YEAR3210

風に転がる迷走日記

コンビニ弁当はなぜうまくないのか

2011-07-06 20:55:51 | 農業
いまだかつてコンビニ弁当をうまいと思った時はない。
どんなに空腹だったとしてもコンビニ弁当があってよかったという
記憶がない。個人的主感なのだろうけど、色んな弁当が売っていて
その中にはいろんなおかずがある。が、しかし全てが同じ味と感じるのであります。
焼肉もから揚げも竹輪も玉子焼きもその他含めてみーーんな同じ味しかしない。
どこかの工場で大量生産され、各地のコンビニに配達されるのであろうが、
コンビニ弁当は自分の中では工業製品と考えている。
とりあえず昼の空腹感を満たす工業製品なのだ。
コンビニ弁当は安いか、高いかと言う疑問も残る。街の弁当屋の弁当と値段はほぼ
同じぐらいと思いますが弁当屋の弁当の方がコンビニ弁当より74倍ぐらいうまいですね。
その昔、とある海に浮かぶ小さな離れ小島で合宿をしたことがある。何の合宿なのですか
と言うと答えられない。とにかく男4人の合宿だった。
本土の町には一日に日本の船が往来しているがその合宿の帰り、低気圧の接近で海が
おおしけになり船は欠航、帰れなくなってしまったことを思い出した。
今であれば、カードが使え、支払いから現金の払い戻しなど容易くて出先でお金の問題に悩むことはあまりない。しかし30年も前の話。そんなワザはなかった。
結局、仲間の一人が郵便局から郵便局にお金を送ってもらうというハナレワザをやってのけ
その場をしのいだのだ。その時、宿泊していた民宿のおばちゃんは帰ったら現金書留で
おくりゃあいいと言っていた。天候が回復して船が出る時おばちゃんは馬鹿でかいおにぎりと
おかずを少し作って渡してくれた。今にして思えばあれ以上うまかった弁当はない。
これからもないと思う。
死んで三途の川を無事渡るとその先の曲がり角に曲がり角食堂があって生前のトモダチが
既に飲んでいる。その順番は今はまだわからない、が、そこに立ち寄ることは既に決まっている。正しい人生を歩んできた方々はその店を横目で見て「けっ、ここまできてまだ飲んでる、バカドモが」と言って正しくまっすぐあの世の道を進んでいくのであろう。
しかしすでにそうも行かない人生をたどってしまっている。立ち寄ってしまいコノワタを食うしかないのだ。自分の白子はカソーバで燃やされてしまったしカラダは墓石の下の中の
壺のなかにホネしか残ってないんだからいくら飲んでも二日酔いにはならない。はず。今夜は
薩摩七夕という焼酎を飲んでいる。
飲みながら、我が人生の目標を定めた。
「整理整頓」「草木を愛し酒は慎む」「博多の女」
テーマはこの三点であるがどうせ明日の朝にはこのブログを書いたことを忘れていて
自分で自分のブログを読んでばからしいと思うことが往々にしてある。
そんなわけですがこのブログの登録者は1,600,000人、アクセスランキングが400,000位
になったらしい。お、上位ではないか。
いまから某街の某市長に手紙を書くのである。もちろん縦書きの手書きなんですが、

… コンビニ弁当はワープロで打った文書をコピーしてみんなに配っているって感じがするけどこのニュアンスを理解してくれる人はいるでしょうか。そんなこと、どうでもいいんだけど。


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