YEAR3210

風に転がる迷走日記

待つ人タツタアゲの落とし穴

2012-09-22 20:37:54 | グルメ
歯医者に行ったら予約の時間から20分待たされた。その後、床屋に行ったら30分待たされた。その後、スタンドに行きあまりに汚い車を洗ってもらった。待つこと20分。その後ラーメン屋に行き出てくるまで12分待つ。その夜、居酒屋に行き友達が来るのを待つこと30分。結局その日は合計112分、待つことに費やしたことになる。無駄な時間を過ごしたことになる。時給800円だとすると1600円分になる計算だ。
だが待たなければならない。待たなければハナシが進まない。いい女を待つ時は状況にもよるが2時間ぐらいは待てる。よくない人を待つ時は14分が限度だ。電車に乗る。これは到着駅に着くまで待つ時間が生まれる。在来線のその待つ時間は苦痛だが新幹線の長距離移動は走る自活的居酒屋、変動式生景色付きで目的が遊びであればその待つ時間は極楽である。
最近、なるべく関わりたくないものに渋滞という拷問的なものがある。渋滞は苦痛以外何者でもない。数年前の夏、中央道のパーキングから本線に出るまで2時間かかったことがあった。昔、ゴールデンウイークに銚子から鴨川まで7時間かかったこともあった。だから年末年始、ゴールデンウイーク、お盆などはなるべく主要ルートでの遠出はしないことにして久しい。
最近の旅は電車が殆どになっている。若い頃とは全く逆の思想になった。自由気まま、音楽、荷物のことを考えたら絶対的に車がいい。車を躊躇するのは渋滞と旅途中、酒が飲めないところにある。渋滞とは車間距離が微妙にあくことを緊張感とともに何百回も待つことの繰り返しである。絶望的な渋滞はもうこりごりだ。パソコンの砂時計も無性に腹立たしいものだ。最近はそれでも早くなったが一昔前、砂時計で2時間待つなんてこともあった。パソコンはデジタルのカタマリのはずなのに何故に超アナログのデジタルのフリをした砂時計なのだろうか。とりあえずビール、2、3本じゃなくてキッパリ2本、カラアゲ175グラム、熱燗を58℃で179ミリリットル、そんなデジタル的居酒屋があったら絶対行かない。でもあったら面白いから行くのだろうな。。イクラのショーユ漬け、245ツブ、厚揚げを72℃で120グラムなどといわなければならないが。そう考えるとやはり適当、おおざっぱがいい。幸か不幸か周りにいる遊び仲間は
ほとんどテキトウ、おおざっぱ人間が多い。それがいい。遊び仲間以外で腹立たしいのは几帳面さを自分のウリにする輩。
世間には几帳面イコールしっかりしてキチンとした人、という構図がある。それは正しいが、それに乗じて見せかけの正義を振りかざす人間がいつも腹立たしいのでありますね。
細かい待つ時間ももどかしい。ヤカンが沸騰するまで待つ時間、洗濯機の終了まであと2分の時間、電子レンジのあと35秒、シャワーが水からお湯になる数秒の時間、これらがもどかしい。トオモロコシを茹でている時間、その待つ時間は苦痛にならない。焚き火で焼き芋を焼いている時間、スパゲティを茹でている時間などもあまり苦痛にならない。建設的な作業だからなんでしょうかね。
野球好きの親類の爺さんはファールのことをハールと言う。フォアボールはホアボール、打つをブヅと言う。デッドボールをゼットボールと言う。走るをカゲルと言う。ヘルメットをテヅボーシと言う。ネクストバッターボックスと言えない、若しくは知らない。スパイクの紐をシボと言う。アンダーシャツをジバンと言う。バッティングはバッテング、広島はシロシマと言う。ついでに茹でたまごをウデたまごと言う。
半沢先生なんかは倒れるをシックルゲールと言う。
イガイノバブッターガラハグカーゲダッケチッチャケーアナコバフンチッテシックルゲーチッテアシバクジーシッテイデーコドヨ、こうなるとほとんど暗号またはよその国の言語だが日々、このような会話を日常的に話している。
そんなことを思いながらカセットテープを巻き戻しいる。巻き戻るのを待っている。ヒュルヒュルひたすら待っている。
人は生まれた瞬間から死ぬのを待つ。死ぬまでの
猶予期間は無駄にしたくないが毎日毎日タコだウルメイワシだビールだなんだかんだとと騒いで無駄にしている。

モッカ

2012-09-10 20:25:05 | 日記
千葉県銚子市の南端にある犬岩はアメリカ、ハワイの領土であるとアメリカ側が通達してきてから政府の動向が慌ただしい。
日本国家としては四方から領土問題で攻められ今度はアメリカだから悩ましい限りである。既にアメリカ側は実効支配を行っておりアメリカ海軍が僅かな平地にテントを張り統治本部を作り小さな入江にゴムボートの係留場を作り、領海国境をパトロールしている。
我が国としては由々しきモンダイであるが地元の反応は意外にも反対よりもむしろ歓迎の様相を呈している。特に戦争を知らない世代は呼べば声が届くところに外国が出来たのだから嬉しくてしょうがないらしい。戦争を知っている世代は進駐軍が来たとホフクゼンシンでのたる。モッカのところ、国境沿いにいざこざはなく平和が保たれているが、突如ここで遥か昔、中日にモッカという選手がいたことを思いだした。アルトマンという選手、バッキー、ロという選手もいた。マーティン、ロジャー、ブーマ、スコットなんてのもいた。昔、各球団には必ず一人、二人(今もそうだけど)のアメリカの選手がいて、皆、大活躍していた記憶があるがなんとなく活躍させてあげていたフシがあると思えなくもない。各球団に配備されていたアメリカ人選手は日本の情報をホワイトハウスに伝える役目の人、つまりスパイだった。
千葉県銚子市の東海岸の沖合に富士山のような三角の岩があるが、その岩をチリが我が国の岩であると言い出しているそうだ。
偏西風に乗って西からイワシ雲が流れてくる。その雲は我が国の雲だかんな、と中国が言い出しそうな気配がある。中国は将来的に未曽有の水飢饉になるらしい。日本もそうなるという。もしかしたら近い将来、水を求めた戦争、水戦争が起きるかも知れない。領土がどーのこーのと言ってられないのだ。映画、ケビンコスナー主役のウォーターワールドをまた見たくなった。でもウォーターワールドは面白くない映画だ。原作、発想に対して映像化が負けている。その類のSFとして特撮しすぎている。もっと精神的な部分をえぐり出した方が面白い。これこそ原作を活字で読む方が絶対的に面白い。活字のショーである。親戚が旅行に行くと言うので室内犬を預かっているがこの犬はモッカのところ人間のカカトを噛むことを最大の楽しみにしていて痛くてしょうがない。預かっている間、スリッパーと名付けた。いつになったらベッドで薄手の毛布を深々と被りウィスキーをチビチビやりながら宝物である裸電球式読書灯のもと活字の世界にもぐり込める正しい秋がくるのだろうか。

生病

2012-09-08 23:39:18 | 旅行
生病にかかって長い。性病ではない。勘違いしないで下さい。生病とはなんでもかんでも生で喰いたくなる個人的病気のことです。ワニ、ヘビ、タツノオトシゴ、ゾーリムシ、ホッキョクグマ、ステラノザウルス、ジョウモンスギ、サンゴ、ナンデモカンデモわさび醤油で生ビールとともにナマで喰いたい。一種のヤマイでありましょうか。今夜のメニューは海蛇の薄作りとカブトガニ、デザートはホトトギスの足などであれば満足である。まともなところで最近では山形県遊佐で食べた取れたての生鮭、富山で食べたシロエビ、静岡で食べたトロロ、そのあたりの味を体が覚えていて思い出すと悶えてしまう。寝ているアナコンダの下にダイナマイトを仕掛けて爆発させ飛んできた肉の破片をきれいにカットして食べたい。精神的にモンダイがあると言われても仕方がない。
対して余程のことがない限り食べたくないのはコンビニ系のレンジでチンする油系のケミカル食品だ。レンジで暖めると、怪しいアブラが滲み出ている。朝昼晩、三日間それを食べ続けたらかなり深刻な事態になることは間違いない。それらのラベルを虫眼鏡で読んでみると素人には全くわからない物質の名前が書いてある。特によくわからないのは発色剤、pH調整材など。見た目や保存性を上げるため国の定めた規制値の範囲内での添加であろうがアレルギー的個人差の観点では人によりあまり体にはよくないと思えてならない。
だからなおさら食文化の安全性として好みの問題もあろうが毒さえ持たなければ自然の生が安全と考えるのだが、放射能の問題でそれも揺らいでしまっている。江戸時代の食文化についての本を読んでいるが滅法面白い。米と味噌、塩、野菜が中心で地域で魚、たまごである。よく考えるとそれは現在の温泉宿の朝飯なのであった。殿様が諍いに勝利した打ち上げでお城の最上階で酒宴をする。日本酒を飲みながら焼き魚、野菜の煮物、場合によって刺身、汁的なもの、米から作った団子的なもの。自生するイチジク。これまたよく考えると現代の安い温泉宿の夕食とあまり相違がない。国々の食文化は基本的には永遠なのでしょうかね。
ビールを発明した人、醤油を作った人、豆腐というものを初めて作った人、みんな偉い。タコを生で食ってしまおうと初めて考えた人を尊敬しなくてはならない。食文化の中で重要なのは発酵である。発酵技術の歴史、経緯はインターネットで調べられば概ねのことはわかる。しかしそれは平べったい奥行きのない知識だけを得ることでつまらないと思う。所謂、知識人だ。昔、とある音楽アルバム、つまりLPの中に知識というあまり有り得ないタイトルの唄があった。
♪理屈ばかりぶら下げてクビが飛んでも血も出まい、などと知識人に対して痛快に吠えている唄だった。
知識とは体験的に得るのが一番真実味があるし説得力がある。本能的部分もある。暫く家に子猫が居候していたのだが、その猫を本棚の下から三段目に置くといとも簡単に床に飛び降りる。四段目に置くと暫く下を眺めて飛び降りる。五段目に置くと少し下を見ただけで飛び降りる気配は無く「わたしゃここでいっしょうすごすんだけんね」という涼しい顔をしてそこで寝てしまう。これは知識と言うより本能的な部分だが海や川で簡単に溺れてしまう都会育ちの子供より自己判断レベルは上なのだな。ここは波も少ないし、遠浅の海だから流されても大丈夫、という知識が、大人が吹き込んだ知識が悲劇を生んでしまうこともある。
添加物の中にアミノ酸等、と書いてある。その等が怪しいが量として基準値の範囲内であれば等という表記で良いとの保健所的心が読み取れる。保健所ではなく厚生省ですね。
なんだかんだ知識は大事で知らないより知ってたほいがいい。体験的に無理な部分は活字で擬似体験することがいい。だから明日は神田まで発酵文化についての本を探しに行かなくてはならない。