YEAR3210

風に転がる迷走日記

ピカソとオリンピック

2013-09-08 20:57:42 | 日記
昭和〇〇年、天才画家ピカソの模写がとてもうまい人がいた。地方に住む自称、画家も
ピカソの模写に一生懸命になり細部まで精密に精密に真似をした。
当時人々はその模写力を絶賛した。
模写のうまいその人は各地で展覧会を開催した。訪れた来訪者はあまりのそっくりさに
感度し、称賛した。
そのうまい人は、色合い、筆さばきすべてをコピーして全く同じ絵を描き続けた。
時間と場所が準備できればすぐに自作のピカソの模写に絵の展覧会である。
行うたびに同じ顔ぶれの客が集まり絶賛した。
それから長い年月が過ぎ時は昭和を終え平成になった。
平成〇〇年、ピカソの模写のうまい人は相変わらず模写に夢中。
唯一の難点は彼はラテン語ができないことだった。
彼はピカソになりきったふりをしながら半分でたらめのラテン語で来客者を振舞った。
半世紀近くたってもその模写名人はむなしさを漂わせながら模写を続けている。
同じように年を取った彼の客もどことなくむなしさを漂わせ、模写に酔ったふりをする。
きっと死ぬまでそれ以上それ以下のことはないのであろう。
その模写名人は半世紀近い時間の中、模写を続ける中、この色を変えてしまおうとか
このラインを変えてしまおうだとか、全く白紙の状態から自分だけにしか描けない世界を
描いてみようと思わなかったのだろうか。オリンピックが開催される首都東京では
最近、コピーバンドという老いも若きも含めたバンドが激減していそうである。みんな自作に目覚めている。
コピーバンドは地方のいわゆる親父バンドの文化に成り下がっていて、つまり
あまりかっこの良いものではなくなってしまったようなのである。
70年代の洋楽の物まねバンド=百姓という構図が浮かび上がってきているそうだ。
どんだけ指が速く動いたからと言って、どんだけレコードと同じ音が出せたからと言って、
もはやかっこいいものでもなんでもなくなってしまった。そこまで時は流れた。
オリンピックが日本で開催されるそうだが賛成意見ばかりが報道されている。
ヤミの部分はさすが日本のメディア、一言も報道しない。
青森、下北半島の泥運びのおばさんはどうとらえているのだろうか、茨城県トーカイ村の
原発関連下請け配管工はどうとらえているのだろうか、新宿区に住む長崎県出身のわけあり大卒
ホームレスはどう考えるのだろうか。
東南海地震の発生は確定であり国の存続を揺るがすほどの大災害が起きることは時間の問題だと
騒いでいながら国が認めていながらオリンピックを招致するというのは大きな矛盾を感じる。
日本の地下は大きな活動期に入ったようでいつ何が起きるかわからない状況にあるそうだ。
数年以内に再び日本国内で巨大地震が起きる可能性は極めて高いと思わざるを得ない。
陸上競技中、竜巻が起こって走り幅跳び34メートルだとか100メート走2.5秒だとか信じられない世界記録が
出そうな気がしなくもない。それらは追い風参考というより、竜巻参考記録になるのだろうか。
2020オリンピック開催と巨大地震、天災との関係が始まった模様だ。



モッカ

2012-09-10 20:25:05 | 日記
千葉県銚子市の南端にある犬岩はアメリカ、ハワイの領土であるとアメリカ側が通達してきてから政府の動向が慌ただしい。
日本国家としては四方から領土問題で攻められ今度はアメリカだから悩ましい限りである。既にアメリカ側は実効支配を行っておりアメリカ海軍が僅かな平地にテントを張り統治本部を作り小さな入江にゴムボートの係留場を作り、領海国境をパトロールしている。
我が国としては由々しきモンダイであるが地元の反応は意外にも反対よりもむしろ歓迎の様相を呈している。特に戦争を知らない世代は呼べば声が届くところに外国が出来たのだから嬉しくてしょうがないらしい。戦争を知っている世代は進駐軍が来たとホフクゼンシンでのたる。モッカのところ、国境沿いにいざこざはなく平和が保たれているが、突如ここで遥か昔、中日にモッカという選手がいたことを思いだした。アルトマンという選手、バッキー、ロという選手もいた。マーティン、ロジャー、ブーマ、スコットなんてのもいた。昔、各球団には必ず一人、二人(今もそうだけど)のアメリカの選手がいて、皆、大活躍していた記憶があるがなんとなく活躍させてあげていたフシがあると思えなくもない。各球団に配備されていたアメリカ人選手は日本の情報をホワイトハウスに伝える役目の人、つまりスパイだった。
千葉県銚子市の東海岸の沖合に富士山のような三角の岩があるが、その岩をチリが我が国の岩であると言い出しているそうだ。
偏西風に乗って西からイワシ雲が流れてくる。その雲は我が国の雲だかんな、と中国が言い出しそうな気配がある。中国は将来的に未曽有の水飢饉になるらしい。日本もそうなるという。もしかしたら近い将来、水を求めた戦争、水戦争が起きるかも知れない。領土がどーのこーのと言ってられないのだ。映画、ケビンコスナー主役のウォーターワールドをまた見たくなった。でもウォーターワールドは面白くない映画だ。原作、発想に対して映像化が負けている。その類のSFとして特撮しすぎている。もっと精神的な部分をえぐり出した方が面白い。これこそ原作を活字で読む方が絶対的に面白い。活字のショーである。親戚が旅行に行くと言うので室内犬を預かっているがこの犬はモッカのところ人間のカカトを噛むことを最大の楽しみにしていて痛くてしょうがない。預かっている間、スリッパーと名付けた。いつになったらベッドで薄手の毛布を深々と被りウィスキーをチビチビやりながら宝物である裸電球式読書灯のもと活字の世界にもぐり込める正しい秋がくるのだろうか。

畑放棄

2012-06-17 16:51:06 | 日記




久々に庭の畑に行った。
玄関から歩いて19歩、6秒の距離である。忙しくて行く暇がなかった。
訪ねてみたら大変なことになっている。
最初に植えた時の苗の高さは10センチ足らず。わずか一か月、目をそむけていたら
トマトの苗は1メートル50センチにもなりトーガラシは50センチを超え、夏前だというのに
早くもトーガラシがなれ始めている。
老いらくの恋農場は「野菜の森」になってしまった。もうめんどくさい。こうなったら
なるがままにするしかない。
秋にトーガラシを乾燥させて小分けして行商に出るのだ。しかし、
その前に来週あたりやってくる台風4号が気にかかる。全滅の予感がする。
なれたてのトウガラシ、今夜焼いてくっちまおう。
初物です。

遅い人

2012-06-15 20:56:40 | 日記
世の中に遅い人がいる。遅い人が迷惑な場合がこの場合ある。何の場合かと言うとこっちが急いでいる場合だ。

その1
「コンビニの店員の遅さ」

いらっしゃいませこんばんわー、
機械的幼稚言語定形ごあいさつ。まずその言葉を聞いただけで一刻も早く買い物を済ませて立ち去りたくなる。最近はコンビニに限らずその言葉があらゆる方面で乱用されている。が、テーマは遅いレジ打ちバイトだ。時々、その極地で本気でスローモーションレジバイトがいる。これはホントにイライラしますね。これは圧倒的に若い娘に多い。わりと最近の昔、コンビニの弁当には箸がいっしょにシュリンクされていた。それが廃止され箸は申し出たら袋に入れてくれるようになった。最初のうちは省エネの観点から箸は希望者の方に差し上げています的なコトガラの貼り紙があった。しかし今では有無なく勝ってに店員がレジ袋に放り込む。お箸はナンゼン入りますかと聞かれる。弁当一個買ったにも関わらず5ゼンというとちゃんと5ゼン入れてくれるのだ。やったことないけど。世の中には見せかけの省エネがはびこっている。本末転倒なのですね。反対に当然入っていると思い込んでいた箸が入っていない場合もある。箸のない状況下でこのような場合、とてつもない落胆のあとその怒りの矛先はコンビニ店員に向けられる。箸をくださいと言わなかった自分が悪いのか、入れなかった店員が悪いのか、結論がでないまま悩む。先日、水道橋のビジネスホテルに泊まった時、その状況に陥った。
ノリ弁当、カニミソ、サバの缶詰め、箸は無し。困った時のに身を救うのは知恵、知識だ。オレはかつて本で読んで感心したことを思い出した。ビジネスホテルに備品は少ないがシングルでも歯ブラシは二本ある場合が多いということを。オレは知識に救われた。弁当、缶詰めを指で食わずにすんだのである。

その2
「遅い車」

幹線道路を流れに乗らず異常に遅く走っているクルマに頻度高く出くわす。追い越せる状況ならまだしも幅員が狭く対向車が多い場合、かなりのストレスになる。遅い分には法定違反にならないと思うが制限速度60キロのところ30キロで走る人もこれまたスピード違反ではなかろうか。

その3
「遅いウンコ」

混雑する高速道のパーキングでトイレに並ぶ、やたら遅い人がいる。急を要する場合、遅い人を許せないだろう。

その4
「遅い焼き鳥」

居酒屋に行けば確実に焼き鳥を注文する。焼き鳥は基本的に時間のかかるものだからある程度は仕方がないが異常に遅い店がある。生ビール2杯ぐらい飲んでやっとでてくる焼き鳥、ざらにありますね。
「焼き鳥頼んだよな?忘れられているな。」
「すみません、あのー焼き鳥は?」
「いまやってますー」的会話は常にある。

その5
「遅いプリンター」

グッ、ジジジ… … … ジージー、グイーーン…… ググググググ ジジジ…ガッチャン
ドッコン ジジジ ジジ…ウィーン ガガガ ドドド ドッカンボッカン
これは我が家のプリンターが印刷を開始するまでの音の流れです。
たかだかA4一枚印刷するだけで4分ぐらいこんなことやっててやっと始まる。そう思うのもつかの間
ふとパソコンの画面を見ると
インクがねーんだよ、バカめ的なことを言っている。

マディソン群の橋

2011-11-02 20:47:12 | 日記



昨夜からの潜り込んでいる世界。
二冊同時進行読みで。

ものには当たり外れというものが必ずある。最近買ったもので大当たりは
この夏に980円で買った裸電球式フレキシブル電気スタンドです。
世の中、LEDがどうしたと騒いでいるがこの40Wの裸電球のぬくもり感はLEDには
絶対出せませんね。
ベランダバーベキューにもってこい、じっくりとテレビで映画を見る時の補助の灯り、そして
枕元に置いて本の世界に入っていくときの灯り。これは大当たりでしたね。
石油化学系の本を読んでいたらその昔、石油はあと30年程度で枯渇すると確か聞かされていましたね。
枯渇するのは時間の問題であることは間違いのないことだそうですが、
実はもっと深いところに石油はあるそうです。しかしそれを掘削する技術にまだ問題があると
書いてありました。超深度の石油を掘削するとコストは単価に跳ね返り1リットルあたり30,000円
ぐらいになるそうです。そこで思うことは地球の奥深さですね。人間様、動植物様、どうかこの星で
人生をお楽しみくださいと言ってる、そんな星、それが地球なのでしょうかね。

秋葉原ビルオーナー

2011-10-16 20:26:49 | 日記
ほぼ毎年の冬、山形県の新庄方面に出かける。目的は雪温泉。それしかない。
行き先の宿は瀬見温泉という何もないところにある大きな温泉ホテルである。
新庄から30分ぐらい内陸に入る瀬見温泉という駅は前回も雪に埋もれていた。
ホームと線路はもちろん除雪されているがそれ以外は全て雪に埋もれている。
もともと豪雪地帯。それが当たり前でその駅前にもちゃんと小学校がある。
東北地方への旅は16歳ぐらいから始まったことだからその歴史は長い。
若かった頃、缶詰工場の跡取りの友とは呼べない友達がいて彼は、今度は
ギリシャで、去年はハワイ、グアムはもう飽きちゃったなんてことをほざいていた。
オ、オレは今度はナルコで、来月はムラカミで、その次はサカタなんだと答えていた
ことを思い出す。東京に住んでいた頃、秋葉原の超有名電気屋のビルのオーナー
のせがれとしばらく遊んでいたことがある。彼はそのビルの最上階に当時、居を
構えていた。普通のエレベーターに乗り隠すような扉からプライベートエレベーターに乗る。
そこを出るとあろうことか日本の屋敷の和風玄関があった。そこをすぎるといきなり十畳の和室。
屋上和風庭園があり純和風の邸宅が8階にあった。
そこにいるのは当時、NHKに出ていた黒人のシンガー、A.E。まだ活躍しているみたいで
実名は出せないがそのころから怪しい匂いを発していたっけ。
同郷の中目黒に住んでいる友達とそのオーナーの倅をオレの千葉の実家の海へ連れていった
ことがあった。その倅は都内から足を出したことがなかったらしく当時、オレの愛車、セリカ
に感動していた。京葉道路を突っ走り東関道を下る。酒々井で降りる。なぜ酒々井か?
東関道はそのころ酒々井が終点だった。成田ICがまだできていなかったのでありますね。
その秋葉原はそのあたりにのどかな風景を見て
「こ、こんなところで人間は生きてないよね」とほざいていたことを鮮明に思い出す。
 
             21時になったので続く…。

テレビの力

2011-06-15 20:37:21 | 日記
連日、テレビでは震災地の報道がされている。テレビだから、テレビなのでと言う前置き
があるが、見ていて気になるのはBGMだ。番組制作の都合上、マイナーなそれっぽいBGM
をつけたい気持ちもわからなくは無い。しかし、落ち着いてよく考えると悲しみの音楽は
いらないと思う。その点、NHKはよく作っていて真実を伝えてくれる。がんばれ日本放送協会
と言う感じがする。一昔前はNHKは政府の出先機関という印象が強かった。大事な部分には
触れない印象が強かったが最近は大衆の目に近くなってきたような気がする。
そんな震災の報道番組を見ていたら驚くべきドキュメントが流れていた。
瓦礫の山をかたす重機。その中から一台の車。車に殆ど外傷はない。その傍らにたたずむ
女子高生。思わずつぶやいている。
「お父さんの車…」
衝撃的な場面である。
その場面、どっかで見た記憶・・・
そう、YEAR3210に全く同じ場面が出てくる。・・・
これは喜んでいい場面ではなく、本当に心から泣かされる場面である。
巨大地震から一命を取りとめ勇ましく生きてゆく少年たち。YEAR3210...
この小説を名取市の子供たちにあげる予定でいる。本日の新聞の社会面の見出し、
「泣くかも…」これには一瞬、驚いた。

 泣くかな名取川


|C |Am | Dm / G | C

|C |Em |Am |G |
1 仙台行きの夜行バスはいろんな想いを運んでる
|C |Dm | C / Em | C |
あかね色のひざ掛けで 眠る子供は祈り顔
| Am |C |Dm  |E |Am |C |Dm /G | C |
街の灯り ひとつひとつ 今では星より月より重い
 |G |C |F |G |
時に全てを委ねても あの日は帰らない
|C |Am |Dm |C /G |
泣くかな名取川 名残雪 今は似合わない
|C |Am |Dm /G | C |
移ろう季節よみんな みんな春を待つ

|C |Em |Am |G |
2 置き去りのカーネーション いろんな空を見てる
|C |Dm | C / Em | C |
赤すぎて眩しくて 床しい花が咲く
| Am |C |Dm  |E |Am |C |Dm /G | C |
待ちくたびれて 抱かれたくて もどかしくつらい 悔しさに耐えて
|G |C |F |G |
閖上の海に明日もまた 朝日が昇る
|C |Am |Dm |C /G |
泣くかな名取川 名残雪 今は似合わない
|C |Am |Dm /G | C |
移ろう季節よみんな みんな春を待つ
|C |Am |Dm |C /G |
彷徨う僕らは流される筏みたいだ
|C |Am |Dm /G | C |
この国にまだ愛はあるのかな

|C |Am |Dm |C /G |

|C |Am | Dm /G | C |

|C |Am |Dm |C /G |
泣くかな名取川 名残雪 今は似合わない
|C |Am |Dm /G | C |
移ろう季節よみんな みんな春を待つ

|Dm /G | C


読書の五月 サブタイトル牛乳石鹸よい石鹸

2011-05-08 20:45:02 | 日記
久々の週末連休なので読書にくれた。
二階のベランダでキャンプ用の椅子にふんぞり返って
ビールを飲みながら活字の中へ旅である。空は快晴。
緩やかな南風、気温は過ごすのに申し分ない。
気にかかるのは余震であるが抵抗の仕様が無い。
本日、青空のその下、パラソルのその下、旅に出た本は
「何も無くて豊かな島」崎山克彦 新潮社、
「カムチャッカ探検記」岡田昇 三五間、
「森からの警告」畑正憲1/CWニコル CBSソニー出版
だった。内容はいちいち書くのが面倒くさいので省略するが
全てドキュメント本であり、その生々しさが面白い。
特に岡田昇に本は文章に骨がありぐいぐいとその世界に
引き込まれてゆく。下手な映画を見るより10000倍も面白い。
岡田昇氏とはかつて旅先で一緒に酒を飲みその武勇伝を
空の下で直接聞かせてもらったことがあるからその感慨は
はひとしおである。岡田昇さんはその後に穂高で雪崩に巻き込まれ
亡くなってしまった。だからなおさらなのである。
ほどよく酔いが回ってまぶたが重くなってくる頃、
読むのは東海林さだおの「丸かじりシリーズ」である。
このシリーズはくだらなく奥が深く、そしてリアリティに満ちていて
絶賛に値するシリーズ本である。わかる人はわかりますね。
夕飯を食べて酔ったので、ほろ酔い気分のまま
また本を読み出している。その合間にこのブログ。
今からウイスキーとチョコレートで読むのは
SFの名作「地球の長い午後」ブライアン・W・オールディス 早川書房
であります。

大地を覆いつくす巨木の世界は永遠に太陽に片面を向けてめぐる植物の王国と化した
地球の姿だった。我が物に凌駕する食肉植物ハネンボウ、トビエイ、ヒカゲワナ、
人類はかつての威勢を失い支配者たる植物の陰でほそぼそと生き延びる存在に成り果てていた。
人類に著って救済は虚空に張り巡らせられた蜘蛛の巣を植物蜘蛛に運ばれてつきへ登ること。
だが滅びの運命に反逆した異端児がいた・・・・

疑似体験に身をゆだねながら夜は更けてゆく。

今週は会社をサボって八重洲ブックセンター、神田の古書店街に行くのです。
もちろん朝は高速バスの中でビール、昼は神田のガード下でビール、
夕方は東京駅地下でビール。帰宅後自宅で刺身でビールの予定。
左手にはとっておきのSF文庫。
ついでにマーティン、バックパッカーを探しに行くのです。

バックパッカー=旅先用超小型三角アコースティックミニギター


天国への階段

2011-03-30 20:33:11 | 日記
水道から水が出ない生活が長くなっている。あの時からだ。
震災の翌日から会社は二週間の罹災休暇となった。しかし立場的に
壊れた設備の復旧作業のため会社に行っている。早朝に家を出て
深夜に帰宅の毎日だ。会社では脳梗塞の時に使う点滴用の注射剤を
作っている。その薬の供給が途切れたら大変なことになってしまうので
不眠不休の毎日である。やっていることは原発の復旧作業とかなり似ていて
やれ、温度だの、圧力だの、命懸けな部分も多々ある。
このような時にやはり頼りになるのは頭の切れる人である。
知識、知恵、判断力に優れる人である。
日付はもとより曜日さえわからない毎日が続いている。ゴミ捨て場に置かれている不燃、可燃
ごみを見て曜日を区別するような毎日である。水の無い生活。これにはある程度なれてしまった。まさしく川へ洗濯(コインランドリー)山へ水汲み(給水所)という
行動をとっている。一番困るのはやはり風呂だ。これまでどれだけ贅沢な生活を
送ってきたのか。改めて思い知らされるのだ。人間一人が一日生き延びるのに
きちんと塩素消毒された水をどれだけ使ってきたのだろうか。
幸いに家の風呂は追い焚き機能がついているので水さえ汲んでくれば風呂に入れる。
しかし、消毒されていない風呂は二日目になるとぬめり、臭いがすぐさま現れる。
200リットルの水を車で運ぶ作業、これは相当きつい。しかもお湯の追加が出来ないので
浴槽のお湯はあっという間になくなってしまう。風呂オケ一杯の水で体を洗い、同じく
頭も洗う。歯磨き、洗顔はコップ二杯の水で済ませる。
いつだったか、アフリカのどこかの国でその国は水は貴重な資源で、その国の少年が
コップ一杯の水でうがいをし、その水を自分の両手で受け止めて顔を洗う映像を
見たことを思い出した。まさしく今、自分がその状況下にある。
日本は世界で最高の上水道設備の整った国である。日本の国土全体に細かに網の目のごとく
上水道が張り巡らされている。これはすばらしいことだ。戦後の日本の復旧に尽力
した方々、先人の努力に感謝したい。しかしその反面、今もってなおアメリカの統治下
にあるような気がしてならない。というよりも統治、コントロール、されているのだ。
トモダチ作戦は素直に受け止めてよいのだろうか。
テレビでは、「日本はひとつです」だとか「日本はひとつのチームなのです」とか
「国民一体になって」とか散々言うが、沢山の避難難民がいる今、時期尚早ではなかろうか。
「みんなでこの難局を乗り越えましょう」「日本国民が一体となって」
これはある意味、「天皇陛下万歳」につながるのではないでしょうかね。
どこかの誰かが書いたSF小説「YEAR3210」は物語りは巨大地震から始まります。
地球の歴史をもっと長い尺で見たらあの本と同じようなことがいつかきっと起きるような気がしてならない。原発の情報に関しては国民がパニックになら無いことを大前提とした
情報のみ流されている。最悪の事態になった場合のことはテレビでは絶対に言わない。
民衆がパニックになることを恐れているからなのでしょうね。
最初にこのニュースを聞いた時、もうこれで東日本は終わりなんだなと思ったしね。
今もその状況下にあることは事実だと思うし。少なくとも事態が好転したとしても
あのあたりは今後数十年は有刺鉄線が張られて荒廃した危険な、そして人の決して
立ち入ることの出来ない場所になることは言わずとも知れていることでしょう。
もしも自分に2億円の預金があってそのうちの1億円を災害募金として寄付するかと
問われたら少し戸惑う。5億円あったら1億円寄付はなんら抵抗は無く困った方々を
救えるのであれば寄付できるでしょう。そうなると大金を寄付した方々の資産は
いったいどれぐらいなんでしょう。おそらくその十倍はあるのでしょうかね。
許せないのはこの災害に便乗した詐欺的犯罪が増えていること。テレビに法務大臣が
登場し、この災害に関する犯罪行為は重罪に処するとう超法規てきなる一時的な
法律を決めなくてはいけないと思いますね、その前にそのやからは絶対にいい市に方はしないだろうし死んでからも永遠に地獄の中で苦しむことになると思いますが。
そういった意味では「日本はひとつのチームなんだから」って言う表現は時期尚早
だと思うし何かが違うと思います。
でもこのような激甚災害でも日本は乱れることなく統治されているので日本に生まれて
よかったと思うのも事実なんですけどね。
アメリカは自国の経済を潤滑に循環させるためには日本存在は不可欠なので、手を差し伸べてきているのは人道的な部分を含めて明確であり、ロシアはこのさなか、わざと戦闘機を
領空内に送り込んで復興に忙しく国防に手薄になった自衛隊の防御力を試しているらしいし、いったい、この地球とは、人間とはなんなんだ、という気分になりますね。
この先、日本は大不景気になることは間違いの無いことだし、・・・
新宿のホームレスが被災地の避難所に移動していると言う話も聞いた。
新宿よりも安心して暮らせて食事に困らないからだそうです。
この国はとっくの昔に何かが狂い始めているのですね。

YARE'2011

2011-03-19 13:41:54 | 日記
 以前のここにも書いたけどこの週末、気仙沼へ出かけることになっていた…。

 石原都知事がこの未曾有の災害に関し暴言的なことを言ったが確かにその
とおりだと思う。被災者の心情、現在置かれている避難所などでの生活の実
態を思えば、当然、批判されるだろう。しかしこの十年を振り返ってみると、
人はコンピューターに支配され、パソコンだのプリンターだの、日本の住宅
事情にそぐわない大型テレビだの挙句の果てには3Dテレビだの、そして携帯
電話にしがみつき、街に出れば何の理由も無く包丁を振り回す人がいきなり
現れ、何のわけも無く家から出なくなりいい年をした人が親の援助で暮らし
ていたり、どうみても世の中が狂っていたことは言うまでも無い。この辺は
みんな薄々気がついていたはずだ。
 昔、鉄腕アトムなどでは例えば携帯電話のような夢物語が描かれていた。
その夢はかなったかのように見える。しかしその頃、その夢に対して例えば
携帯電話だったら、基本料金、何とかプランなどがあるってことはその頃は
夢にさえ思わなかったはずである。
 本当に夢がかなったといえるのはすべて無料になった時ではなかろうか。
 今回の大震災、これはある意味ひとつの大きな節目ではなかろうか。
この震災を1000年に一回の大災害だと専門家は言う。だからもう死ぬまでこ
のような災害に見舞われることは無い、というのは大きな間違いだとTAIGA
は言う。
 その理由を聞いた。そして納得した。
 0年から1000年までの1000年間でこの災害が1000年目だとする。1001年目から
2000年の間、1000年に一回の大災害が1001年に起きたとしてもそれも1000年
に一回の発生確率の災害である。だから人は一生の間に1000年に一回の大災
害に遭遇することは二回あり得るのだ。なるほどでありますね。同じ理論で
言えば一億年に一回の確率で起こる大災害も一生の中で二回経験することも
あり得る事だ。なるほどである。
 テレビでは連日、学者、専門家、有識者、にわか評論家が出てきていろん
なことを言う。それぞれが自信ありげの持論を言うのだがみんな、どこか内
容的なことを含めて言うことが違う。我々はテレビの中のオッサンが言うこ
との傍観者でしかない。しかし、自然の驚異はものすごい。アメリカのCGを
駆使したパニック映画の映像、ありえないと笑いながら見ていたがその映像
が実際に起きてしまった。自然の力はまさに想像を絶するのだ。原発ではホ
ースで水をかけている。たかがホースで放水である。現代の科学技術のカタ
マリである原発の暴走を食い止めるための最後の手段が放水である。コンピュ
ーターなどは何の意味も成さない。天気予報ではダムの付近で少し大目の雨
が降ったので発電量が増し、電力が少しまかなえると言っている。
 水力発電はもっとも原始的な発電方法と思えるのだが、ここでも自然の力、
たかだか雨、水である。この事実を重たく受け止めなけばいけない。
 先日、水を片っ端から集めて一週間ぶりに風呂に入った。追い炊きのでき
る浴槽でよかったとしみじみ思うが風呂に入ってからお湯を追加できないか
ら風呂オケ一杯のお湯でカラダを洗い同じように頭も洗う。それだけでもお
湯はみるみる減ってゆく。今までは、ほぼシャワーは出しっぱなし、そんな
入浴の仕方だった。
 人の体は不思議なもので三日目あたりからもう風呂に入らないでもいいな、
という気持ちになってくる。生涯、風呂に入らなくてもいいな、と言う気分
になった。人の体は勝手に順応化する能力を持っているのだ。風呂は無くと
も必要なものは「水」である。
水は無い。アルミホイルでこしらえた皿、割り箸は使わずあえて竹を裂いた
箸で食事をする。これがある意味、冒険的だ。生活スタイルが昭和のはじめ
ごろに一部戻っている。
 当分、こんな毎日が続くという。瞬時に津波に足元さえすくわれなければ、
建物の下敷きにならなければ、健康を大前提として食料と寒さをしのげる衣類、
毛布、水さえあれば瓦礫で小屋を作り、生きていける。その途中、同じよう
な境遇の野良犬と家族になり、ともに生きていける。来るなら来てみろ大災害
という感じである。しかし、生きていけない。それはなぜか?そういう状況に
なると間違ってもビールは無いであろうからである。
 この場を借りて救援してくれている、励ましてくれている友達の方々にひとま
ずお礼を申し上げます。どうもありがとう。さて、庭に水でも撒いてシャワー
でも浴びて、車でも洗いに行くかな。
そんな当たり前が既に間違っていた。