どこ吹く風

旅のことを主に書く。

プーノへ向かう

2006年04月26日 10時01分40秒 | マチュピチュ
 マチュピチュの帰りの汽車ではファッションショーがあり、真っ白けの顔で踊る衣裳身に付けた踊り手が狭い列車の通路で演じてアルパカ製品の宣伝をしていた。各車両を廻っているのだろう、若しかして日本人車両だけかな。

 汽車は来た道を戻る、急流を遡るようにすすむ、山手には雪山も見えてきた。晴れてきたので遠くの雪山に日が照って輝いている。
クスコまで行く列車だが一つ手前の駅で降りてバスに乗り換えるそうだ、山越えするのにスイッチバックで登るので時間がかかるのと、この区間はドロボウ列車と称されるほど犯罪が発生していると説明があった。

 クスコから日本の大学院生が乗り込んできた、席はガイドの席だったがオーバーブッキングのようで、ガイドが席を譲り移動したので彼が座ることになった。ひと月ほどペルーからボリビアを旅しているとのこと。いろいろな出来事を話しているの興味深く聞いた。
 我々がクスコの一つ前の駅で降り、その後はドロボウ列車と呼ばれるほどヒドイことが起きるかも知れないと告げると若干オロオロしていた。その後もしその彼が週刊誌に載るようなことが起きたら、”たまたま一緒の乗客・・云々”のインタービュー記事が出るのかと内心ハンブン期待(?)していたが、リマの空港で再開した。(笑)

 スイッチバックを経験したかった、でも途中一ヵ所スイッチバックで登ったところがあった。スイッチバックは阿蘇で乗った以来だ、阿蘇では別の機関車を連結して登ったが、そこで機関車の連結があったかどうかは分からない。もう暗くなっていたので景色も見えなくなっていた。

 バスで山越えしてクスコに降りる途中で夜景を見るために一時停車した。クスコの明かりが眼下に広がっている、街はピューマの形には見えなかった。写真を撮ったが手ブレを起こしている、一脚でもカメラ支えが必要だ。ペルーの明かりは蛍光灯色は少なく白熱灯の色・明かりだ、街全体が暖かい色で包まれている。
一昨日泊まったのと同じホテルに入った。

 翌朝出発までの時間を散歩に充てた、街角にオバサンのパン売りが並んでいる、直系30cmほどのクスコ独特のパンが3ソルという、あとで分かったが吹っかけた値段だったがそこでは買わなかったので被害(?)は無かった。小さなパンは5個で1ソルくらいに思えた、買って行く人の支払額から推測したのである。 

 今日は4月1日の土曜日になっている、散歩しながら教会にも寄った、週末なのか前に来たときより大きな礼拝堂を使ってミサが行なわれていた。入口でイチオウ十時を切って敬意を表した。
 教会には大きなメインの礼拝堂の回廊横に配置された部屋があり、絵画や彫刻などで飾られ祭壇まである箇所もある。前に来たときはその横の部屋で礼拝が行なわれていた。メインに対して横向きになって説教・礼拝が行なわれていたが、その日はメインが使われていた。

 私たちはジャマにならないようにそ~っと歩き祭壇の後ろ側も見て廻った。”クイの最後の晩餐”の見納めをした。
プーノへの出発は、市内は道が狭いのでまず中型バスで出て、街外れで大型に乗り換えた。飛行場の脇を通り抜け市外に向かう。途中でクスコパンが有名な、というより運転手が気に入ったパン屋に寄ったのでパンを買った、2ソルだった。
タンナフクルーを思い出す風味がある。

 バスは緩やかな坂道を登り始める、クスコを守る城門の遺跡が峠にあった。
土を取った跡のようなところが目立つ、池もある。クスコで使われている瓦や日干し煉瓦の生産地とのこと。
このツアーの最高地点の峠に向かってバスは快適に走った。