YEAR3210

風に転がる迷走日記

迷走式朗読劇場

2010-02-25 21:56:24 | 日記
         
今夜は2006年に女優、小川由美さんによってラジオ朗読され
好評を博した作品、「薄荷」をお届けしましょう。
ゆっくりと情景をイメージしながらオタノシミください。

薄 荷



 私が北見の街を訪れたのは実に二十七年ぶりのことだった。
二十七年という長い月日はあらゆるもの全てを変えてしまっ
ていた。私の記憶の中にある北見の街の風景は豊かさには程
遠い寒々とした白い風景ばかりであったが、二十七年ぶりに
見る北見の街の中心部だけに限っていえば、洒落た近代的な
風景の立ち並ぶ現代の地方都市にと変革を成し遂げていた。

 今から約三十年前のことだ。中学を終えた私は、集団就職
で北見の街を離れ、札幌市の郊外にある大手電気メーカーの
子会社に就職した。その当時の電気部品を作る工場は今ほど
自動化が進んではなく、細かな仕事は女性の手先の仕事とい
うものが主流だった。各役割を分別した仕事、ライン作業、
流れ作業というものだった。仕事はきっちり朝八時から夕方
五時まででベルトコンベアーの上を流れてくる私にはよくわ
からない電気部品に半田ごてでリード線という部品を焼き付
けるものだった
私は午後五時の終業の音楽が流れるまで、いったい何回、壁
にかけられている大きな時計を見ていたのだろうか。その頃
の私の一番の楽しみは、やはり土曜の夜だった。土曜日、仕
事を終えると私は急いで寮に戻り、服を着替え、おぼえたて
の化粧をして、バスに乗り、電車に乗り札幌の夜の街に出た。
札幌市内には自分と同じように中学の同級生が何人か出てき
ており、電話で連絡を取り合
いながら再会を楽しんでいた。私たちは十六歳という年齢を
化粧と服装でごまかしながらなにくわぬ顔をして居酒屋に入
り少しのお酒や食べ物を楽しんでいた。
私がまだ小さい頃、私の家は母親が小さな居酒屋を営んでい
た。その店は私が小学生の中学年ぐらいに事情があって閉め
てしまったのが、私の中に酒を介した大人の世界が記憶の断
片に刻み込まれていた。だから、札幌でそんな店に入る恐怖
感はあまり無く、私が率先して友達を引き込んでいた。私は
土曜の夜ごとにそれを繰り返していた。私たちの行動が居酒
屋から当時、流行の兆しを見せ始めていたディスコという場
所に紛れ込むまでそれほどの時間を要しはしなかった。白い
三角巾をかぶりコンベアーの前で時間だけをやり過ごす自分
と派手な服を着込み、化粧をして大音量のフロアーにいる二
人の自分の姿があった。
その工場をやめてしまったのは私が十六のときだった。私は
すすき野のスナックで働くことになった。そこまで自分を思
い切らせたのはやはりお金だった。工場で一ヶ月きっちりと
働いて得るお金と、スナックで得るお金には倍、あるいはそ
れ以上の差があった。それはともかくとして、私自身、スナ
ックで働くということに対して何の抵抗もなく不向きなタイ
プでもなかったからだ。私が会社をやめると上司に申し出た
とき、上司は表向きの態度として今辞められてしまっては困
るとか、考え直せないのかなどということを事務的に言って
きたのだがそれらの言葉の裏側の本心を私はたやすく見抜い
ていた。上司は私のはっきりとした意志を確認すると、まる
で用意してあったかのように退職に際するための書類一式を
持ってきて私の前に並べた。

すすき野の店で働き始めておよそ半年後。私の唯一の肉親だ
った母親が急逝した。死因は心筋梗塞、パート先の薄荷工場
で仕事中に倒れそのまま帰らぬ人となった。母は四十五歳と
いう若さだった。連絡を受けた私はあわてて電車に飛び乗り、
北見に急いだが結局、突発的な急性の心筋梗塞だったため死
に目には会えず、私が北見に帰る頃には病院から自宅まで搬
送が終えており、奥の座敷に白い布をかけられた思いも寄ら
ぬほど小さな母が眠っていた。その傍らには、私の唯一の親
類といえる母の妹が無き濡れており、数名の仕事仲間と近所
の人たちが母を囲んでいた。母一人に育てられた私は大いに
取り乱し、泣き叫んだ。その時の記憶が断片的であるぐらい
私は取り乱していた。ごく小さな葬儀をあげたのちに母の遺
骨は母の妹が住む標津の墓に納骨することになった。もとも
と母の実家方の墓で母の両親もそこに眠っていたからだった。

母の身辺整理、借家だった家の解約の手続きなど母の妹に手
を焼いてもらいその整理のために私は半月ほど北見に滞在し
ていた。そして私は再び、すすき野に戻った。

私がすすき野の店の経営者の紹介で東京に出たのは、私が十九
の時だった。私にその道の商売の筋があると見込んだ店の経営
者が東京でそのような商売を営む友人に取り次いでくれたのだ
った。私は北海道を離れ内地に渡るということに対して何の抵
抗や恐怖感も無く、むしろ、新しい何かが始まるといった期待
感に胸を膨らませていたのだ。最初は上野の雑居ビルに中にあ
る小さな店だった。客は誰一人として私を二十歳前だというこ
とを思いもせずに私はあっという間に自分の客というものを作
り上げた。店側にしてみれば雇っている女の子目当てに客が来
るということはこの上ないことで待遇、収入、あらゆる面で私
はその店にいた女の子の中であっという間にトップになった。
ナンバーワンというやつである。
様々な人のつながりで、その後、私は何件か店を代え、新宿に
小さいながら自分の店を持ったのは私が三十歳の時だった。私
は店の中で客や使っているの女の子の前では派手な化粧をして
生活もそれなりという態度を見せてはいたが、実際には生活に
対しては、つつましくそして堅実にお金をためていた。独立は
その努力のなせる業だった。私の母親がそうだったのだ。それ
が私の体にも染み付いていたのだ。母が死んで残したいくらか
の現金は母の妹が葬儀の費用や墓の管理費に当てるといってあ
らかたも持っていってしまった。まだ十六歳の私にはよくわか
らなかったが、それがかなりの額だったのだろうとその頃にな
って私は知った。
でも私はそのお金が惜しいとか返してほしいとか思わなかった。
私は十五、六から一人で生きてきているという自負があったか
らだ。私の母親も私が生まれた直後に離婚してからそうだった
のである。

北見の駅前でタクシーに乗った私は運転手に清水新町の薄荷
工場までと告げた。北見は玉葱と薄荷の産地で特に薄荷に関し
ては国内有数の産地で、薄荷畑で取れた薄荷を加工する日本で
最大の工場があった。母はそこで働いていたのである。
「あそこも昔はいっぱい人がいたけど、なんていうの、ほら、
機械化?オートメーション?何でもかんでも機械がやるよう
になってずいぶん人が減っちゃっいましたね」
タクシーの運転手はルームミラーで私の顔をちらちら見なが
らそう言った。タクシーが街の中心部を過ぎ、郊外を走るよ
うになると確実に私の見覚えのある風景が見えてきていた。
「工場関係の方かね」運転手はそう私に聞いた。
「いえ、違います。近所に少しだけ用事があって」
私は窓の外を見ながらその質問に答えた。
秋の午後の日差しは眩しく、西日が車内の温度を上げた。
「少し窓を開けてもいいですか?」
私はそう言った。
「暑いですか?エアコンかけましょうかね」運転手はそれほど
暑くはないけどなという言い方で私に言った。
「いえ、いいです。風を少し入れたいのです」私はそう答えた。
「どうぞ」運転手がそう答えるのとほぼ同時に私は窓を少しだ
け開けた。窓から懐かしい風が吹き込んできた。気温はさほど
低くはないが。どこかにしんとした冷たさをはらんでいる北海
道独特の風だった。吹き付ける風の出所はオホーツク海であり、
シベリアである。私はその風にとてつもない懐かしさを感じて
いた。子供の頃に私を過ぎていった風だった。そしてその風の
中にほのかに薄荷の香りがあった。それは気のせいだったのか
もしれない。でも確かに私は薄荷の寒々しい香りを感じたので
ある。
 私がなぜ急に北見を訪れようかと思ったのは私自身が母の年
齢を超えたからだった。そして今まで背負っていた重たい何か
が急速に溶けて、体が軽くなったと不思議に思ったからである。
 窓の外には薄い青色の花を咲かせた玉葱畑が果てしなく広が
っている。所々に今となっては、色あせてしまっているかのよ
うに見える薄荷畑が見えていた。
 その向こう側に大きな薄荷工場が見えていた。
「あの、車、本事務所の方でいいんですかね」
運転手は私にそう聞いた。
「い、いえ、あの、申し訳ありませんが、このまま女満別の空
港までよろしいでしょうか?」私は唐突に思ってもいなかった
ことを口に出してしまった。と言うよりも、もうその風景を見
ただけで私は充分だったのだ。そこで降ろされて私はどうする
といった現実問題が私の中にはっきりとあった。ましてこんな
場所である。タクシーを拾うなんていうことは不可能である。
私は今言ったことが正しいと思い、同じようにもう一度言った。
運転手は怪訝そうな顔をして今度はミラー越しではなく直接、
私を見たが少し首をひねって車を大きく旋回させていった。
 私はその時取るべき行動が東京へ戻ると言うことしかなかっ
たのだ。

女満別空港を飛び立った東京行きの最終便は上昇しながら大き
く旋回してその機首を東京に向けた。窓から北見山地が見えそ
の間を縫うように天塩川が流れていた。私が子供の頃に戯れた
川だった。そして山々に囲まれた北見の街が小さく見えていた。
これまでの自分の人生の中のほんの三分の一しか過ごさなか
った北見の街が見えていた。その寂しさの漂う大地に孤立した
ような街は、これから厳しい冬を迎えるにしてはあまりにも
無防備に見えて仕方が無かった。もうすぐシベリアから、
そしてオホーツクから冷たい空気が流れてくるのであろう。
そしてせっかく咲いている薄荷畑や玉葱の花を雪で覆いつ
くしてしまうのであろう。

落陽

2010-02-24 20:24:14 | 日記



銚子市からの朝陽はきれいだけど夕陽も侮れない。
雲がないとたまにこんな感じ。
時として富士山のシルエットも。
時期を見極めれば太陽の中に富士山のシルエットが入ることも。

しょうないね

2010-02-23 21:42:35 | 日記
いつでもどこでもいやなやつっているもんで
それが一番、いやですね。
自分の場合、身の回りに現れるいやなやつはっつーと、
いる。そいつは公務員。
その男、曰く、吉田拓郎、長渕剛、伊勢正三、ショーノマヨ??、
泉谷繁、その他有名人、みんな自分の古い友達だと言う。と、
かつて本人の口から直接聞いたことがある。
ネット上にもそんなこと書いてるらしい。
公務員のくせして、長渕剛のライブをこのあたりでやると
言っていたのを思い出す。公務員が第三者を介して
興業めいたことをやっている。まずくないのかね。
その男が関係する集まりの中のホームページだかブログだか
なんだか知らないケド、かつて僕が遊びで考えた団体名、ネーミング
をいかにも自分のもののように書き込んでいるものを
偶然に見つけてしまった。パクっている。しかも自分がその
代表だって言ってる。恥ずかしくなってくる。
虚勢以外何者でもない。結局は孤独の局地。
自分はすごいんだ、こんなにこんなにゲーノー人に友達がイッパ
いるし、俺ってすごいでしょ、そう言いたくて言いたくて
しょうがないらしい。
華やかさを装いながら、実は孤独なんですね。
虚勢、虚言、それはヤマイ。
先日、別のもう一人の男が居住する区域(茨城県神栖市)の市長に
なるといって
そのままどこかにいなくなってしまった・・・
その類はどこか共通すものがある。

ゲストライター(第三幕)

2010-02-19 20:30:51 | 日記
 
 ピッ…ピッ…ピッ…
 う・・・ここは? 目を開けると、そこは、北国でも、深海でもなく、病院であった。 そこには三人の顔があった。
 深刻な顔をしている医者、泣きじゃくる母、目を真っ赤にした父。
 「翔君が目を開けましたよ!」 「まあ!」 しかし、体が動かない。声が出ない。
 「翔、大丈夫?」母がくぐもった声で聞いてくる。
 「まあ、あの船から奇跡の生還をしたんですからね。そっとしておきましょう。」
 奇跡の生還? どういうことだ?(それは永遠の謎となる…)
 一ヵ月後、僕は無事に退院した。
 家に帰って、僕は腕時計の電池を取り替えようと思った。だが、その必要は無かった。
 だって、腕時計は、ちゃんと動いていたのだから…。                        …END…

ゲストライター(第二幕)

2010-02-19 19:36:43 | 日記
  
 「うわあああああああああぁぁぁぁー」
 ・・・一体、どれだけの時間が経過しただろうか。
 「ううっ!」体中が、ズキズキと痛む。息が苦しい。
 溺れてしまう! そんな時、僕がとった行動は、「歩く」だった。
 おそらく深海であろうこの場所で、そんな事ができるはずは無いのだが。
 ・・・あれ? 冷静に考えれば、体は痛くない。息だって苦しくない。
 しかも「歩ける」ぞ!
 ・・・とするとここは陸なのかな?
 しかし、周りは薄暗く、場所を特定できるような物も何一つ無い。
 唯一、時間を確かめることのできる腕時計も、十時三十分で、
 止まっている。僕は、途方にくれた。 「大丈夫ですか」
「わっ!」急に聞こえてきたしわがれた声に、ビックリして、つい声を出した。
 「私は、秀樹と言います」 一瞬、びくっとした。
 亡くなったおじいちゃんの名前と一緒だ。
 「は・・・ははっ!船が沈没したりして・・・」
 それから、僕はそのおじいさんと一緒に、「そこ」を
 探検した。しかし、何の発見もできずにもどってきてしまった。
 ・・・なんだか体が重たい。頭も割れるようにいたい。
 そこで、僕はまた意識が遠のくのを感じた。 
 こんどこそ、本当に死んでしまうのではないかと、
 気が気でなかった。 
 地面に手を押し付け、最後の抵抗をした。 
 ・・・が、無駄だった。
 僕は、倒れてしまった。
                第三幕へ続く・・・

ゲストライター

2010-02-18 20:32:50 | 日記
今回はゲストライター、TAIGAに登場してもらい
小学3年生時のオドロクべき作品を紹介します。
打ち手は本人です。では。(現在五年生)

 冬・・・ある日のこと、翔は、いつもより早く目覚めた。
 今日は、北国への一人旅、出発の日。
 ザーッ カーテンを開ける。そこには、雪にうもれた庭があった。
 「すごいや!!今年一番の大雪だ!」翔はそう叫び、部屋から飛び出した。
 「いってきま~す!」さあ、一人旅の出発だ!
 ・・・と思いきや、ちゃっかりしている母は、お土産をねだってきた。
 (金、足りるかなぁ)
 そんな心配をよそに、母はニコニコと意地悪そうに笑っている。
 苦笑いしながら家の前のバス停に立っていると、
 間もなく、小さいバスが来た。
 「港まで・・・お願いします」
 シューッ バスが揺れた。「港です、御降りのお客はいますかぁ」         ・・・いけない、温かくて寝てしまった!
 「は、はい、降ります降ります!」
 翔は、大急ぎでバスを降りた。
 「オーッ!」そこには、大きな船があった。
 チラッと腕の時計を見る。
 「えーっと、出航は十時だから・・・ヤ、ヤバイ!!」
 時計は、九時五十五分を示していた。
 ダッシュで船に飛び乗った。
 「た、助かったー」
 翔を乗せた船は、大雪をものともせず、北へ、北へと進む。
 
  「ガキン」船が傾いた!急なことに、辺りの人も、慌てている。
 アナウンスが流れた。「この事故は、エンジントラブルが、主な原因だと思われます」
 しかし、船はどんどん傾いていく・・・
 一体僕らは、この船は、どうなってしまうんだ!?
 「うわあああああああぁぁぁぁぁーっ」
                        第二幕へ続く・・・

迷走戯曲 「十三番台の悪魔」

2010-02-16 21:04:21 | グルメ
今回は、迷走戯曲シリーズ、第一弾、名作「十三番台の悪魔」
をお届けします。
この作品は2002年に茨城県鹿嶋市で個性派俳優Kさんによって
たくさんの人の前で披露されたものです。
熱演によって観客の方々が度肝を抜かれ、あっけに取られたことを
覚えています。
期待をある意味、裏切り、意表をつくのは快感。
てなわけで、あの臨場感は伝わりませんが

「十三番台の悪魔」!        






十三番台の悪魔 


 よく晴れた日曜日のことだった、妻が子供を連れて出かけたの
をみはからっって、俺は、すかさずいつものパチンコ屋へ出かけた。
給料は貰ったばかり、いつもの決まった額の小遣いをもらったばか
りなので軍資金は豊富だった。目指すのは数日前に痛い目にあわせ
られた十三番台だ。俺は開店前から店の前に並び、晴れた空に向か
って小さく歌を歌っていた。そして開店と同時に十三番台を目指し
たのだ。俺が十三番台を見つけ、そこに座ろうとするとその台に向
かって煙草の箱をを投げつけたやつがいた。煙草をその台の前に置
き、先にその台の権利を取ろうとするやつだったのだ。
「何だ、このやろう!そこは俺の台だぞ!」
俺はそいつの顔をゆっくりと見た。目つきの悪いその男は俺の顔を
見てにやりと不敵な笑いを見せつけたのだ。
「けっ、でれでれしてるおめえがわりーんだよ」男はそう言った。
すぐさま俺はその男の下に回りこみ、やつの顎に向けて全身の力を
こめて頭突きを見舞ったのだ。男は歯が何本か折れ、「ぐふっ」と
いう変な声を出し、鼻血を出してその場に倒れこんだ。
「俺の唯一の楽しみを邪魔するんじゃねえんだよ」
 まじめな銀行員の俺はパチンコ屋に来ると、家や職場では絶対使
わない言葉使いをしたりそんな態度になった。自分でも不思議だっ
た。不況の波に襲われた銀行は例に漏れず、リストラが盛んで、仕
事はできるのに運が悪いのか俺自身も確実に窓際に追い込まれてい
た。自分に気付いてくれない上司に対して俺はストレスに満ち溢れ
ていた。
十三番台を取るのに俺は手段を選ばなかった。一撃必殺だった。俺
はすぐさま店員を呼び寄せ、倒れている男を排除させたのだ。

「けっ、おめえ、今日も渋い顔していやがるなあ。そんなに無理し
て釘、閉めたって、おれの腕じゃそんなもの関係ねーよ」
俺は十三番台に向かってそうつぶやいた。
「バーカ、今日の俺は特別なんだよ。おめーごときに俺から玉、搾
り出せるのかよ。てめーの金、全部、俺が飲んでやっからよー。ま
た泣くことになるからな。玉が抜かれるのはてめーの方なんだよ」
 十三番台のスピーカーからそんな声が響いた。
 俺は給料をもらったばかり。いつも以上に金をポケットに詰め込
んでいたので気持ちには大いに余裕があった。
「好きなだけほざけ、ばか。おめーのハラんなかの玉、全部、俺が
吐き出させてやるわ。おめーも今日でお払い箱ってコト。明日にな
ったら新台に変わってるってのがわかんねーのかね」俺は台をにら
めつけながら大いに笑った。
 俺はあらかじめ百円玉に崩しておいた金を台の前に無造作に置き、
ハンドルに手をやり銀色の玉を打ち始めた。俺の唯一の生きがいだ。
俺はその快感に酔いしれた。そしてしばらくの時間が過ぎた。デジ
タルの液晶画面は回ることは回るのだが、どんなに金をつぎ込んで
も、大当たりは出ないでいた。気がつくと俺の一ヶ月の小遣いは半
分になっていた。
「どうなってんだ、このやろう?いい加減にしろよ」
「(笑)だから言っただろ。おめーにおれは倒せねえんだよ。おめ
ーのモチガネ全部とってやっからよ。明日からカップラーメンでも
すすってろ。一家心中か?(笑)」
辛抱の時が過ぎていた。そして俺はキレた。こういうことはよくあ
ることなのだが、その日だけはどういうわけだか、俺の怒りは早く
も頂点に達していたのだ。
「ざけんじゃねーぞ、俺をなめてんのか、また俺に昼飯抜きにしろっ
ていうのか!このやろう」
「どんなにあがいたって今日のおめーに俺から玉、出せねーよ。な
んならもっと釘、閉めてやっか?」
おれはその言葉に逆上し、足で台の下を思いきり蹴飛ばした。
「ぐわっ」
 十三番台からあえぎ声が響いた。
店全体を揺るがすようなその衝撃は、十三番台にも大いに影響を与え
たようで、今まで全くそろいもしなかったデジタルの数字がリーチ目
を示すようになってきたのだ。
「わかりゃあいいんだよ、わかりゃあ」
最初からそんな態度を見せていれば良かったのだと俺は小さく口元に
笑みを浮かべた。その時だ。賑やかに点滅を繰り返していた十三番台
の電飾が急に光る事を止め、暗くなったのだ。そしてデジタルの回転
をスタートさせる入賞口に全く玉が入らなくなったのだ。台があきら
かに釘を閉め始めたのは確実だった。微妙に釘の角度を変えて玉の流
れ方を変えてしまっている事は確実だった。俺はさっきよりももっと
激しく逆上した。
「おのれ、どういうつもりだ!俺をばかにしてるのか!」
「コレでも食らえ!」
十三番台はそう叫んだ
先制攻撃は十三番台の方からだった。右手で握り締めているハンドル
にちくっとした痛みを感じた。俺は必要以上に力がこめられている右
手に疲れがたまっているのだろうと思い、一度手を離して休んだ。
しかし、なんという事だろうかそのハンドルから右手が離せなくな
っていたのだ。
「なんだ、手が離れねーぞ?」
その直後だった。十三番台はそのハンドルに三万ボルトの電流を流し
てきたのだ。高電流は俺の脳髄までしびれさせ、俺は声にならない声
を出し、もだえ苦しんだ。
「これで、おめーもおわりだな、大したことのねーやろーだ。おれか
らドル箱とるなんて百年はええんだよ、おら!」
「ぐわっ、このやろーなにしやがる!ううっ、やめろ、やめてくれ」
このままではやられるなと思った俺は最後の力を振り絞って台の硝子
めがけて強烈な頭突きを食らわせたのだ。
「思い知れ!」
三回目の頭突きでその硝子は砕け散り、ハンドルから流れる電流も止
まった。同時に俺の額からも少し血が流れ出ていた。そんな事はどう
でも良かったのだ。あと数分、電流が俺の体を通りぬけていたら俺の
命はなかった。危機一髪だったのだ。しかし痙攣している俺の手はハ
ンドルから離れないままでいた。俺はそれを気にせず、ガラスが無い
ままに俺は夢中になって球を打ちつづけた。十三番台も観念したらし
く、派手な電飾は再び点灯し、デジタルに7が二つ揃い確率変動型の
リーチ目に突入したのだ。
「ちくしょうやっと来やがったか、最初からそうしていれば痛い目に
あわなくてすむんだよ」
俺は間違いなく大当たりになると確信してそれまで我慢していた煙草
に火をつけたのだ。これで7が出れば大当たり、連チャンの期待が多
いに高まり、これまでこの台に飲みこまれてきた大金の一部を取り戻
す事ができる。しかし右手はいくら踏ん張っても取れないままでいた。
「まあいいか、大当たりが来るまでの辛抱だろ」
右手をあきらめ、俺はゆっくりと左手で煙草をふかし店員にコーヒー
を注文して飲んだ。これから充分にこの台から玉を搾り取ってやろう
という気分になっていた。一番最後の数字は7を目指してゆっくりと
回りそのスピードを落としていった。その動きは百%の確立で訪れる
大当たりの合図だった。
 その時だ。台の一番上の四本の釘が、わずかに動いたと思うのも
束の間、ビシッと音を立て俺の額めがけて発射されたのだ。
「うわっ!」
よける間もなく四本全ての釘が俺の額に突き刺さった。そしてそこか
ら四本の筋となって血が流れ始めたのだ。俺はうなり声を上げながら
一本ずつその釘を抜いた。手についた血を見ていると、そろうべき7
はあざ笑うかのようにゆっくりと6で止まった。俺の怒りは再び頂点
に達した。
「おめーの腕ではせいぜいそこまでだ。おめーに俺の大事な7が三つ
揃えられると思ってのか、甘いんだよおめーは。そこまでよくやった
よ。ほめてやりてーぐれーだよ。それよりよ、おめーのくる
「よくもやりやがったな、俺を怒らせたらどうなるかわかってるのか!」
台に唾を吐きかけ、いつも護身用として懐に持っているマイナスドラ
イバーで液晶の画面をめがけて突き刺そうとした。俺がそうする直前
になって、今度はその画面から強烈な閃光が発せられたのだ。
「うわっ」
まともにその光を見てしまった俺はあろうことか、一瞬にして網膜を
焼かれてしまったのだ。
「な、なんだ、この光は?うわっ、目が、目が見えねー、なにしやが
った?」
目の前が真っ白になった。額からあふれ出る大量の血、ほとんど見え
なくなってしまった俺の右目、かすかに見える左目、ハンドルにへば
りついている俺の右手、俺は相当のダメージをおっていた。しかし、
それでも俺の戦闘意欲はまだ萎えてはいなかった。俺の振り上げたま
まの左手のドライバーを液晶画面の上に鋭く突き刺したのだ。外れた
液晶画面はそのまま床に転がり落ち、同時に中の部品がばらばらと落
ちてきた。
「どうだ、俺を怒らせるとこうなるんだ、わかったかこのやろう」
 俺ははあはあと肩で息をしながらとどめをさしたと確信した。や
つの心臓部を貫いたのだ。勝利を確信し目を閉じて上を向いてその
喜びに浸った。その時だ。床に落ちた液晶画面にリーチがそろった。
後に及んで7の数字が3個あっけなくそろったのだ。そして大当た
りした時に開く台の下の大きな入賞口がぽっかりとその口を開き、
次々と玉がそこに飲みこまれて行き、下の払い出し口に大量の玉が
出てきたのだ。いたんだ俺の目から今度は涙が出てきた。俺は勝っ
たのだ。
「確変だ、連チャンだ」
この勝負に勝ったのだ。それだけで嬉し涙があふれてきていた。う
れしさのあまりひるんだその時だ。その大きな入賞口から甘い香り
のする白い煙が俺の顔めがけて噴出してきたのだ。
「うわ、毒ガスだ!」
俺はひるんだ。そしてその台からすぐに離れようとしたがへばりつ
いている右手がそうはさせなかったのだ。
いきなりの事だったので俺はその煙をまともに吸い込んでしまった。
「ごほっ、ごほっ、…なにしやがる…なにしやがるんだ…」
おれは意識がもうろうとし、その時になってようやく開放してくれ
た右手もろとも、ついにその場に倒れこんでしまったのだ。予想も
しなかった毒ガス攻撃で俺はくたばったのである。
 俺の負けだった。きょうこそ勝ってやると意気込んでいた俺の完
全なる負けだったのだ。
俺は横たわったまま台を見上げた。
「いいか、今日のことは絶対忘れねーからな、おぼえてろよ、ごほ
っごほっ」     
 俺は体を引きずるようにしてその店から出た。ぼろぼろになった
体で店から出た。俺はつぶやいた。「早くこの傷を癒して金を稼い
だらもう一度あの台と勝負だな、今度、この店に来て十三番台と勝
負をする時は、もっと強力な武器と武装、作戦が必要だな」


  
独り言を言いながら、十三番台の悪魔に復讐を誓い、家に向かって
よたよたと歩いていった。その時だ。俺の背後から轟音が聞こえた。
 俺はふと空を見上げた。するとなんということだろう、よく晴れ
た空に、北側から飛んできたであろう黒光りの攻撃ミサイルが俺を
めがけてまっしぐらに向かってきていた。
「やろう!ついにやりやがったな!!!!」 終



 

カニに見られていた

2010-02-15 20:42:01 | 日記
そして誰もいなくなる。



冬はもうこりごりと思った。
夏の匂いが懐かしい。
家に帰り三日後に友達から電話。
「秋田県横手で焼きそば、380円、それと生ビールなんてどう?」
俺は受話器を持って身を乗り出し「おおおお」と声を上げた。

迷走式ブログ黙読劇場 「しょうないね」 上

2010-02-11 11:34:59 | 日記
       


 しょうないね (上)


                                        
 いくら温暖な海に面した街といえども二月の海から
吹き付ける混じりの風は痛いほどだった。
海岸沿いにぽつんとある黒い壁の番小屋の影で、海猫
がじっとその風と寒さに耐えていた。
人間にとってその冷たく厳しい風はつらいもの以外、
なにものでもなかったが、海猫にとっては、むしろ心
地よいのだろうか、時折、その風に逆らって飛び立ち、
涼しい顔をして波のしぶきと風と戯れるように見えて
いた。番小屋の前にバス停があった。一日に数本しか
ないそのバス停の時刻表には手書きの時間が記されて
いた。潮風にさらされているその時刻表の文字は潮に
滲(にじ)んでいた。浩一はバスから降り、その寒さ
に身をすくめていた。
 バス停から数分歩いた住宅街の中に浩一の実家があ
った。背中に背負っているのは例に漏れず、いつもな
がらのギターである。浩一は地元の高校に通ううちに
音楽に目覚めそして傾倒し、プロのミュージシャンを
目指して東京で音楽活動をしながら自力で生きていた。
東京から電車で二時間のその街にある実家に浩一は時
折、帰ってきていた。そんな生活が始まりすでに五年
の月日が流れていた。浩一は小さいうちに父親を亡く
し、母に女手ひとつで育てられていた。浩一が「ただ
いま」といって玄関の引き戸を開けると、海岸の殺伐
とした様子から打って変わり、石油ストーブの熱気と
準備されている夕食の匂いが浩一を包み込んだ。浩一
にとってはそれがひとつの幸せ、子供に戻る瞬間だっ
た。
「バスで来たの?」浩一の母がそう聞いた。
「うん」浩一はそっけなくそう答える。
「電話すれば駅まで行ってあげたのに」
「いいんだよ、別に」浩一はそう言いながらそのまま
にしてある自分の部屋に行きギターケースをベッドの
上に放り投げた。
「お風呂、出来てるからすぐに入ってよ」台所で浩一
の母親は料理をしながらそう言った。
浩一の母親は、浩一が音楽活動をするために東京にい
くことは断固として反対だった。一人息子であるがゆ
えに出来れば地元に残させ、自分のもとにおいておき
たかった。浩一は独りの母親のそんな心情を充分に感
じてはいたが、それ以上に音楽にかける情熱が、その
狭間(はざま)では勝っていた。自分の若さを信じて
いた。母親も息子には息子の人生がある、潮時と感じ
るその時まではと自分に言い聞かせていた。母親も四
十代半ばとまだ若かったのだ。
 浩一は風呂から上がるとぬれた髪も乾かすことなく、
誰からともなく届く携帯電話のメールに夢中になった。
「しょうないねえ、ほら、風邪ひくよ」母親は出来立
ての温かい料理と刺身を食卓に並べていた。しょうな
いね、とはその地域、独特の方言で、しょうがない、
どうしようもない、などと同意語である。東京のアパ
ートで暮らす浩一にとって時折帰ってきて実家で食べ
るごく普通の食事が最高のご馳走だった。
 すばやく食事を終えた浩一は「ちょっと出かけてく
る」と言った。
地元の何人かの友達と帰ってくるなり、夜な夜なその
仲間たちと合流するのだ。
「どうやって行くの?」
「拓海が迎えに来る」
「絶対、酔っ払い運転、だめだからね、今は助手席で
もだめなんだからね」浩一の母親は母親の口調でそう
言った。
「わかってるよ」ありふれた母と子の会話だった。



 いつもの居酒屋に着くと親しい地元の仲間たちが集っ
ていた。家業を継いでいるものや、いまだ親の世話に
なり大学に通っているもの、大学を辞めてしまい地元に
帰り、ほとんどなんにもしてないものなど様々だった。
若さが溢れる二十代前半の若者たちはみんなまだまだ夢
の途中で酔いが回るにつれそれぞれの夢を語っていた。
その若さではあるが小中学校時代からの友達はみんな
good old friends(グッドオールドフレンズ)だった。
その中の一人、野球に青春をかけていた良介はあと一歩
というところで甲子園を逃した野球
少年だった。高校生の時分、西武ライオンズのスカウト
から一目置かれるほどの存在だったが、よき指導者に恵
まれず今では地元の銀行に就職して草野球を楽しんでい
る。左打者だった良介は超個性的な独特のフォーム、バッ
ティングスタイルでその才能を開花させようとしていた
のだが、基本に反するという当時の野球部の監督にその
スタイルをオーソドックスなスタイルに矯正させられて
しまったのであった。十代の子供、保護者は先生の言う
ことが正しいと信じた。その事実が良介の才能を封じ込
めてしまった。教育とは時としてその個性、才能の芽を
むしりとってしまうのだ。良介の心のアイドルはイチロー
だった。その事実は良介が身を持って自ら体験したこと
だった。矯正させられたフォームはどんなにがんばって
も元には戻らなかった。体がそれに合わせるように成長
してしまったのだ。若者たちはそんなことが充分わかる
年頃で、いつも明け方までそんなことを語り合っていた。
それもひとつの青春だった。
「浩一、まだがんばってんの?」高校生の時、一緒にバ
ンドを組んでいた貴明がそう聞く。
「なんとか、でも、なんか先が見えないんだ。そんなに
甘いもんじゃねーよ」
「都内でライブとかやってるんだろう?」
「今は、全然やってない」
「え、なんでよ。昔だったらとにかくライブ、ライブだ
ったじゃねーかよ」
「なかなか曲が作れねーんだよなあ」
「ライブなんか誰かの乗りのいい曲、テキトーにやりゃ
あいいじゃねーかよ」
「おまえ、なーんにもわかってねーなあ」
「なんでだよ。おまえの東京のバンド、みーんな超うめ
ーじゃん、誰っつったっけ、ギターのやつ、あのギター、
すげーぞ。誰のコピーでも完璧に弾いちゃうじゃんよ」
「ちがうんだよ、ちがう。腕じゃねーんだよ。なんつー
のかな、おれ、コピーだのカバーだのじゃなくて自分の
歌で勝負したいんだよ。自分の歌だけでライブやりてー。
オリジナルでさあ。しかもあいつらと最近、会ってねー
し。コピーって所詮、借り物なんだよなあ」
「メンバー、うまくいってねーのか?」
「そんなことないけど、たまに練習場で会っても、これ
完コピしたから聞いてみてとか、あの有名バンドの曲の
間奏のギターの音、出し方わかったとかそればっかなんだ」
「でもそいつ、プロ目指してるんだろう?」
「もちろん。メジャー指向。でも創作意欲無し。へんだ
ろ、これ」
「ふーん。なんかおまえの言いたいことわかる気がしなく
もねーな」
「そう、つまりな、おれの言いたいことは確かに東京、す
げーけど、みーんな狭い世界で、そこだけの王様なんだよ、
そう、公園のガキ大将、広場の王様。こっちとあんまり。
かわんねー。東京、たいしたことねーや。みんな自分の腕
ばっか自慢してるし。おれなんかギター、超下手だし。ラ
イブやっても来てくれる顔ぶれいつもあんまりかわんねー
し。渋谷ですごい人のライブあるからって誘われるだろ、
暇だから酒飲みついでに行くけど、そのすごい人ってのは、
2年前に誰かのやりましたとか、3年前に誰かのアルバムに
一曲だけギターで参加しましたとか、そんなのなんだ。別
にすごくもなんともない。そんで、そいつらのテクニック
に感動してんだぜ。それはそれで認めるけど」
 そんな浩一と貴明の会話が夜更けまで続いていた。

 浩一はバイト先に一週間ほど休むと伝えてあった。情熱
はありながらも何となく木枯らしの季節のせいもあり滅入
った
気分になっていたからだった。融通のきくバイト先だった。
生まれ育った海を見ているだけで心が和んだ。二階の浩一
の部屋から海が見えた。暖かい部屋から荒れる冬の海を眺
める。このひとときが浩一はたまらなく好きだった。しか
し、それも一週間が限度。なぜなら決まって母親とささい
なことで喧嘩になるからだった。ありがちなことである。
浩一は常々、母親からそのまま散らかし放題にしてある自
分の部屋をかたせといわれていた。外は寒いのでこの際、
いっそ徹底的に自分の部屋をかたそうと考えた。本棚やベ
ッドの下に無造作に置かれているたくさんの本、音楽の教
則本、音楽雑誌。そして有名なバンドのバンドスコアー。
ほとんどが高校生のときにアルバイトをして得たお金で買
ったものである。押入れの中には安物のギター。弦が錆び
て切れてそのままになっている。もはや一文の価値もない。
でもそれらは捨てるに捨てられないものだった。押入れの
中をまさぐっていると古いアルバムが出てきた。そのアル
バムには浩一の幼少の頃の写真が丁寧に貼り付けられてい
た。ひときわ目立ったのは浩一と父親の色褪せた唯一のツ
ーショットの写真だった。浩一の父親は浩一が小学生のと
きに病気で他界していた。若い父親は髪を長く伸ばしてい
た。そしていかにも眩しそうにカメラに向かってピースサ
インをしていた。その横にしかめっ面をした浩一自身が写
っていた。その写真を撮ったのは自分の家の庭先、夏の写
真だった。そのときの記憶は浩一にはなかった。少ない父
親との記憶の中で鮮烈なのはいつも近くの海まで自転車の
後ろに乗り、遊びに行ったときのことだった。一番強く記
憶に残っているのは海で遊んだ記憶ではなく自転車の後ろ
に乗ったときに父親の背中に汗が滲んでいたことだった。
オレンジ色のシャツ、くわえタバコのタバコのにおい、心
の中にそんな風景が記憶としてはっきり残っていた。浩一
はその写真をしばらく眺めていた。父親は当時、流行って
いたフォークソングが大好きな男で自らも趣味でギターを
弾く男だった。いつしかそれも飽きてしまったが庭先の倉
庫から時々、古いギターを引っ張り出しては片目を閉じて
ネックのそりを気にかけていた。そんな場面も浩一の記憶
の中にあった。
 結局、古いものの発見で部屋の掃除はままならない。
いつもそうして中断するのである。ときとして、それ以上
に部屋が散乱することもある。
 庭の世話の好きな浩一の母親の手により実家の庭先はき
れいに整っていたが、植物が最もおとなしくなるその時期、
芝や木々は冬色を呈(てい)していた。その中でひときわ
赤く冬椿(ふゆつばき)だけが
咲き誇っていた。
浩一は家に入り母親に子供のような口調で、その花のこと
を伝えた。
「ねえ、なにあれ、ひとつだけ真っ赤な花が咲いてるけど」
「毎年、この時期になると咲くでしょうよ。浩一が小さい頃
からずっと毎年・・・知らなかったの!?」
「・・・」
 幼少の頃からずっと自分の家の草花のことなど、いっさい
浩一の目には入らなかったが、その時になり、その事実に気
がつく。人間は年齢を重ねるごとに感性は自然美に気がつく
ようになっていく。無意識のうちに感性は良くも悪くも変わ
っていくのだ。
うすうすとみんな同じ色に染まっちゃいけないと浩一はその
真紅の花を見て考えていた。それは自分の目指す音楽に限ら
ず、自分自身にも言えることだと思うようになっていた。
それこそがオリジナリティーだった。20代の若者の成長速度、
吸収力は驚異的なのである。
 浩一はとにかくメロディを作り、それにふさわしい詞を書
くことに没頭していた。浩一がこれまで作ってきた歌は奥行
きのないものがほとんどだった。ジレンマとの葛藤である。
時にふと、いいメロディが浮かぶ。それを即座にMDに記録す
る。ギターを弾きながら、いくつかのメロディを組み合わせ、
とりあえず歌が出来上がる。問題は詞にあった。23歳という
年齢では普通に育っていれば世の中のこと、その裏と表、
人との出会いや別れ、人生経験、体験、挫折感などを味わう
ほどの絶対年数が足りない。それなりに体験はしているのだ

 浩一は海を見ながら去年の夏の出来事を思い出していた。
その頃から付き合っている彼女がいる。三つ年上のその彼女
は浩一に比べたら果てしなく大人の女性だった。花屋で働く
その女性、ジュンは浩一の最大の理解者だった。浩一はバイ
トで少しのまとまった金が出来るとレンタカーを借りてジュ
ンを海に誘った。ときとしてその行先が浩一の実家のある町
であることもあった。もちろん、ジュンはそのことを知って
はいたが浩一はとても自分の実家にジュンを招くことなど出
来なく、実家の近くの海岸道路を車で通過することもあった。

「せっかくここまで来てるんだから家に寄らないの?」
「寄れるわけないよ、いきなりジュンと帰ったらおふくろ、
多分なんにもしゃべれなくなるな」浩一はそう答えた。
「そうかなあ、あたしは全然平気なんだけどな」
「今、こんなに近くにいるのに、浩一のおかあさん、浩一は
今、間違いなく東京にいると思ってるんでしょう?」ジュン
は遠い目をして海を見ながらそう言った。
 その海岸線から100メートルほど沖合いに大きな黒い岩が見
えていた。潮が引いたときを見計らえば泳いでいける距離にそ
の岩はある。
浩一が中学生の頃、夏になると悪仲間たちと泳いでその岩に
わたっていた。遊び仲間の一人の腰には厳重に輪ゴムで封を
したビニール袋を縛り付けていた。
浩一はその袋の中のものには手を出さなかったし、おかしな
興味も持たなかった。袋の中身は煙草とマッチだった。
「昔、よくあの岩まで渡ったんだ」浩一が煙草に火をつけ
ながら言う。
「どうやって?」
「泳いでに決まってるでしょう」
「ふうん。あ、わかった、あの島でなんか悪いことしてた
でしょ」
「あれ、島じゃないぜ、でかい岩だよ。オレだけは悪くなか
った、悪いことしなかった」
「ホントに?」
「ホントに」浩一は念を押すようにそう答えた。
「秘密の島だったんだね」都会育ちのジュンにとってそのよ
うな世界は空想上の出来事というぐらいの観念があった。
「そうかもしれないなあ、あの頃、確かに冒険の島だったか
もな。誰も知らない秘密の島、SEACLET ISLAND(シークレッ
トアイランド)・・・。なんかいいな、それって。でもみんな
知ってたけど。あそこで煙草吸ってるってことも。中学の先
生さえ知ってた」
「ほら、やっぱり悪いことしてた」ジュンはそう言いながら
屈託のない笑顔を見せた。

つづく