YEAR3210

風に転がる迷走日記

ショーウインドウ

2013-11-18 17:16:56 | ショーウインドウ 歌詞
 ショーウインドウ

冬にわざと 隠れながら
あなたに別れを告げに行った
いつもの午後の 青い電車
頬杖ついて 海を見ていた

渇いた渚は 冬に捕らわれて
引き潮の抜け殻だけ残し
一駅過ぎるたびごとに
私の心を 小さくさせる

駅の地下街 ショーウインドウ
あなたに似合いそうな
セーター探す いつものくせ
だけど私はあなたに 似合わない  


夢を追う あなたの横顔
風が洗う 高すぎる 空
次のページを風がめくる
このままずっと いたいのに

夕暮れ 薬屋を曲がれば
賑わう いつものお店たち
あなたの帽子を 深くかぶった
あの夏には もう帰れない

いつも代々木の あの店で
重ねたふたりの 言の葉
枯れて消えてしまった
頬杖ついて思い出している

駅の地下街 ショーウインドウ
あなたに似合いそうな
セーター探す いつものくせ
だけどあなたに私は似合わない

酔眼突貫東方見聞録第六回、サラバ日本海

2012-02-01 20:53:34 | ショーウインドウ 歌詞
翌朝、5時に起きる。8階の宿の部屋の窓から駐車場だけが照明に照らされ蒼く見えた。一晩がかり、雪は降り続いていて空気が尖っているのがわかる。暖かい部屋でゆっくりしていたいのだが、大館の駅まで急ぎ大阪から日本海沿い北上してくる寝台特急「日本海」に乗らなければならないのだ。

夜があけきらないホームでそれを待った。日本海はまもなくその役目を終える。昭和の時代から、大阪から青森まで一晩がかりで直接つないだ貴重な列車だ。





上野発札幌行きの夜行寝台特急、北斗星はあきらかに観光夜行寝台特急だが日本海は必要とする人が乗る人生的な感じがある。この3月に定時運行はなくなるらしい。事実上の廃止だろう。またひとつ昭和が消えてなくなるんだな。青函連絡船もそうだ。新幹線で東京から新青森まで三時間半。その先、函館、札幌まで伸びるらしい。世の中、不景気だったり大きな地震があったりこの先、巨大地震が必ず来ることが急速に現実味を帯びてきているが時代の未来化は進む。地震に怯える前に前向きに生きようと世の中の流れに沿いそう思いたいが、地震の恐怖感は拭えない。その時、自分がどこで何をしているかだ。ハシゴのてっぺんでペンキを塗っているかもしれないし、国会議事堂の中にいるかもしれない。
あとは運命の問題、それだけでしょうね。
そんなこんなでオレは新青森までの少しの時間、B寝台車4人部屋を独り占めした。通路側の折りたたみ式の椅子には浴衣の乗客がやや茫然とした顔で煙草を吸いながら雪景色を見ている。極寒の原野にナガグツを履いたカメラマンが何人も過ぎる。日本海を写真に収めたいんだな。気持ちがよくわかる。
寝台車に寝込ろんで、この場面だけはコーヒー。コーヒーが旨い。哲学的な味がする。コーヒーも人間の偉大なる発明、発見なのですね。
朝、目が覚めた瞬間から気が狂いそうなぐらいにうどんが食べたくて食べたくてどうしようもない。海産物、珍味系など食べたくない、見たくもない。人間のカラダは正直に出来ている。新青森に着くとオレは真っ先に駅の立ち食いうどん屋に飛び込んだ。230円のカケウドン。すすればあまりの旨さに気を失いそうになった。最高の最高の最高の超ご馳走なのです。
仙台行きのはやてまで少しの時間があったので外にでた。温度計はマイナス9℃、身を切る寒さだった。駅前の広場に数十人の小学生がいて先生と思われる人々がちらほら。校外活動か何かでみんなで除雪作業をしていた。寒そうにしている子供は誰一人いない。みんな笑っている。イタズラチームは先生の話す注意


↓これが青森式雪合戦。 雪の塊の大きさが・・・ちがうね。そして素晴らしいまさしくリンゴのほっぺ


事項など聞くこともなく大きな雪のブロックを投げている。生まれ育つのは都会ではなく地方がいいとしみじみ思わせる光景なのであった。
駅は確実に月曜日の朝の雰囲気だった。大多数の学生、サラリーマンは金曜日の夜を目指し動き始めるのですね。新青森の駅で日本酒の小瓶を土産に買い込み
出汁の効いたうどんにイブクロが挑発されたから缶ビールを買い込み新幹線に乗り込んだ。南下する超高速電車の中でヤレウレシのビールなのだった。
 はやてに乗り込むと隣の席に明らかな老婆が座った。しかも大きなトランクケースを引いている。年齢から察してそのトランクの大きさは尋常ではない
スーツケースだった。そのおばあさんはオレにおはようございます、よろしくお願いしますと言った。少し腰が曲がっているが
足腰はまだまだいけるようだった。電車が走り始めていろいろ話しているうちにそのおばあさんは大宮まで行くことが分かった。
そしてなんとなんとかれこれ80年も暮らしてきた故郷、青森を離れるその日だったのだ。長い雪国での一人暮らし、大宮に住む
息子さんに呼び寄せられ、その日、その電車で大宮に移住するまさしくその事実のさなかのおばあさんだった。
深く刻まれたしわ、かなり度の強そうなメガネ。でもそのおばあさんは気丈だった。こんなに電車が早いから毎週、こっちに来ると笑いながら話していた。オレはその女性を祝福すべきか慰めるべきか言葉に詰まった。
おばあさんはただ笑っていてちり紙にくるんだかき餅を差し出してくれた。まさしく感動の一コマであったのだ。
オレは何を語っていいかわからず眠るふりをしてその女性に仙台が近くなったら起こしてくださいと言い黙り込んだ。
朝のビールは心地よく本当に眠ってしまったようだった。
オレはそのおばあさんに起こされた。
「あんちゃーん、仙台さつくどお」
オレは降り際にそのおばあさんに深々と何度もお辞儀をした。おばあさんはずっとにこにこ笑っていた。
日本人でよかった、バンザイ日本、ガンバレニッポン、本気でそう思った。泣けた。
行きの新幹線の助手席は犬、帰りはおばあさん。今まで数えきれないぐらい新幹線に乗ったがこれまで隣の席に妙齢の女性が座ったことは一度もない。

酔眼突貫東北見聞録 前編再放送

2012-01-28 13:50:42 | ショーウインドウ 歌詞
  久しぶりの東北への旅だった。去年の春は震災の翌週に気仙沼に行く予定だったが
あの震災で宿泊すべき宿が流されてしまい中止。今回はぐっと踏み込んで青森、秋
田の大館までの長距離の旅だった。主目的は子分1号を引き連れて本番秋田のキリタ
ンポ鍋を食うこと。一言で書けばその理由だけにしては遠い、遠すぎる、ただそれ
だけだ。
今回は最新の新幹線、はやてでの移動だった。東京から新青森まで三時間半。
ビールを飲んで一寝入りしたら本州最北の大地。時速300キロ近くの高速で移動。
揺れることなく静かな車内は非現実的な移動空間の違和感を全く感じさせない。
日本の鉄道技術に平伏する。これはまさしく瞬間移動装置なのだな。今回の旅の
移動ルートは、高速バスで東京、東京で子分1号と落ち合い新幹線で新青森、在来線
で青森、青森でぶらぶらしたあと在来線で弘前、大館、温泉宿からタクシーで有名
なキリタンポ鍋料理の店までタクシー、タクシーで宿に戻り一夜を明かし早朝、大
阪からやってくる寝台車、日本海にのり寝転がって新青森まで、新青森から新幹線
で仙台、仙台から東北本線で名取、名取からタクシーで被災地の海岸まで移動、再
びタクシーで名取にもどり東北本線で仙台、仙台からはやてで東京、東京から高速
バスで地元まで。非常にタイトなスケジュールなので各駅の乗り換え時間は際どい。
全速力で駅構内を走って乗り継げるスケジュール。東北の在来線は本数が少なく少し
余裕を持たせるとその後に大いに影響する。
新青森に着いたらその辺の枕木で子分1号を殴ろうと考えたがよく考えたら一緒なの
は新青森まで、そこから好き勝手な行動で夕方に大館の宿で再び会う、翌日も好き
勝手に行動だったので殴る理由はなく残念だった。乗り継ぎの時間は数分、駅の便所
でウンコをしている余裕はない。全速力とは、てぶらで酔っていないことが前提で乗
り換えができる計算だが、誤算はリュックをしょっている、酔っている、傘を持って
いる、なのですね。こういうのをタダのバカというのではあるまいか。うすうす感じ
てはいたがやはりオレはバカだった。
しかしやる時はやるもので警察に追われる犯人的速度で駅の連絡通路を疾走。各駅、
電車のドアが閉まる寸前に車内に転がり込むことをくりかえしていた。
 東京発新青森行きの窓際の席に座ったら隣の席は犬だった。いつもこんなことばか
り書いているのでウソつくなと時々文句をいう人もいるけどいつも書いていることは
真実を書いているんですね。
とにかく隣の席は犬だったんですよ。もっとも飼い主はその隣にいたけど。犬も新
幹線に乗れるのだね。
切符はいるのだろうか、指定席券は、様々な疑問が湧くが飼い主はケージを持っていた
のであれはきっと手荷物扱いなんだろうね。犬はけっしてトイタイプではなく中型であ
った。新幹線に乗って買い込んだビールを開けとりあえず、プシュ、グビグビ、プハー、
乾きものをガサガサ。とっておきの福島あたりからつまみ始める深川幕の内弁当、我が
人生最高位に位置する至福の時であります。乾きものを開けるとその犬は瞬時に反応し
てオレをじっと見つめる。いたいほどの視線。そのような犬は間違いなく食べ物も管理
されているはずだから安易にサキイカを上げるわけにもイカない。いや、イカはある。
飼い主は既に寝込んでいる。
 犬はオレの目を見つめ微動だにしない。繰り返すビールの動きを目で追う。長い新幹
線生活の中で隣席が犬は初めてでしたね。気にしないようにしてシートを倒し靴、靴下
を脱いでふんぞり返って埼玉の冬景色を眺めながらワゴンでかったホヤの燻製をつまむ。
ホヤの燻製は乾きもの界では絶対的エースですね。普通は小箱で買うのだがオレは販
売用の大箱ごと買った。これは決して安い買い物ではない。ワゴンの販売員が驚いた顔
にあった。前の席でしゃらくさい缶ワインを飲んでいる同行者に見つかると寝ている間
に間違いなく盗むのでヒトハコ食べる分だけ出してあとのナナハコはリュックの奥に厳
重に隠す。
ふとオレを見つめる犬を見るとその瞬間、犬は目をそらし外の風景を見るフリをする。
犬は賢い。
 仙台辺りで弁当を食べ終える頃、急激に意識が遠のいていった。目が覚めて外を見ると
雪に埋もれた八戸の街が流れていた。いつのまにかオレの体は八戸まで運ばれていた。
犬はどこかで降りたらしくいなくなっていた。その犬は電車を降りた後、飼い主に「隣の
席のおっさんは電車の中でずっとビールを飲んでつまみを食って弁当を食って週刊誌の袋
とじを割り箸であけていたんだよ」と伝えていたに違いない。
新青森に着くとそこは雪の中、外気はマイナス5℃だった。 暖かな新幹線から即刻、
退場命令のアナウンスが流れている。時は昼、腹は減る。
 東京から新青森まで缶ビール5本、日本酒1合、イカ、ホタテ、ホヤ、カニ足入り
海鮮的弁当などをイブクロに納め、トイレにも行かず、一歩も動いていないのだ
が腹が減る。旅に出るとカラダが24時間待機飲食物受入体制になるのは人体の不
思議。日頃、ストレス社会の中に身を置いていると食欲のない時もあるが要は神
経回路の問題だろう。このまま一週間も旅を続けていたら間違いなくデブになる
だろうな。人間はある程度のストレス、緊張感が必要だというのもわかる気がする。
新青森の駅は奥羽本線の横っ腹、有り余る土地に無理やりつなぎこんだような新
しい駅だが新幹線の駅らしくとてもきれい。駅中にはたくさんの飲食店、土産物屋
があるが北国の食い物はなぜか全てがうまそうに見える。そして必ずや酒絡みだ。
まして日本酒風土の国。
 オレはそのそそわれる飲食街を横目に外に出て深呼吸をしたのだが外気は昼に関わ
らず氷点下。北国を訪れていつも不思議に感じることは肌で寒さを感じないこと。
温暖な気候の街で普段暮らしているが外気温が一桁になると寒さにフルエル。旅先
は寒いという意識が湧かない。不思議だ。精神のどこかが緊張、あるいは高揚して
いるからだろう。それにしてもヒルメシである。重要課題だ。
オレは旅に出る時、旅先の飲食店の情報は一切調べたりしない。ネット、論外、
るるぶ、超論外、そこまで縛られてどうする。よくも悪くも全て行き当たりばった
り、それが主義。そのまま青森行きの電車に飛び込んだ。青森駅は雪の中、なんだ
か聞いたことある言い回しだがなにも夜行列車降りた時から雪の中ではなく冬はい
つも雪の中じゃございやせんでしょうかね。ビルの向こう側に青函連絡船、八甲田
丸が雪に霞んで見える。この船で悲しいヒトヅマは男の元に逃げたのだ。怪しい不
倫関係にある中年男女はこの船で北の大地に逃げたのでありますね。
駅前の信号機は赤。なかなか変わらないので盗塁することにした。駅前の交番はス
ルドい牽制球を投げようとしている。お巡りさんが下を向いた瞬間、交差点を斜め
に盗塁。盗塁成功。一塁から三塁までの盗塁成功。しかし背中のリュックが異様に
重い。重たい原因はウィスキーでありますね。なぜウィスキーをしょっているかだ
が、これはわけがある。ウィスキーごときどこでもかえっぺ、と言われればそれま
でだが酒のない状況に陥る可能性もなくはない。例えば雪のせいで電車が止まって
しまい缶詰め状態になった時、再び巨大地震がきて帰れない状況になった時、そん
な場合の酒がない状況を予知すると恐ろしい。背中のウィスキーは保険証ならぬ保
険酒なのですね。事実、青森から秋田までの奥羽本線は車内販売はなかった。その
秋田行きの大館に向かう電車の車内アナウンスでそーゆーわけなので売店でかっと
けと発車直前に伝えていた。オレは、事実、美しいお岩木山を見ながらその保険酒
を使い大館までのあまりも寂しくそして美しい風景をやり過ごしたのであった。
話は飛んでしまったが駅前の交差点を過ぎるとかっぼう料理屋が見えた。店の前の
看板に大間のマグロと書いてあるのをオレは見逃しはしない。大間違いではないのだ。
大間なのである。普段は週に三回は刺身を食べる。当然スーパーの刺身であるのは仕
方ないが、いつ買っても同じ形、おなじ量、同じ色合い、同じ解凍具合。物流システ
ムや冷凍、解凍技術が確立されていてそのクオリティが商品としての価値、見栄えを
維持、継続しているのだろうな。
家で食べる生年月日、出身地不詳の冷凍マグロは醤油とわさびにアザムカレている
。店に入りすかさず生ビール、ウニ、白子、そして大間のマグロを注文。小ぶりの
どんぶりに白子、ウニ。そしてマグロ。それ以上そこんところはここには書かない。
充分おわかりでしょう。
子分1号は青森の駅でいつのまにか消えていた。北国の女でもいるのだろうか。
プリン体、大量摂取の後、そのまま雪壁にそって青函連絡船の桟橋まで移動した。
青森の駅と直接連結するその桟橋は船倉まで線路が導かれている。青函連絡船にその
まま当時の国鉄の車両が乗り 込んで青森、函館間を往来 していた。だから船であり
ながら海上鉄道なのである。
青森港には最後の代の八甲田丸がそのままの状態で停泊されている。船内の殆どを見る
ことができ船倉には当時の特急列車や貨物列車がそのまま保存されている。薄暗く油の
臭いのする船底にある列車はある種の異様な雰囲気を
出している。過去に何度も高波で沈没した経緯や空襲に襲われた経緯を考えると恐怖
感さえ感じる。空襲されていて炎上する生々しい航空写真が掲示されている。
あえて考えそして思うが人間、戦争とはなんと愚かなんだろう。
今のところ空襲の怖さはなさそうだがプリン体の怖さにおののかないとならない。
総じてプリン体含有飲食物は旨い。ビール、ウニ、マグロ、ホヤ、カニ・・・
なんだか本日朝から昼まで食ったものばかりではあるまいか。もーわたしったらいや
だわふふふ。
一日のプリン体許容量を1とすると本日は7あたりまで到達している。しかもあと半日
ある。オレは自分に非常事態プリン体摂取緩和超法規的宣言を発動した。特例として
指数10まで許されるのだ。ただしその場合、3日間の海産物摂取禁止令が別条とし
て付くのだ。オレは法律に従った。要は尿酸のモンダイなのだね。というか尿酸の値
の問題なのですね。
さて、その船の電車であるが乗せる時、或いは函館港で陸上の線路に移動するとき、
どのような手順を踏むのだろうか。潮の動きを見計らって移動するのだろうか?上下
の動きのモンダイの他に波で振られるから左右の動きもあるはずである。インターネ
ットで調べれば容易いかもしれない。でもそれでは夢がない、空想するから楽しいの
でありますね。
八甲田丸は1988年まで現役で動いていた。さほど昔の話ではない。外観も内部の人
間が存在すべき場所はきれいに保たれている。操縦室の計器類はアナログ的であるが
昭和の最先端を感じる。
普通に港に係留してあるから時々揺れる。ただ単純にまだまだ観光船として使えるの
ではと思うのだがね。
機関室はこれはまた魅力的な場所でエンジン、ボイラー、様々な配管類を目で追える。
ダミーではなくこのような本物の機関を見ると楽しい。時間が経つことを忘れる。
時間は迫っていて4時半の秋田行き奥羽本線に乗らなければならない。大館まで電車
で一時間あまり移動しなければならないの
だ。その機関室であるが駆動系を目で追いかけるとなんとなく動く仕組みがわかる。
わからないのは積み込まれた電車や巨大なエンジンがなぜ海の上、船の上で浮かん
でいるかだ。
物理的な浮力の問題だけなのだろうがおそらくカヌー的なもの、筏的なものから人知
はここまで船という乗り物を発展させたんだな。機関室のエンジンは当然止まっている。
これが動いていた時の労働環境は過酷だったことは容易く理解できる。敵は室温、騒音、
エンジントラブル、海峡の高波だったのであろう。蒸気機関車の理屈も理解できる。燃料
を使う車も理解できる。理解できないのは原子力の発熱の理屈ですかね。また行きたい場
所であることは確かなこと。オレは名残惜しく下船した。外は大雪。名残雪の季節までは
程遠く海の向こう側に凍えた悲しくも切ない下北半島が何を語ることなく横たわっていた。
  再び青森の駅に戻る。戻ると言っても歩いて僅か三分の距離。駅前では乗降客や観光客の
ための除雪作業中。北国はなにかとタイヘンだ。皆、年配者。でも貴重な労働の場所なの
だろう。逆に見ればなんの生産性もない。くわえたばこの愛嬌のあるとっつぁんがオレの
顔を三秒見詰めてすぐに転がっているスコップを見た。無言のメッセージである。
駅前の路面に積もった雪は氷になって路面に張り付いている。大変な作業だ。五分ほど手
伝ったら汗ばんできた。時が迫ったので駅のホームへ行き大館に向かう電車に乗った。
車内販売のない電車である。
北東北の大地のど真ん中、雪列車は北西に向かった。
乗っているべき子分1号は別の車両でホタテの燻製を食べつつ日本酒を飲んでいた。ただ
ちにそのホタテを検閲し、赤紙を貼り没収、自分の席に戻った。
あたりは夕闇に包まれている。右手に険しい単独峰が見えてきた。その形から津軽富士
と称される岩木山である。富士山がフンカして上半分が吹き飛んだような感じである。

その昔、岩木山を擬人化した三味線演歌があった気がする。
岩木山は標高1642メートルの活火山であり冬を過ぎたら登山客で賑わう名峰だ。その向
こう側は世界遺産の白神山地なのだ。日本という国の自然の奥深さに感動しつつ持参し
た保険酒のウィスキーをその小さな金属のキャップに注いで一息に流し込む。喉から胸、
イブクロが燃え、そして流れる冬景色。黄昏を超え至福の時間である。非日常の時間は
幸福なのだ。この極めて貴重な時間のお供はファンタオレンジ、コカコーラ、コーヒー
牛乳であってはならない。風景や土地との意志疎通、一体感、だから不可欠は酒である。
弘前を過ぎ、大鰐温泉を過ぎ大館に向かう。到着時間の五分前に携帯のアラームを鳴ら
すそうとするが携帯は無情なことに電池切れだった。朝から殆ど使っていない。高速移
動していると電池の消耗はやたら早く使い物にならない。眠気はあったが寝ないように
した。寝入ってしまったら八郎潟の人になってしまい人生の方向性、向かう方向を変え
なければならない。だから寝ないことにした。
同行人が寝過ごすことが楽しみである。
大館に着くと夜だった。夜と言っても時刻はまだ5時過ぎ。夏であればまだまだ太陽
は西の高みにいる時間であるが兎に角、冬の大館は冷たく寒い夜だった。
電車を降りると真っ先にぶつかるのは犬の石像。秋田犬である。秋田犬の読みはあき
たいぬが正。あきたけんは間違い。50年以上生きてきて初めて知った事実。しかも国の
天然記念物。またぎの有能なる助手、わかりやすいところでは忠犬ハチ公だね。旅に出
て旅先でその風を感じる見て触って知識を得る、これは貴重である。別に知らなくても
いい知識でもそれは宝物になる。疑似体験として本から得る知識もこれまた貴重なので
ありますね。知らないことを知らないまま死んで行く、それはそれでつまらない、損だ
と思う今日この頃である。
青森駅から青森港までこんなに近かったとか青函連絡船が係留されていて乗り込めるだ
とか秋田犬のこととか全く知らなくその土地を訪れてなにかを発見する。まさしく酔眼見
聞録である。このような真摯なタイドがなせる技であることは…あり得ない。生まれ育った
千葉県の海岸、港でへらへらしている犬は野良犬という千葉犬である。
かつてあれだけたくさん港にいた千葉犬が全くいなくなってしまった時期がある。犬を
食す文化を持つ国の人々が捌いて食ってしまったというウワサがあったが真偽はどうな
のだろう。
さて、大館は秋田犬の産地でもあるが秋田名物、キリタンポの元祖の街でもある。いつの
間にか青森の人から秋田の人になっていた。迷走している。迷走犯は茨城、東京、埼玉、
栃木、福島、宮城、岩手、青森、秋田という大縦断の逃亡をしている。
大館の駅前にでると八階建てのひときわ高い建物が見えた。泊まるべき温泉宿だ。夕飯
は外食、朝早いので朝飯も不要、いわゆる素泊まりというやつ。料金、4500円。安い。
しかし実質その宿への滞在時間は追跡の目をはぐらかすためもあり5時間程度。まあ、
温泉と暖かい部屋だからそれでも安いのでしょうね。
宿のロビーは閑散としていて若そうな男が備えられているパソコンをいじっている。考え
てみたら日曜日の夜だった。見た感じ宿泊客はオレ達とその男だけだった気がする。同行
人は明日は八甲田山方面に向かうらしい。オレは朝早く次の目的地、宮城県名取に向かう。
フロントの人に朝早いのでと伝えると部屋の鍵はここに置いておけば良いからね、という。
誰もいないのですか?と問いかけると、多分という答えだった。おおらかな土地柄なんだな。
オレ達はタクシーを呼んでもらい予約してあるきりたんぽ鍋発祥の店に向かったのだ。