旧海老江村の中心地に存在する海老江八坂神社。
「wikipedia:八坂神社(大阪市福島区)」
「福島区:名所・旧跡 八坂神社」
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投稿日は4月ですが、撮影したのは昨年の12月。
鳥居に「初詣」の幟が立っています。
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この中にだんじりがあるのかな?
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裏側には防火水槽が。
今は役目を終えて(?)プランターとして余生を送っているようです。
JR福島駅近くの「逆櫓乃松址」を舞台とする文楽『ひらかな盛衰記』。
浄瑠璃の中に「海老江」が登場します。
「究竟の物見櫓、ござんなれ」
と駈け上る門の松
四方をきつと見渡せば北は海老江、長柄の地、東は川崎、天満村、
南は津村、三つの浜、西は源氏の陣所々々、
人ならぬ所もなく天を焦せる篝の光
海老江には大きな工場があり、
都市化の波で大きなマンションが建ったりしています。
江戸時代に上演された当時、観客の皆さんが「海老江」と聞いて思い浮かべたのは
この海老江八坂神社を中心に広がる農村の風景だったのではないでしょうか。
実際に神社の周辺を歩くと、田畑はもうありませんが
お寺や立派な蔵のあるお屋敷、迷路のように入り組んだ細い道など
古い村の様子をうかがわせる風景がまだ残っています。
こちらにもたくさん長屋があるのですが、
野田や福島とはまた違う空気を感じます。
海老江の方がより古い風景や雰囲気が残っているような…
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「天保新改攝州大阪全圖 (1837年)」の一部。
丸印の地名は下記の通り。
赤=海老江村
橙=海老江新家
緑上=野里村
緑下=野里新家
青=浦江村
紫=大仁村
桃=野田村
この地図上で海老江と野里の間に流れている川は「中津川」。
新淀川開削は1910年のことです。
この工事のため、海老江村北部の地域は新しい川の底に沈み
海老江新家は北岸(西淀川区側)に引き離されてしまいました。
海老江は昔は西淀川区に含れていて、
区役所は今の海老江6丁目付近にあったそうです。
1943年に福島区が創設した際に西淀川区から分離、編入されました。
上記の地図の地名のうち、野田村以外はすべて旧西淀川区です。
町を散歩している時に、
「野田と福島は似ている、鷺洲と海老江も似ている。
野田・福島と鷺洲・海老江は何となく違う」と感じていたのは
もともと違う地域だったからかもしれません。
「海老江八坂神社」
住所:大阪市福島区海老江6-4-2
※「福島区の風景・街並み」
「wikipedia:八坂神社(大阪市福島区)」
「福島区:名所・旧跡 八坂神社」
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投稿日は4月ですが、撮影したのは昨年の12月。
鳥居に「初詣」の幟が立っています。
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この中にだんじりがあるのかな?
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裏側には防火水槽が。
今は役目を終えて(?)プランターとして余生を送っているようです。
JR福島駅近くの「逆櫓乃松址」を舞台とする文楽『ひらかな盛衰記』。
浄瑠璃の中に「海老江」が登場します。
「究竟の物見櫓、ござんなれ」
と駈け上る門の松
四方をきつと見渡せば北は海老江、長柄の地、東は川崎、天満村、
南は津村、三つの浜、西は源氏の陣所々々、
人ならぬ所もなく天を焦せる篝の光
海老江には大きな工場があり、
都市化の波で大きなマンションが建ったりしています。
江戸時代に上演された当時、観客の皆さんが「海老江」と聞いて思い浮かべたのは
この海老江八坂神社を中心に広がる農村の風景だったのではないでしょうか。
実際に神社の周辺を歩くと、田畑はもうありませんが
お寺や立派な蔵のあるお屋敷、迷路のように入り組んだ細い道など
古い村の様子をうかがわせる風景がまだ残っています。
こちらにもたくさん長屋があるのですが、
野田や福島とはまた違う空気を感じます。
海老江の方がより古い風景や雰囲気が残っているような…
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「天保新改攝州大阪全圖 (1837年)」の一部。
丸印の地名は下記の通り。
赤=海老江村
橙=海老江新家
緑上=野里村
緑下=野里新家
青=浦江村
紫=大仁村
桃=野田村
この地図上で海老江と野里の間に流れている川は「中津川」。
新淀川開削は1910年のことです。
この工事のため、海老江村北部の地域は新しい川の底に沈み
海老江新家は北岸(西淀川区側)に引き離されてしまいました。
海老江は昔は西淀川区に含れていて、
区役所は今の海老江6丁目付近にあったそうです。
1943年に福島区が創設した際に西淀川区から分離、編入されました。
上記の地図の地名のうち、野田村以外はすべて旧西淀川区です。
町を散歩している時に、
「野田と福島は似ている、鷺洲と海老江も似ている。
野田・福島と鷺洲・海老江は何となく違う」と感じていたのは
もともと違う地域だったからかもしれません。
「海老江八坂神社」
住所:大阪市福島区海老江6-4-2
※「福島区の風景・街並み」
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