ねぎぼうの神社めぐり

全国の神社をめぐり、御朱印と御朱印帳を収集しております。
私なりの感想を勝手に述べております。

伊豆山神社

2011-10-24 14:38:59 | 神社

伊豆の家からの帰路、いままでノーマークだった熱海にある伊豆山神社を訪れた。
御朱印帳があるという情報を得てのものだ。

熱海海岸のお宮の松を通り過ぎ、国道135号線を東京方面へしばし行った左手に入る。
近くには黄金の茶室や尾形光琳の梅の屏風図などが有名なMOA美術館など。
なにしろ海岸線からかなり急な坂を登るのが熱海の町の特徴。
結局、ほとんどが伊豆山ということなのだろうか。

100段近くある石段の下にパッソを停め、まっすぐな段を上って行く。

境内に着くと、なんのことはない、上にも駐車場があるではないか。
脇の細い上がり道を見て、もしかするととは思ったのだが。

ご祭神は伊豆大神。こちらがよくわからない神様。
札書きには温泉の神様も含まれている旨が記されていたから、熱海という土地柄、納得。
そして源頼朝の源家再興祈願云々とある。出た、頼朝伝説。
伊豆地方にはこの手の由緒が目白押しだ。


拝殿等は、いわゆる朱色というオレンジかかった色ではなく、なんと言ったらよいか真っ赤。
紅、丹、朱等々赤を表現するものはたくさんあるらしいが、どれが適当かはわからない。


なぜ、御朱印帳やお守りなどに紅白二体の辰がモチーフとなっているのかの説明らしきものはないが、
頼朝・北条政子の縁結びという文章も出てくるから、きっとその関係かなと想像する。


たいそう立派な黒松が聳え、その傍らから熱海の町から海岸が一望。
  


真黒地に赤と白のちょっぴり愛嬌のある辰(タツノオトシゴか?)がとても映えている。
朱印の真ん中に剣の印が見てとれる。武家ゆかりの証しだろうか。
 


いつの間にか・・・

2011-10-22 18:26:54 | 日記

屋上の花壇に植えた、トゲトゲのいかつい葉っぱの植物。

その中心から、いつの間にかアスパラの大親分みたいな幹が伸びていました。

毎日、水をやっていたのに、ちっとも気がつきませんでした。
    

たぶん、近々先の辺りに花が咲くのでしょう。つぼみらしきものが、たくさんあります。

それにしても、この植物は一体なんという名前なのでしょうか。

観葉系なのか、サボテン系なのかもわかりません。

これが伸びてから、葉っぱの鋭さが一段と勢いを増したように思います。


五箇山と白川郷の合掌造り集落へ 神社ひと休み

2011-10-02 12:59:52 | 旅行

富山、石川両県の一の宮巡りを終え、岐阜県に向かう。
東海北陸自動車道を南下。
五箇山ICで下り、五箇山合掌集落を訪れる。
国の重要文化財・いわゆる「岩瀬家」という岩瀬さん宅を見学。
集落というよりは、ほとんど一軒家に近い。



拝観料を払い座敷へ。
囲炉裏端にご主人が座っておられ、お茶を淹れていただいて、こちらの歴史などを聞かせていただいた。

建物時代は江戸時代中期ごろの建築で約300年くらいらしい。
当時、お上つまり江戸徳川幕府に収める煙硝を南接する飛騨の白川郷が担っていたことから、
加賀前田藩の役人藤井長右エ門が加賀藩の威光を見せつけるために建造されたものらしい。

そんなわけで、五箇山の集落で作られた火薬は、当時の加賀前田藩に納めていた。

燻しの臭いが鼻をつく。
煙硝という言葉が耳に入ってきた。
この地方の合掌造りと聞くと、すぐに養蚕というイメージが浮かぶが、
実はほとんどの財源が煙硝(パンフレットには塩硝とある)、つまり火薬作りにまつわるものだった。


しかし上階に上がると、そこはまさしく養蚕業の名残だらけ。

煙を上階に回すために、床はすのこ状態。
一応の進路のためにむしろが敷かれているが、歩くと軋み、ちょっと怖い。

岩瀬さん宅の玄関には、ちょっとした土産物売店が設えてあって、
そこで感じのよいお姉さんから五箇山和紙で作られた、
富山県民謡「こきりこ節」の人形を購入した。

 

五箇山の岩瀬さん宅は、いまではほとんど集落と呼ぶには寂しい一軒家に近い立地であるが、
その五箇山から国道でもほんの数十分という世界文化遺産白川郷は、
まったく観光地化されている、とても賑やかでいろんな意味で熱いところだ。
集落の真ん中に直線の道路が走り、そのところどころに空きスペースを利用した駐車場らしきものが点在する。

統一料金で500円ほど。
大型駐車場が平日の昼間にも関わらず満車で、どうにか停められないかと集落の奥へパッソを進める。
1台分の駐車スペースがあり、おじさんが500円を受け取り、「荻町合掌造り集落」という、
紙は薄いが本格的な案内図を渡してくれた。駐車現在地を丸で印もつけてくれる。
その絵図を見ると、北からやってきたことになるから、南北に奥行きを見せる集落の鳥瞰図を、
北を下にして見ることになる。
それにしても谷あいのミニ盆地的な場所で、かんかん照りの今日という日はかなり暑い。
高い木立の群生もほとんどなければ、日影が出来るほどの高層建築もないから、
照りっ放しの状態で歩くのもしんどくなってくる。
パッソを停めた場所から、さほど離れていないところに、本当を言うと適当に進んだ結果だが、
いわゆる「神田家」という神田さん宅にお邪魔する。


神田家正面
白川郷は全体として観光地である。
見学できる家々は、もうさながら博物館。家の人だか、雇われている人だかは定かでないが、
説明役が点在し、簡単な質問にもよどみなく快く答えてくれる。
集落の合掌の家々は、すべて南北にその短いほうの辺を向け、窓が開けらている。
これは風を入れるためだという。そして、その建て位置は決して一直線上に重なっていない。
他の家のことを慮っての知恵だそうだ。

現在、養蚕の名残は実質上ほとんどない。なにしろ桑の木すらないのだから。
莫大な資産という言葉を聞く。
その出所はやはり煙硝、つまり火薬の製造だ。
この白川郷は徳川幕府に納めていたようだ。
農耕具などが展示されている。

上に行くほど狭くなる。

三角形屋根の頂点。

釘は使われていない。
ちなみに、神田家は国の重要文化財にしてされている和田家の分家さんだそうで、
当時、本家より大きなものは建てられなかったという話を聞いた。
江戸後期の建築である。

駐車した場所の近くの土産物店で購入した合掌造りのミニチュア。