをなし、方向性は間違いないと自分に言い聞かせ、数本前の道を南下。
すると、思いもかけず人通りも車通りもあまりない、それでも結構広い道沿いに豊国神社があった。
これも何かのお導きと思い、石垣の上に鎮座する境内を訪れる。
社務所をのぞくと、そこに御朱印帳が授与されている。
これはラッキー、太閤様ありがたや。早速、御朱印帳に御朱印をお願いして参拝。
御祭神はもちろん豊太閤秀吉公。
ちょっと疑問に思った石垣は、かつてそこが方広寺の大仏殿跡ということでらしい。
方広寺といえば、秀吉死後、徳川家からその彫刻された字に因縁をつけられた鐘のあるお寺。
そして大阪冬・夏の陣にて豊臣家が終焉した。
秀吉の妻・高台院(おね)の庵、高台寺もすぐそばという立地。うなずける。
この旅の目的の真髄、太古の神々の祀られている神社という趣旨には則さないが、
御朱印帳収集の意味からすると、まったく問題なし。
ただ、最初に目にした御朱印帳の絵柄が、屏風絵に出てくるような洛中図のようなものだったが、
実はそれは絵葉書が入っているだけだった。
少々ショックではあったが、それでも五三の桐紋と秀吉の花押が文様となっており、
結構うれしい。御朱印には馬印の瓢箪も。
ちなみに御朱印の文言は「壽此南山 福如東海」と書いてあるらしい。