YEAR3210

風に転がる迷走日記

南アルプス3033メートル

2013-08-13 16:28:02 | 青函連絡船 きりたんぽ鍋
南アルプス仙丈ケ岳に行った。標高3033メートル。
10年ぶりの3000メートル越え。
往復6時間。途中、このまま登ったらフクラハギが爆発するなと思った、が。
山頂でビールを飲んだら治った。
山頂の住所は長野県だった。下山ルートを間違えたらそこは長野県。
大変なことになるところだった。
下山して車に乗り込み町まで降りると車の外気温度計が
43℃と示していた。


長靴を履いたタコ

2012-10-06 15:30:41 | 青函連絡船 きりたんぽ鍋
記憶の中で長靴を履いていたのは小学校の頃までで中学以降、履いた記憶はない。小学生の頃は好んで雨の日に履いた訳ではなく雨の日は強制的に履かされていた。中学生になり履かなくなった
理由はただひとつ、格好悪いから、誰も履かないただそれだけのことだった。それでも小学生の頃、まだ未舗装の道が多く水溜まりにズブズブ入っていくのは楽しかった。18才で東京に出たが長靴などは一億万年彼方のモノになり全く無縁のモノと化した。二十歳前のあんちゃんが山手線に長靴を履いて乗り込んできたら他の乗客はややヒルむ。長靴を履いてセリカリフトバックを運転したらクラッチ操作が上手く出来ない。検問で足元を懐中電灯で照らされ問い詰められる。雨の日、デートでイノカシラ公園に長靴を履いて行くわけにはいかない。そんなこんなで長靴とは永きに渡り疎遠になった。
人は歳を重ねると変わるもので最近は長靴が愛おしくて仕方ない。長靴にも種類がいろいろあるが釣りに使うかっこいいやつには興味はなく心が引かれるのはやはり黒い長靴だ。黒い長靴を探し回るとそれでもピンきりで微妙に黒の違いがあり値段もさまざまである。長靴は少しくすんだ黒がいい。ピカピカに光っている黒はいかにもナイロン的で安っぽい。台風のさなか東京へ買い物に行ったが迷うことなく長靴を履いていった。ズボンのスソを長靴の外に出すとその長靴は立派な革靴にしか見えない。大発見だ。オレは革靴のフリをした長靴でバスに乗り込んだ。こうなると残りの人生、革靴が無くともカンコウソウサイ、全て長靴で済まされると気付いた。ただひとつモンダイは結婚式の二次会がそこいらの居酒屋の座敷、小上がりだった場合である。
長靴は家の中の備品としての地位は一挙に昇格した。人生地道に腐らず奢らず頑張ってみるものである。かくして清掃用具部門で長靴さんは平社員から一挙に係長クラスまで成り上がった。ここで思うのは、バケツはなぜいつもバカにされるのだろうと言う激しい疑念である。風の強い日に庭先で転げ回っていても殆ど気にならないし、割れてしまったら捨てることをなんら躊躇わない。
どこかに出かける時にバケツをカバン代わりにするバカはまずいない。バケツをぶら下げて家から出たら近所からはあの人は川に水を汲みに行くのだな、と思われるくらいだ。バケツを持って電車に乗ったら掃除のオジサン、または最悪、テロリスト関係の人とみなされただちに鉄警隊が来るだろう。しかしココロの中のもう一人の自分がバケツの中に携帯、老眼鏡、歯ブラシを入れて温泉旅行に行けと囁くものだから気持ちが揺れる。バケツは健気にも体の色は常に水色で爽やかさをウリにしている。しかしどうあがいてもそこまでだ。それ以上の地位向上は望めない。地位向上を目指すには発展途上国に転勤するしかない。水が貴重で大事にする地域に行ったらかなりその地位は向上するだろう。2011.3.11以降、50日間も断水していた時のように。

酔眼突貫東方見聞録第三回、遅れ髪ハラハラ北国の女

2012-01-26 21:21:31 | 青函連絡船 きりたんぽ鍋


プリン体、大量摂取の後、そのまま雪壁にそって青函連絡船の桟橋まで移動した。青森の駅と直接連結するその
桟橋は船倉まで線路が導かれている。青函連絡船にそのまま当時の国鉄の車両が乗り込んで青森、函館間を往来
していた。だから船でありながら海上鉄道なのである。



青森港には最後の代の八甲田丸がそのままの状態で停泊されている。船内の殆どを見ることができ船倉には当時の
特急列車や貨物列車がそのまま保存されている。薄暗く油の臭いのする船底にある列車はある種の異様な雰囲気を
出している。過去に何度も高波で沈没した経緯や空襲に襲われた経緯を考えると恐怖感さえ感じる。空襲されてい
て炎上する生々しい航空写真が掲示されている。





あえて考えそして思うが人間、戦争とはなんと愚かなんだろう。







今のところ空襲の怖さはなさそうだがプリン体の怖さにおののかないとならない。総じてプリン体含有飲食物は
旨い。ビール、ウニ、マグロ、ホヤ、カニ・・・
なんだか本日朝から昼まで食ったものばかりではあるまいか。もーわたしったらいやだわふふふ。
一日のプリン体許容量を1とすると本日は7あたりまで到達している。しかもあと半日ある。オレは自分に非常
事態プリン体摂取緩和超法規的宣言を発動した。特例として指数10まで許されるのだ。ただしその場合、
3日間の海産物摂取禁止令が別条として付くのだ。オレは法律に従った。
要は尿酸のモンダイなのだね。というか尿酸の値の問題なのですね。
さて、その船の電車であるが乗せる時、或いは函館港で陸上の線路に移動するとき、どのような手順を踏む
のだろうか。潮の動きを見計らって移動するのだろうか?上下の動きのモンダイの他に波で振られるから左
右の動きもあるはずである。インターネットで調べれば容易いかもしれない。でもそれでは夢がない、空想
するから楽しいのでありますね。
八甲田丸は1988年まで現役で動いていた。さほど昔の話ではない。外観も内部の人間が存在すべき場所はき
れいに保たれている。操縦室の計器類はアナログ的であるが昭和の最先端を感じる。



普通に港に係留してあるから時々揺れる。ただ単純にまだまだ観光船として使えるのではと思うのだがね。
機関室はこれはまた魅力的な場所でエンジン、ボイラー、様々な配管類を目で追える。ダミーではなくこの
ような本物の機関を見ると楽しい。時間が経つことを忘れる。時間は迫っていて4時半の秋田行き奥羽本線
に乗らなければならない。大館まで電車で一時間あまり移動しなければならないのだ。
その機関室であるが駆動系を目で追いかけるとなんとなく動く仕組みがわかる。わからないのは積み込まれ
た電車や巨大なエンジンがなぜ海の上、船の上で浮かんでいるかだ。
物理的な浮力の問題だけなのだろうがおそらくカヌー的なもの、筏的なものから人知はここまで船という乗
り物を発展させたんだな。機関室のエンジンは当然止まっている。これが動いていた時の労働環境は過酷
だったことは容易く理解できる。敵は室温、騒音、エンジントラブル、海峡の高波だったのであろう。蒸気
機関車の理屈も理解できる。燃料を使う車も理解できる。理解できないのは原子力の発熱の理屈ですかね。
また行きたい場所であることは確かなこと。
オレは名残惜しく下船した。外は大雪。名残雪の季節までは程遠く海の向こう側に凍えた悲しくも切ない
下北半島が何を語ることなく横たわっていた。