YEAR3210

風に転がる迷走日記

命の値段

2012-02-27 21:17:34 | 銚子市
生命、命というのもがある。実はこの地球上には命の絶対数というものが
決まっている。それは太古からである。
わかりやすく書くと地球上にはたとえばわかりやすく10000個の命がある。
それは減りも増えもしない。注目すべき点はその命がすべての命の総数というところ。
生まれる、死ぬ、その時、命を順番に使っている、ただそれだけのこと。
人間が死んだら別の命で生まれ変わる。それが再び人間であるとは限らない。
もしかしたらバッタかもしれないしネコかもしれない。或いはミドリガメ、みみずくかも
知れない。順番に命というものを限られた数の中で使っているだけなのである。
ネコっぽいひと、犬っぽい人、豚っぽい人、っぽい人がいる、それはつまり
前世がそれだったのである。カミサマは隠そうとするが隠しきれない雰囲気が出てきてしまう
ものなのである。この論理は1876年、学者のアンディーラ・リクソンが唱えた、かなり
信憑性のある学説だ。これをノリメールの法則というのは皆さんもご存じのことでしょう。
確か、中学生の授業で習ったはずだ。
死んだらもう一度人間の命を授かりたいものですね。

しかし、以上、全部、ウソでした。

温泉で悪いか

2012-02-21 20:53:38 | 瀬見温泉
どうやらオレは温泉好きらしい。なにをいまさらと言うやつもいる。
温泉に入ったら少なくとも一時間は出ない。一緒に温泉に行く同行人などが
体をさっさと洗ってさっさと出て行くやつを見るとアワレに思う。
せっかくの露天風呂なのに入らない。バカめと思う。なぜ風呂にゆっくり入らないのか
というとそれらほとんどの同行人は「あっついべよ、われ」という。
ありのままにこう書くと方言というのはある意味愚かで悲しい。
骨まであったまるとビールが骨の髄液まで伝わるからである。
その昔、歌謡曲で
「ホネまで愛して」という歌があった。このタイトルは深い。いや、深さを超えて
異常を感じる。ホネまで愛してとはどういうことなのか、鎖骨も愛するわけだし
肩甲骨も愛さなくてはならない。あばら骨なんか一本ずつ愛さなくてはならないのか。
小骨の多いイワシなんかは大変なことになる。
「私はあなたの第293あばらが特に好き」などと会話しなくてはならない。
人間だったら私はあなたのくるぶしが好きなの、などと言わなければならない。
「夜明けの停車場」という曲もあったな。だいたい停車場ってなんだよって話になる。
停車場はタクシー乗り場ではなくこの曲の場合、回送電車の止まっているような場所に
思える。極めつけは死んだ「ちゃん」(標準語:父親)がこよなく愛してレコードで
がんがん聞いていた曲で「土方一番ご意見無用」という曲だった。オレが幼稚園の頃、
家の巨大ステレオから放たれていた近所迷惑な曲だ。その巨大ステレオは、親戚のオーディオ
マニアのおじさんからもらったものらしいが、その当時、そのプレーヤーには
連続LP再生装置が組み込まれていた。上に何枚かのLPを重ねておくと演奏が終わるたびに
その重ねたLPがパタンと落っこちてきて連続して聞けることだった。そのステレオは
オレが中学生になるぐらいまであったが、自分で激しく不服に感じたのは数枚のLPが
連続して聞けるのだが、全部A面だけ連続して聞かなくてはならないことだった。
ビートルズやローリングストーンズに目覚めLPを買った。その当時LPは作り手側の意図として
A面1曲目からB面最後の曲までが起承転結としてコンサートのプログラムのようになって
いたのでそれは今にして思えばいかにも日本的合理的めんどくさがり的まやかし装置だったのだな。
その小細工が日本の優秀な電化製品や車にいかされていったのだな。
で、温泉であるが朝飯に小鯵の干物に遭遇する確率が30%ほどある。小鯵の干物の身はその見てくれより
果てしなく少なく箸で4回ぐらいはがすとすぐになくなる。だからどうしたこのやろうと
全日本温泉の朝飯をこよなく愛する会の幹部などにクレームをつけられそうな気もするが
東日本弱者魚保護協会のオレとしてはもう少し泳がせておいて育て刺身で食ったほうが
1億倍いいと思えるのだが。つまり、乱獲はよくないということです。
この季節、新聞の全面広告をにぎわすのはカニの通販である。ズワイガニ、そのほかの盛り合わせで
なんと7600円、などと広告で歌っている。カニをそんなに売りまくらないでほしいと思う。
カニは高級食材であるし毎日食べるのもそれはそれで問題があるだろうから少しくらい高くてもいいのではないかと思う。
要はどこに線を引き利益が出るかだろうが、そんなことよりもそのようにたたき売りされると
日本沿岸のカニが絶滅してしまうという個人的ハラハラ心配があるからだ。カニみそは
うまい。気絶、悶絶、号泣するぐらいのうまさだ。しかしカニみそはカニの脳みそではない。
内臓の一部と推定するが、いつもカニを食べるとき解体してカニの内部の構造を探求しつつ食べるのだが
どこに内臓があってどこに胃袋があってどこに横隔膜があって、それは全く分からない。ただ
はっきりしているのは少し飛び出たメカニック的な目とはさみ、そのはさみをコントロールする
腱があるということだけだ。カニにも皮膚炎はあるのだろうか。いや、カニの中には骨は見当たらないから
殻がホネなのだろうか。どっちにしても熱湯風呂で茹で上げられた湯上りのカニ
湯上りの人間には泣けるほど う ま い。
芦原温泉で食べる越前ガニは死ぬほどうまい。で、タイトルの瀬見温泉とどーゆー関係があるのかと
問う人もいるが、まあ、コマかいことはいいではないか。

さて、どこに

2012-02-15 20:34:10 | 読書感想文

寝る前に必ず本を読む。小難しい本から小学生の読む図鑑までそれは
それは幅広くすべてが魅力に満ちている。
我が人生、これからトットリに行くことはあるのだろうか?もしくは
指宿でスナブロにつかることはあるのだろうか若しくは名古屋で味噌煮込み
うどんを食うことは今後何回あるのだろうかなどと考えてしまう。
時折、心まで届くエッセイに出会うことがある。昨夜はそれに出会った。
まさしくその通りだと体験的に思った。
そのエッセイにはこんなことが書かれている。要約ですが、

土地には間違いなく何かいる。そこに住んでいる人はわからない。
土地には人智を超えた何かがいて当然だ。そこには千年もの人の暮らした歴史がある。
そこで生きてそこで死んだ人々の残滓のようなものがその土地には必ず積み重なっている。
その夥しい数の思念の積み重ねがその土地の気配を作っている・・・

などとかなり端折ったがそう書いてある。このくだりは心から納得できるのだ。まさしくその通りだと思った。
これまであちこちの町を訪ねて思ったことはみんな同じような風景なのになぜ感じ方がそれぞれ違うのだろうか
と常々疑問に思っていた。酒田のあの雰囲気、村上のあの雰囲気、気配。古川の風のにおい、新庄の町の音、
大館の平面的な雰囲気。平面的な雰囲気とはなんだと聞かれてもそう感じたとしか答えようがないが
そう感じたから仕方ない。これら全ては上記の醸し出す気配によって雰囲気が街の細胞から
溢れ出しているのだ。これは絶対間違いない。
東京駅の八重洲は何も感じないが少し海側に歩けば人の歴史の気配、匂いを怖いぐらい感じる。
まさしく人の残滓であることは間違いない。
東北地方の地図を引っ張り出し目をつぶって指をさしその場所に行くこととした。
指差したとところは福島県の金山という奥会津の村的な場所。
来月、そこでさげばのんでくっぺーや。

酔眼突貫東方見聞録最終回、泣くかな名取川旧態依然、日の国で

2012-02-07 20:53:54 | 名取川

仙台の駅から東北本線に乗り換え名取市へ向かう。快速で一駅、僅かな時間。乗り換える前に駅の正面入口から外に出る。エントランスは高い場所にあり駅前が見下ろせる。相変わらずの大都会である。でも山側に少し足を延ばせば作並あたりの森林地帯、海側なら自然海岸のウニ、牡蠣、海鞘の生息する松島をはじめとする明媚な地帯。いつか必ず住もうと企んでいる街だ。その街の海側は巨大津波に壊されてしまった地域。なぜなんの縁もゆかりも無い名取へ向かったのか、それにはそれなりの小さなわけがあった。他愛のないわけだからここには書かないが
去年の震災のあと、心の中に大きく名取と言う文字が張り付いてしまったわけなのであった。
名取市内の海岸近くもかなり内陸部まで巨大津波に流されてしまった地域である。仙台空港もその範囲にある施設施設であることはご存知のとおりだと思います。オレは実際にその地域を自分の目で確かめたかった。興味本位、野次馬根性、迷惑者、なんて罵倒されても反論のしようがない。行く前でから行くべきか行かないべきか、現地の大地に立った時もその光景を見て来てよかったのか来ない方がよかったのか、帰ってきてからも行ってよかったのか行かないほうがよかったのか、全てにおいていまだに迷っている。仙台の駅でもまだ迷っていた。このまま東京に向かった方がいいのかも知れないと考えていた、が、オレは心してその地域に向かったのだ。名取の駅に着いたら荷物を全部預けてタクシーに飛び込んだ。街なかを過ぎると道路沿いに流されてきた漁船があった。広大な土地の中に船があった。その時点で緊張した。そして大きな誤解があった。その広大な敷地は街の郊外の田畑だと思い込んでいた。タクシーの運転手さんとの会話の中、そこは住宅地だったことを伝えられた
。街ごと、一部を残して全てが流されてしまったのだ。
震災前、港があった場所の前に日和山公園と言う小高い丘があった。タクシーを降りるとすぐにその丘に駆け上った。走り去るタクシー、その姿がどんどん小さくなっていった。空は澄んだ青空、周囲は全て地平線、水平線に囲まれている。山側、地平線の向こうに



白い山並みが見える。すぐ近くに川の堤防、名取川の河口である。壊滅的被害を受けた学校も見える。足がすくんだ。腰から下の力が消える。愕然とするとはこのことだ。その丘の上には仮設の慰霊碑があった。捧げた花が潮風に乾いて揺れている。酒が捧げられている。灰皿が置いてある。買っておいた煙草を風に飛ばされないように捧げた。そして手を合わせた。
昔、あちこちの山々を訪ねていた頃、その感動的な景色で涙したことはいくらでもある。しかしそのような惨状を見て涙が止まらなくなってしまったのは無論、初めてのことだった。今、オレが住んでいる所はいつ津波に流されてもおかしくない海岸沿いの街。
教えられたこと、それは地震もさることながら、津波も含めて、例えば家具を固定する、非常持ち出し袋を用意しておく、家の耐震性を上げる、そんな行為が巨大津波に対していかに無意味なこと、ということだ。高台に引っ越すか、その時に逃げるしか手だてはない。現実的には引っ越すことはできない。その時、家族がみんな逃げられる状態で家にいる保証もない。真冬の真夜中だったら凍え死んでしまうだろう。
幸せの基準は3LDK、4LDK?幸せの基準は健康で生きていること、それだけ、そんなことを今さらながら思い知らされた。
その丘を降りてかつて保育園があり、アパートがあり病院があり、子供たちが走り回った路地があった街を歩いた。瓦礫は重機で撤去したのだろう、家々の境界のコンクリートブロックの基礎だけが残っている。その地面には回収しきれない子どもたちの玩具、衣類、食器類。二次元のテレビでは伝えきれない光景。悲しすぎる、ただそれだけだ。路肩に子どものおもちゃのピアノ。その前の土地の形から判断して子供部屋と思わせる場所にそれを移した。たかだかそれぐらいしかできない。だけどそうしないと気がすまなかった。


それらの子どもたちにとっての宝物は写真に収める気にはとてもなれなかった。いや、そうではない、一枚シャッターを切ったが即座に消去したのが正しい。
向こう側にずっとひとつだけ大きな建築物が荒野の中にポツンと残っていた。ゆっくりその方向に向かう。そこは墓地だった。残されている建築物はそのお寺の本堂だった。本堂の強度が強かったのか、不思議な力が働いたのか、撤去を避けたのか定かではない、きっと不思議な力が働いたのだ。そう思わざるを得ない。それは外観は見た限り大きく傷んでいなかったからだ。付近はなにもない、墓石も全部倒れていたからだ。
砂に紛れて瀬戸物の招き猫が海の方向に向かって倒れていた。オレはそれの泥をおとして起こした。南の空に向けて庭石の風の当たらない場所に置いた。
内陸に向かってゆっくり歩き中学校にたどり着いた。校庭には壊れた漁船。部活のカバンはその日のまま置き去りになっていた。悲しすぎる現実。人の住むことの出来ない家々が点在している。名取川の堤防は耐えたが所々傾いている。カモメが舞っている。そこだけ切り取れば見慣れた風景である。車は地面に突き刺さっている。頑丈な門柱は倒れている。計り知れない波の力。自然界の地球の力なのだろう。人は非力以外、なにものでもない。ボブディランの名曲、ブルーにこんがらがって、まさしくその言葉のような状態になった。


地元音楽仲間、正確に書くと大酒飲み不良中年仲間と随分前から常に酒絡みの音楽活動をしている。オリジナルの魅力に魅了されたオレたちは妖しく怪しく夜な夜な這っている。去年の夏、オレはそんな名取の名取川に向けておこがましくも支援楽曲の歌詞を書いた。
書いた直後、友達が素晴らしい曲を付け、取り急ぎ仮録音をした。それをインターネットラジオで流した。名取のFMラジオ放送局にも提供した。その曲に共感したヨロズ楽器演奏人のマーボーはその曲の編曲を一手に引き受けると誠に頼もしいことを言った。足し算のアレンジから引き算のアレンジを行うと言う。感謝。
被災地の悲劇的風景はその地に限らず三陸海岸線沿いに果てしなく続いている。
素晴らしいリアス式海岸は日本の歴史年表にその一行を加えてしまった。しかも降り続くどうしようもない放射能。人生80年とするとその間、自然災害、戦争、テロなどに直接被害を受ける、受けないは別として確実になんかあることは間違いない。委ねるのは運命以外なにものでもない。その昔、昭和40年代から公害と言う言葉はあったが少子高齢化、年金問題、介護問題などという言葉が流れ出したのは最近のことである。昭和の時代、そんなことを唱えた学者、政治家はいることはいたのだろうがきっと相手にされなかったのでしょうね。あの頃から国の経済の仕組み、税金の仕組み、高齢者対応を考えて対策を立て具現化しておけば今の状況より少なからずましだったのかも知れない。だから十人十色プラス例外の、例外者の意見も尊重することが大事なのではと思う。勤勉国家、日本の旧態依然は既に美学でしかない。日本では何か独特のことをすると、変わり者と揶揄される。欧米では、素晴らしいと祝福される。この違いは大きい。ワンパターンのラブソングでは何も
伝わらない。
花の種類は山ほどあるが、例えばチューリップ、スイートピー、ひまわり、薔薇、カーネーションなどキッパリと存在感を見せつける花が好きである。名取は東北一、国内有数のカーネーションの産地だった。出荷の近いカーネーションは誰かの胸に抱かれることなく流されてしまった。

泣くかな名取川

作詞 水野和彦
作曲 大八木行雄
編曲 増田 勝

仙台行きの夜行バスは色んな思いを運んでる
茜色の膝掛けで眠る子どもは祈り顔
街の灯り 一つひとつ
今では月より星より重い
時にすべてを委ねても あの日は消えない
泣くかな名取川
名残雪 今は似合わない
移ろう季節よ
みんな みんな春を待つ

置き去りのカーネーション
いろんな空を見ている
赤すぎて眩しくて床しい花が咲く
待ちくたびれて抱かれたくて
もどかしくつらい淋しさに耐えて
ゆりあげの海に明日もまた朝日が登る

泣くかな名取川
名残雪 今は似合わない
移ろう季節よ
みんな みんな春を待つ

泣くかな名取川
名残雪 今は似合わない
移ろう季節よ
みんな みんな春を待つ

今、こんな曲を組み立てている。
主だった関わる人々は

関谷公吉
大八木行雄
平木 海
加藤祐一
宮内遊人
増田 勝
伊勢岐代子
山口加奈子
土佐直子


取り巻き業師として

高橋クニ
高橋道江
マイクアンダーソン
イトーチャン
ザクロクン
ナユキハルキ
ナガシマユーキチ


そのほかヨクワカラナイ人々がいる。

完成が待ち遠しい。

話がそれたが命あってこそ。
被災地では数万単位での悲劇が発生してしまった。
今更ながらではありますがこの場で改めて心からお見舞いを申し上げます。

内陸部まで歩いた。タクシー会社がうまい具合にあった。少し待つとのことで事務所の中に招かれ暖かな事務所で待たせて頂いた。配車係の方はそのカーテンの上まで波がきたと言う。ほぼ完全水没ではあるまいか。感覚的には海から2キロ以上離れている。それでその高さまで。これは津波というより陸地が一時的に海になってしまった、そんな感覚。
常々、地球と言う星は生きていて内部は蠢いており人間はその薄皮の上で危なっかしく生きているにすぎないのですね。だから少し変化が起こると人間と言う民、衆はあっけない。いつ命を失ってもいいようになるべく身軽にしておくべきなのだろうか。
新幹線が整備されひっきりなしにいったりきたり、最速、東京から二時間以内。かつてのように仙台は遠い場所と言う感覚はなくなってしまった。しかしそれは何事もなく新幹線も道路も健全での話。それらが遮断されたら仙台は異国の地だ。
仙台は容赦なく遠い都なのである。


あっという間に東京に着いたら「しおさい」のホームに子分1号がいた。
オレはそれを無視して街の灯りを眺めながらこの二日間を思い出していた。
喰う、寝る、飲む、喰う、見る、出すの濃密な二日間を思い出していた。
しかし何も思い出せない。思い出せるのは名取の荒涼とした悲しすぎる現実だけだった。
家について缶ビールを開けながらテレビをつけると、福島で震度5、ただいま新幹線の東北本線は止まっていますと
報道されている。もう少し向こうでゆっくりしていたらオレは動かぬ電車の中の人だった。
旅の無事帰還の一人打ち上げをしていると友人から福島の玉子湯、駅から30分で極楽雪見露天風呂だ、来月どうだ?どうだ?と連絡があった。
オレは受話器を持ったまま身を乗り出し「おおお、それは素晴らしい」とうなずいた。

酔眼突貫東方見聞録第六回、サラバ日本海

2012-02-01 20:53:34 | ショーウインドウ 歌詞
翌朝、5時に起きる。8階の宿の部屋の窓から駐車場だけが照明に照らされ蒼く見えた。一晩がかり、雪は降り続いていて空気が尖っているのがわかる。暖かい部屋でゆっくりしていたいのだが、大館の駅まで急ぎ大阪から日本海沿い北上してくる寝台特急「日本海」に乗らなければならないのだ。

夜があけきらないホームでそれを待った。日本海はまもなくその役目を終える。昭和の時代から、大阪から青森まで一晩がかりで直接つないだ貴重な列車だ。





上野発札幌行きの夜行寝台特急、北斗星はあきらかに観光夜行寝台特急だが日本海は必要とする人が乗る人生的な感じがある。この3月に定時運行はなくなるらしい。事実上の廃止だろう。またひとつ昭和が消えてなくなるんだな。青函連絡船もそうだ。新幹線で東京から新青森まで三時間半。その先、函館、札幌まで伸びるらしい。世の中、不景気だったり大きな地震があったりこの先、巨大地震が必ず来ることが急速に現実味を帯びてきているが時代の未来化は進む。地震に怯える前に前向きに生きようと世の中の流れに沿いそう思いたいが、地震の恐怖感は拭えない。その時、自分がどこで何をしているかだ。ハシゴのてっぺんでペンキを塗っているかもしれないし、国会議事堂の中にいるかもしれない。
あとは運命の問題、それだけでしょうね。
そんなこんなでオレは新青森までの少しの時間、B寝台車4人部屋を独り占めした。通路側の折りたたみ式の椅子には浴衣の乗客がやや茫然とした顔で煙草を吸いながら雪景色を見ている。極寒の原野にナガグツを履いたカメラマンが何人も過ぎる。日本海を写真に収めたいんだな。気持ちがよくわかる。
寝台車に寝込ろんで、この場面だけはコーヒー。コーヒーが旨い。哲学的な味がする。コーヒーも人間の偉大なる発明、発見なのですね。
朝、目が覚めた瞬間から気が狂いそうなぐらいにうどんが食べたくて食べたくてどうしようもない。海産物、珍味系など食べたくない、見たくもない。人間のカラダは正直に出来ている。新青森に着くとオレは真っ先に駅の立ち食いうどん屋に飛び込んだ。230円のカケウドン。すすればあまりの旨さに気を失いそうになった。最高の最高の最高の超ご馳走なのです。
仙台行きのはやてまで少しの時間があったので外にでた。温度計はマイナス9℃、身を切る寒さだった。駅前の広場に数十人の小学生がいて先生と思われる人々がちらほら。校外活動か何かでみんなで除雪作業をしていた。寒そうにしている子供は誰一人いない。みんな笑っている。イタズラチームは先生の話す注意


↓これが青森式雪合戦。 雪の塊の大きさが・・・ちがうね。そして素晴らしいまさしくリンゴのほっぺ


事項など聞くこともなく大きな雪のブロックを投げている。生まれ育つのは都会ではなく地方がいいとしみじみ思わせる光景なのであった。
駅は確実に月曜日の朝の雰囲気だった。大多数の学生、サラリーマンは金曜日の夜を目指し動き始めるのですね。新青森の駅で日本酒の小瓶を土産に買い込み
出汁の効いたうどんにイブクロが挑発されたから缶ビールを買い込み新幹線に乗り込んだ。南下する超高速電車の中でヤレウレシのビールなのだった。
 はやてに乗り込むと隣の席に明らかな老婆が座った。しかも大きなトランクケースを引いている。年齢から察してそのトランクの大きさは尋常ではない
スーツケースだった。そのおばあさんはオレにおはようございます、よろしくお願いしますと言った。少し腰が曲がっているが
足腰はまだまだいけるようだった。電車が走り始めていろいろ話しているうちにそのおばあさんは大宮まで行くことが分かった。
そしてなんとなんとかれこれ80年も暮らしてきた故郷、青森を離れるその日だったのだ。長い雪国での一人暮らし、大宮に住む
息子さんに呼び寄せられ、その日、その電車で大宮に移住するまさしくその事実のさなかのおばあさんだった。
深く刻まれたしわ、かなり度の強そうなメガネ。でもそのおばあさんは気丈だった。こんなに電車が早いから毎週、こっちに来ると笑いながら話していた。オレはその女性を祝福すべきか慰めるべきか言葉に詰まった。
おばあさんはただ笑っていてちり紙にくるんだかき餅を差し出してくれた。まさしく感動の一コマであったのだ。
オレは何を語っていいかわからず眠るふりをしてその女性に仙台が近くなったら起こしてくださいと言い黙り込んだ。
朝のビールは心地よく本当に眠ってしまったようだった。
オレはそのおばあさんに起こされた。
「あんちゃーん、仙台さつくどお」
オレは降り際にそのおばあさんに深々と何度もお辞儀をした。おばあさんはずっとにこにこ笑っていた。
日本人でよかった、バンザイ日本、ガンバレニッポン、本気でそう思った。泣けた。
行きの新幹線の助手席は犬、帰りはおばあさん。今まで数えきれないぐらい新幹線に乗ったがこれまで隣の席に妙齢の女性が座ったことは一度もない。