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二号線から見える浄祐寺の壁。
壁の上部に煉瓦が見えますが、それ以外は瓦ですかね。
このお寺は私が行く時はいつもひっそりとしていますが
インターネットで見ると、わりと写真を撮っている人が多い。
文楽や歌舞伎で有名な演目(忠臣蔵、五大力恋緘など)の
登場人物の墓所を訪ねて来られたのでしょう。
矢頭長七の墓所は
大阪の観光地として、昔はそこそこ有名でした。
かつての大阪は全国的にも有名な芸能の街、芝居の街だったので
多くの芝居ファンがお墓参りに訪れたのだと思います。
古地図ファンにはおなじみの本渡章さんの著書、
「続大阪古地図むかし案内(明治~昭和初期編)」にもその名前は登場します。
昭和初期の近代古地図「グレート大阪市全図」に『珠玉の名蹟』のひとつとして
上げられているのです。
この地図が発行されたのは、昭和三年。
大正末期に人口・面積ともに日本最大の都市となった大阪市は
昭和二年に工場数・職工数ともに全国一となり、
まさに「グレート大阪」の名にふさわしい巨大都市に発展しました。
当時、福島区はまだなく、此花区の一部でした。
矢頭長七のお墓がある浄祐寺の住所は現在は北区堂島ですが
此花区の名所として紹介されています。
※「福島区の風景・街並み」
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