不可思議と積極的不可知論

浄土真宗の和尚さんから伺いました。人間は死んだらどうなるのか、宇宙に始まりと終わりはあるかのかというような、人間の知恵を超える問題を、仏教思想で「不可思議」といい、仏は不可思議な存在であるそうです。

宇宙の始まりという不可思議に挑戦している物理学者の話を伺っている時に思いつきました。聖書に書かれている「見ずに信ずる者は幸いである」という言葉は、問答無用に宗教を押しつけるのではなく、人間の知恵を超える存在があると説いているのかもしれません。

「宇宙からの帰還」の中で、宇宙飛行士のエド・ギブスン氏は、次のように語っています。「そう、一種の不可知論ではある。しかし、そんなことはわからんと投げ出す不可知論ではなく、わからないのが正しいとする積極的不可知論だ。そして私は、この不可知論の中にほんとの宗教性があると思っている。」

星空に涙するときに、人間を超える偉大な存在を感じるが、それが単数か複数か、男か女かどちらでもないか、自分には解らないし解らなくてもかまわないというのが、私の積極的不可知論です。

「見ずに信ずる者は幸いである」という言葉と自然科学が両立するかという問題が、不可思議と積極的不可知論によって解決しました。和尚さんありがとう。

宇宙も人間も、不可思議だからこそ、面白いです。

宇宙からの帰還 (中公文庫)
立花 隆
中央公論新社
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