どこ吹く風

旅のことを主に書く。

オリャンタイタンボ遺跡へ

2006年04月22日 10時19分10秒 | マチュピチュ
 昼食をとったレストランは「鄙には稀な」と表現したくなるほどの田舎にありながらリッパなレストランだった。ウルバンバ、マチュピチュへの道にあるので観光客が多いのだろう。スープもその他も美味しい花が一杯咲いているレストランだった。
冷たいビールも格別美味しかった。

 クスコからの峠を越した頃から見え始めた川はウルバンバ川といい流れ流れてビルバンバ川になりアマゾンになるらしい。位置関係が理解できないが、あのアマゾンの上流にいると思うとワケも無く感動したくなる。赤土を含んだ水がゆったり私たちと共に流れている。

 通り過ぎる集落は豊かさは感じられないが、トウモロコシやキヌアその他果物類も見えるので貧しくはないだろう。市場で食べたサボテンの実があちこちに見られる、それも野生で。どうりで安かったのだわざわざ買って食べる人は田舎の都市地区の住人だけだろう。そのムラのあちらこちらの家の前に赤いビニールを竿の先にかけた印が見受けられた。これらがチチャを飲ます家の目印であることは前に書いた。
そうこうしている内にオリャンタイタンボの遺跡の村に入る。

 まず遺跡の全体を見るためムラの中を歩く、6・7歳のオンナの子が出てきて一緒についてくる歌が唄えると言い唄った。そして小遣いを要求する、その頃になると子供たちが数名出てきていた、ガイドはみんなが出し合ったお金を全員に分け与えていた。

 インカの神コンドルにピューマは神殿・遺跡に現されている、遺跡全体をそれに見立ててアレンジしている。説明を受けると成る程と思うように形になっている。あちらが頭で胴体はあそこと言われたらそのように見える。コンドルの羽もある、光の当たり具合ではもっとハッキリするだろう。
人物像もある、インカの顔もある。インカの顔は夏至の日の出の位置と関連付けられていると聞き天文に異常に興味を持ったインカの人々のことを想う。

 遺跡についてはガイドブックに任すとして、同行の人たちは年寄りが多いのに不自由な足で300段もの階段を一歩一歩登っていた。よほどインカに思い入れがあったのだろう。私たちも足が自由なうちに歩き回ろうと話した。
クスコからインカ道で5日行程のところにあるこの地、皇帝の娘と武将の伝説が残っているここに大きな遺跡があるというのは当時重要な土地だったのだろう。生産拠点だったのか、交通の要所だったのか・・写真を撮るためにウロウロしていたので聞き漏らしてしまった。

 遺跡を通して歴史を遡るには、季節を変えて昼夜時間を変えてその場所に立つ事がより広くより深く遡れるだろう。一瞬しか滞在しない駆け足ツアーでザンネンだ、その一瞬では武将の怒りの叫びも皇女の嘆きの声も聞くことは出来ない。
完成していない太陽石、遺跡の中の未完成品を見ると気分はなお更時のように深く沈んでいく。偉大さと辛さが同居するのが遺跡だ。

 ウルバンバのホテルは、これまた鄙には稀ないい施設だった。
暗くなってから外へ出て南十字星を探した。たぶんアレだろうということにして寝た。