ねぎぼうの神社めぐり

全国の神社をめぐり、御朱印と御朱印帳を収集しております。
私なりの感想を勝手に述べております。

飛騨一の宮 水無神社

2011-09-30 11:07:04 | 神社

みなし神社と読むそうです。

加賀一の宮・白山比め(口へんに羊と書く)神社参拝を終えて、一旦金沢市内方面へ。
小矢部砺波JCTから東海北陸自動車道。
五箇山と白川郷に寄り道をして(別に記載)、
やたら長い飛騨トンネルなどを通って高山方面へ。
飛騨トンネルは10キロ以上あったが、入り口での標識で10…という数字が見えたので、
すっかり1000メートル程度と思ってしまった。
途中、出口まで8キロとかいう表示を見てビックリ。

それはともかくとして
岐阜県高山市中心から南へ約6キロ。高山本線・飛騨一ノ宮駅から5分、国道41号線沿いに、
飛騨一の宮・水無神社が鎮座する。


ご祭神は水無神と称される主に水の神様。
神社南西に位置する位山からの流水の分水嶺。
水を成すというのが語源。

訪れた時刻が夕方16時をまわっていたこともあって、
西陽をうけて金色に映る境内には、誰もいません。

本・拝殿に向かって左側の社務所で、一の宮帳に御朱印を受ける。

本・拝殿側から樹齢800年をかぞえる大杉が聳える境内を見る。

社家や民家の日陰になるということで、その昔、大桧を切ろうとしたそうだ。
いよいよ斧入れをすることになった、そのとき、一夜のうちにそのヒノキの幹が、
ねじ曲がってしまったという伝説がある「拗の木」

写真はパンフレットより抜粋
黒の神馬は日光東照宮の眠り猫でおなじみの左甚五郎作とされている。
収穫時期に農産物を食い荒らすということで、目がくり抜かれている。


加賀一の宮 白山比め神社

2011-09-29 10:42:02 | 神社

加賀の国唯一の一の宮は白山比め神社(はくさんひめじんじゃ)。(めという漢字は口へんに羊と書きます。)
越中には述べにすると6社の一の宮が存在するが(雄山神社は3つ)、
加賀百万石といわれるところにはこちら一か所だけである。

石川県白山市鶴来の三宮というところに座する。
???なぜ三宮なのか。(以下に説明)


崇神天皇の御代、安久濤の森(現古宮公園)以下同社HPより
崇神天皇(すじんてんのう)7年(前91)、本宮の北にある標高178mの舟岡山(白山市八幡町)に神地を定めたのが創建と伝わります。
応神天皇(おうじんてんのう)28年(297)には手取川の河畔「十八講河原」へ遷り(うつり)ましたが、
氾濫のためしばしば社地が崩壊するので、霊亀2年(716)に手取川沿いの「安久濤の森」に遷座しました。
文明12年(1480)の大火によって、40余りの堂塔伽藍がことごとく焼失し、末社三宮が鎮座していた現在地へ遷りました。


全国約三千社にのぼる白山神社の総本宮である白山比神社の祭神「白山比大神(=菊理媛尊)」も
『日本書紀』に登場する女神のひとりです黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、
伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の仲裁をし、その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、
須佐之男尊(すさのおのみこと)が生れます。
白山比神社では、菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊も祭神として祀られています。
菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、現在は「和合の神」「縁結びの神」としても崇敬を受けています

国道から神社へ向かう景色は、さながら温泉街の風景。たしかに温泉もあるようだ。
広い駐車場に停めると、土産物屋などもあり、観光バスも往来する。

一の宮帳と社名は入っていないが、白山さんの御朱印帳に御朱印を受ける。

  

白山信仰にてこちらが一の宮というのはわかるが、
加賀国とあろうところが、市内に一か所くらい一の宮があってもよかったのではないでしょうか。


勧進帳 安宅の関・安宅住吉神社

2011-09-28 09:17:28 | 神社

北陸自動車道・小松ICでおりて間もなく、
梯川(かけはしがわ)一番目の住吉橋を渡ると、歌舞伎十八番勧進帳でおなじみの安宅の関所跡がある。
住吉神社は奈良時代、西暦782年琴佩山に創設され、
現在の二堂山の地に遷座したのが1647年とのことであるから、
義経主従がここを通っのは、そのはるか前ということになる。

御祭神は本社・摂津一の宮住吉大社と同様、住吉三神様である。
たしか摂津の住吉さんも航行の安全を願う神様だったので、
こちらも旅の安全を守る神様なのだ。


参道を進むと社殿に巫女さんが座って、じっとしている。
人形か何かかなと思ったが、れっきとした人間だった。
参拝をすると、その方が社殿中でご説明をしてくれるようだ。

拝殿向かって右手の社務所でオリジナル御朱印帳をゲットし、御朱印をいただくと、
神社裏手に向かう。

安宅の関の場が繰り広げられている。


金沢市内 尾山神社

2011-09-27 09:53:11 | 日記

能登半島辺りの一の宮をめぐってきて、金沢市内泊。
御朱印帳のありの情報を聞きつけ、金沢城公園西に隣接する尾山神社へ。

加賀100万石創始の前田利家公とその正室・まつ様が祀られている。

拝殿は入母屋造屋根瓦葺。

2代利長が前田利家公を神として祀ろうとした。
徳川の手前、できない。
守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。
旧加賀藩士などが明治6年旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築
平成10年に正室・まつが合祀。
 

神門は明治8年の建築。和漢洋混用の異色の門。

御朱印帳を所望すると、なんだかぎこちなく「ただいま出払ってしまって・・・」とのこと。
とても楽しみにしていたのに、がっかり。
普段使いの御朱印帳に御朱印を受ける。


能登一の宮 氣多大社

2011-09-26 13:38:04 | 神社

能登の国唯一の一宮は、石川県羽咋市(はくいし)にある氣多大社(けたたいしゃ)。
越中一宮・氣多神社は、こちらからの勧進。
ご祭神は大己貴命、すなわち大国主命。
こちらでは縁結びの神様の色合いでいらっしゃいます。



社殿によると、第10代天皇・崇神天皇(すじんてんのう)の御代に社殿が造営されたとあるから、
紀元前50年前後の頃になるのだろうか。
奈良時代には京にも名が知れた大社となっていたというらしい。
その後、万葉集編纂でおなじみの大伴家持が当地に守として赴任された際に、
参っているそうだ。


その敷地は約1万坪に及び、古代より人の入れない「入らずの森」という、
恐ろしげな場所を抱える大社である。
大鳥居のすぐ側は海岸となっている。


大社というのは、どこも観光地的な趣が目立つ。
こちらも大駐車場には土産物屋などがある。
一の宮帳に御朱印をお願いしたら、「氣」と記したお札をちょうだいした。
 
しかし、パンフレット的なものは見当たらず、大社のわりにちょっとがっかり。