翌朝、5時に起きる。8階の宿の部屋の窓から駐車場だけが照明に照らされ蒼く見えた。一晩がかり、雪は降り続いていて空気が尖っているのがわかる。暖かい部屋でゆっくりしていたいのだが、大館の駅まで急ぎ大阪から日本海沿い北上してくる寝台特急「日本海」に乗らなければならないのだ。

夜があけきらないホームでそれを待った。日本海はまもなくその役目を終える。昭和の時代から、大阪から青森まで一晩がかりで直接つないだ貴重な列車だ。
上野発札幌行きの夜行寝台特急、北斗星はあきらかに観光夜行寝台特急だが日本海は必要とする人が乗る人生的な感じがある。この3月に定時運行はなくなるらしい。事実上の廃止だろう。またひとつ昭和が消えてなくなるんだな。青函連絡船もそうだ。新幹線で東京から新青森まで三時間半。その先、函館、札幌まで伸びるらしい。世の中、不景気だったり大きな地震があったりこの先、巨大地震が必ず来ることが急速に現実味を帯びてきているが時代の未来化は進む。地震に怯える前に前向きに生きようと世の中の流れに沿いそう思いたいが、地震の恐怖感は拭えない。その時、自分がどこで何をしているかだ。ハシゴのてっぺんでペンキを塗っているかもしれないし、国会議事堂の中にいるかもしれない。
あとは運命の問題、それだけでしょうね。
そんなこんなでオレは新青森までの少しの時間、B寝台車4人部屋を独り占めした。通路側の折りたたみ式の椅子には浴衣の乗客がやや茫然とした顔で煙草を吸いながら雪景色を見ている。極寒の原野にナガグツを履いたカメラマンが何人も過ぎる。日本海を写真に収めたいんだな。気持ちがよくわかる。
寝台車に寝込ろんで、この場面だけはコーヒー。コーヒーが旨い。哲学的な味がする。コーヒーも人間の偉大なる発明、発見なのですね。
朝、目が覚めた瞬間から気が狂いそうなぐらいにうどんが食べたくて食べたくてどうしようもない。海産物、珍味系など食べたくない、見たくもない。人間のカラダは正直に出来ている。新青森に着くとオレは真っ先に駅の立ち食いうどん屋に飛び込んだ。230円のカケウドン。すすればあまりの旨さに気を失いそうになった。最高の最高の最高の超ご馳走なのです。
仙台行きのはやてまで少しの時間があったので外にでた。温度計はマイナス9℃、身を切る寒さだった。駅前の広場に数十人の小学生がいて先生と思われる人々がちらほら。校外活動か何かでみんなで除雪作業をしていた。寒そうにしている子供は誰一人いない。みんな笑っている。イタズラチームは先生の話す注意

↓これが青森式雪合戦。 雪の塊の大きさが・・・ちがうね。そして素晴らしいまさしくリンゴのほっぺ
。

事項など聞くこともなく大きな雪のブロックを投げている。生まれ育つのは都会ではなく地方がいいとしみじみ思わせる光景なのであった。
駅は確実に月曜日の朝の雰囲気だった。大多数の学生、サラリーマンは金曜日の夜を目指し動き始めるのですね。新青森の駅で日本酒の小瓶を土産に買い込み
出汁の効いたうどんにイブクロが挑発されたから缶ビールを買い込み新幹線に乗り込んだ。南下する超高速電車の中でヤレウレシのビールなのだった。
はやてに乗り込むと隣の席に明らかな老婆が座った。しかも大きなトランクケースを引いている。年齢から察してそのトランクの大きさは尋常ではない
スーツケースだった。そのおばあさんはオレにおはようございます、よろしくお願いしますと言った。少し腰が曲がっているが
足腰はまだまだいけるようだった。電車が走り始めていろいろ話しているうちにそのおばあさんは大宮まで行くことが分かった。
そしてなんとなんとかれこれ80年も暮らしてきた故郷、青森を離れるその日だったのだ。長い雪国での一人暮らし、大宮に住む
息子さんに呼び寄せられ、その日、その電車で大宮に移住するまさしくその事実のさなかのおばあさんだった。
深く刻まれたしわ、かなり度の強そうなメガネ。でもそのおばあさんは気丈だった。こんなに電車が早いから毎週、こっちに来ると笑いながら話していた。オレはその女性を祝福すべきか慰めるべきか言葉に詰まった。
おばあさんはただ笑っていてちり紙にくるんだかき餅を差し出してくれた。まさしく感動の一コマであったのだ。
オレは何を語っていいかわからず眠るふりをしてその女性に仙台が近くなったら起こしてくださいと言い黙り込んだ。
朝のビールは心地よく本当に眠ってしまったようだった。
オレはそのおばあさんに起こされた。
「あんちゃーん、仙台さつくどお」
オレは降り際にそのおばあさんに深々と何度もお辞儀をした。おばあさんはずっとにこにこ笑っていた。
日本人でよかった、バンザイ日本、ガンバレニッポン、本気でそう思った。泣けた。
行きの新幹線の助手席は犬、帰りはおばあさん。今まで数えきれないぐらい新幹線に乗ったがこれまで隣の席に妙齢の女性が座ったことは一度もない。