長嶋茂雄は引退した翌年に亡くなっている。国は国民的英雄を失わせてはならないと考え、全ての関係者と共にその事実を隠した。国は長嶋茂雄と体格、顔立ちの似ている人間を探し出し80億円の巨資を投じて整形、教育を施し長嶋茂雄を作り上げた。ジャイアンツの監督として復帰した時は作られた長嶋茂雄だったのだ。と、言うのは空想ですがそれを基に国を上げての一大プロジェクト、背後に蠢く怪しい政治家を交えた人間模様。そんなシリアスなドラマ原稿を描き始めた。
いつまでもビールだ、カニだ、ウニだ、ホヤだ、マーティンだ、西穂高だ、金時山だなどと言ってられないのである。
今年ほどプロ野球が面白くない年はない。阪神にその原因のひとつはあろうが気が付けはやはりダントツでジャイアンツが首位にいて原監督の笑顔がむしろいやらしくさえ感じてしまう。もっとゲーム差が少なく拮抗していれば晩酌の友として面白いんだけど。手段を選ばずいい選手ばかり集めてなにがあろうと優勝、そのやり方は好きになれない。
この夏休み、日帰りで茨城県の北部の城里という小さな街に行った。なぜ城里町なのか、特に理由はない。街を流れる那珂川でビールを飲んでヒルネをしたかったのである。
日本の夏の気配充分な景色の中、やや傾いた食堂を発見、迷わず入り野菜炒め、ラーメン、ビールを飲む。大衆食堂の野菜炒めはなぜ旨いのだべか。思うに、油まみれの厨房や使い込んでまず洗うことのない鉄製のフライパンなどから長年蓄積されたダシが出ているのだなと思う。
河原に寝転んで読む本を二冊、家から持ち出した。一冊は自分の書斎から新書版の人はなぜパチンコをするのか、というパチンコをする人の心理を巧みに解析した本。もう一冊は息子の部屋の本棚にあった志賀直哉の本。志賀直哉の本が漫画本に混じってあること自体、有り得ないが、学校からのメーレーで読まざるを得なくなりとりあえず買った、若しくはブンガク的な彼女ができた時に備え誰が好き?と問われた時に志賀直哉と答えるために買った、そのどちらかであることは間違いない確信がもてた。
帯のついたままの開いた形跡のない志賀直哉の作品を河原の木陰で読む。数十年ぶりに読む作品だがそのみずみずしい感性に心が揺れる。やはり天才なんだな。河原で拾ったベニヤ板の上でヒルネ。気分よし。帰り道、大洗で生たこを買う。一刻も早く家にたどり着きタコサシでビールを飲まなければならない。夕方の名残がある頃に到着するため飛ばす。朝早くから動き出すと1日がかなり濃密に使える。
1日に2度酔える。若い頃、休みの日の目覚めは午後だった。今ではそうしたくても絶対に無理。そんな体になった。昼過ぎになっても目覚めなかったら永遠に目覚めることはない気がする。二十代の頃、十代の頃もっとたくさんの旅をすればよかったと激しく後悔、金も知識も知恵もなかったけど。30代の頃、20代にもっと旅をすればよかったと激しく後悔。相当出掛けたがいささか行く場所、目的を誤っていた。
翌日は朝早く起きてコンビニでワンカップを一本買う。早朝にワンカップ一本だけ買うとコンビニ店員がややヒルムのがわかる。
フクロはいらないと断る。アル中ではなくそれを持って友達の墓参り。しばし一緒に飲む。その足で高速バスに乗り東京へ。どうしても欲しいマーティンのギターを買うため東京駅からお茶の水まて歩いて行く。午前中の繁華街の裏通りは夜の喧騒の名残がまだ残り薄汚い。行ったことないけどどことなくニューヨーク的だ。はっきり違うことは巨大な黒人に見つめられていないこと。とりあえず命を狙われていないことだ。まだ日本は平和だ。お茶の水の楽器店を数件回る。6月に来たとき、この次に来たら買おうと誓ったマーティンのバックパッカーというギターがどこにも売ってない。不思議に思い店員に聞いてみるとシーズンだからと答えた。楽器にも季節物がある。ひと味変わった人間は野山にギターを持っていくのですね。悩んでいても仕方ないので神田の居酒屋的な店に入りすかさずビールとアジの刺身。東京はこんなことが昼から普通にできる。時計をみると正午前だった。ふらついた足で八重洲ブックセンターへ。
ミステリーとSFと植物図鑑を買う。
植物は自力で移動出来ないから植物性ホルモンを持っていて花を咲かせたり葉っぱを落としたり鳥や虫に手伝ってもらい子孫を残す。ある意味、意識だ。そんなことが書かれている面白い本だ。
帰りのバスに乗る前の少しの時間、ニュートーキョーで本をナナメ読みしながら生ビール。旨いが高い。高いが旨い。
さすがトーキョー。バスに乗り地元に帰り友達の居酒屋に立ち寄ってイワシの刺身とビール。トーキョーでそんなことしたら大変なことになる。外はまだ明るい。タクシーで自宅に。翌日、朝から家の草取り、水撒き、ペンキ塗り、ラジカセにはジョンデンバー。ノーテンキなカントリーは更に暑さを増大させるが突如、麦藁帽子が欲しくなりホームセンターに行くが買ったのはナガグツ。
夏が過ぎて行く。早く秋になればいい。三陸でウニだアワビだ、ホヤだ。
いつまでもビールだ、カニだ、ウニだ、ホヤだ、マーティンだ、西穂高だ、金時山だなどと言ってられないのである。
今年ほどプロ野球が面白くない年はない。阪神にその原因のひとつはあろうが気が付けはやはりダントツでジャイアンツが首位にいて原監督の笑顔がむしろいやらしくさえ感じてしまう。もっとゲーム差が少なく拮抗していれば晩酌の友として面白いんだけど。手段を選ばずいい選手ばかり集めてなにがあろうと優勝、そのやり方は好きになれない。
この夏休み、日帰りで茨城県の北部の城里という小さな街に行った。なぜ城里町なのか、特に理由はない。街を流れる那珂川でビールを飲んでヒルネをしたかったのである。
日本の夏の気配充分な景色の中、やや傾いた食堂を発見、迷わず入り野菜炒め、ラーメン、ビールを飲む。大衆食堂の野菜炒めはなぜ旨いのだべか。思うに、油まみれの厨房や使い込んでまず洗うことのない鉄製のフライパンなどから長年蓄積されたダシが出ているのだなと思う。
河原に寝転んで読む本を二冊、家から持ち出した。一冊は自分の書斎から新書版の人はなぜパチンコをするのか、というパチンコをする人の心理を巧みに解析した本。もう一冊は息子の部屋の本棚にあった志賀直哉の本。志賀直哉の本が漫画本に混じってあること自体、有り得ないが、学校からのメーレーで読まざるを得なくなりとりあえず買った、若しくはブンガク的な彼女ができた時に備え誰が好き?と問われた時に志賀直哉と答えるために買った、そのどちらかであることは間違いない確信がもてた。
帯のついたままの開いた形跡のない志賀直哉の作品を河原の木陰で読む。数十年ぶりに読む作品だがそのみずみずしい感性に心が揺れる。やはり天才なんだな。河原で拾ったベニヤ板の上でヒルネ。気分よし。帰り道、大洗で生たこを買う。一刻も早く家にたどり着きタコサシでビールを飲まなければならない。夕方の名残がある頃に到着するため飛ばす。朝早くから動き出すと1日がかなり濃密に使える。
1日に2度酔える。若い頃、休みの日の目覚めは午後だった。今ではそうしたくても絶対に無理。そんな体になった。昼過ぎになっても目覚めなかったら永遠に目覚めることはない気がする。二十代の頃、十代の頃もっとたくさんの旅をすればよかったと激しく後悔、金も知識も知恵もなかったけど。30代の頃、20代にもっと旅をすればよかったと激しく後悔。相当出掛けたがいささか行く場所、目的を誤っていた。
翌日は朝早く起きてコンビニでワンカップを一本買う。早朝にワンカップ一本だけ買うとコンビニ店員がややヒルムのがわかる。
フクロはいらないと断る。アル中ではなくそれを持って友達の墓参り。しばし一緒に飲む。その足で高速バスに乗り東京へ。どうしても欲しいマーティンのギターを買うため東京駅からお茶の水まて歩いて行く。午前中の繁華街の裏通りは夜の喧騒の名残がまだ残り薄汚い。行ったことないけどどことなくニューヨーク的だ。はっきり違うことは巨大な黒人に見つめられていないこと。とりあえず命を狙われていないことだ。まだ日本は平和だ。お茶の水の楽器店を数件回る。6月に来たとき、この次に来たら買おうと誓ったマーティンのバックパッカーというギターがどこにも売ってない。不思議に思い店員に聞いてみるとシーズンだからと答えた。楽器にも季節物がある。ひと味変わった人間は野山にギターを持っていくのですね。悩んでいても仕方ないので神田の居酒屋的な店に入りすかさずビールとアジの刺身。東京はこんなことが昼から普通にできる。時計をみると正午前だった。ふらついた足で八重洲ブックセンターへ。
ミステリーとSFと植物図鑑を買う。
植物は自力で移動出来ないから植物性ホルモンを持っていて花を咲かせたり葉っぱを落としたり鳥や虫に手伝ってもらい子孫を残す。ある意味、意識だ。そんなことが書かれている面白い本だ。
帰りのバスに乗る前の少しの時間、ニュートーキョーで本をナナメ読みしながら生ビール。旨いが高い。高いが旨い。
さすがトーキョー。バスに乗り地元に帰り友達の居酒屋に立ち寄ってイワシの刺身とビール。トーキョーでそんなことしたら大変なことになる。外はまだ明るい。タクシーで自宅に。翌日、朝から家の草取り、水撒き、ペンキ塗り、ラジカセにはジョンデンバー。ノーテンキなカントリーは更に暑さを増大させるが突如、麦藁帽子が欲しくなりホームセンターに行くが買ったのはナガグツ。
夏が過ぎて行く。早く秋になればいい。三陸でウニだアワビだ、ホヤだ。
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