どこ吹く風

旅のことを主に書く。

プーノへの道

2006年04月27日 11時25分52秒 | マチュピチュ
 山あいの道をバスは走る。
ところどころに村が出てくる、沿線は畑が多い、作物はトウモロコシやキヌアが目に付く、もちろんジャガイモもある。集落の大きさに比べて畑の規模は大きい、水田は全く見えない。生産性が極端に低くなければ充分な食糧生産はなされているだろう。

 通り過ぎる村の家を見ながら思いついた、日本でもそうだがここペルーの片田舎でも塀に屋根がついている、どうしてだろう。リッパな塀には瓦の屋根、貧弱な塀には草を置いてその草が飛ばされないように(と思う)石が置かれている。
 どうしてか・・・と考えて答が見つかった。あの屋根は装飾ではない実用的な意味があったのだ。それは塀はレンガ積みの立派なものもあるが多くは土塀である。横から雨水がかかっても直ぐ流れ落ちるが、上が剥き出しになっていると雨水が滲みこんで塀が崩れてしまう。それを防ぐ水対策の瓦屋根であり、草で覆われているのだ。
そのように結論付けても間違いないだろう。
 時代劇に出てくる武家屋敷の塀も土壁、塗り壁なのだそれ故に屋根が必要だったのだ。
 昼食はこれまた鄙びたところにポツンと建っているレストランだった、スープもあり美味しく食べた、またまた雛には稀なという言葉が頭をよぎった。ペルーは「雛には稀な」ところが多い、ということは稀でないということになる。雛にはフツーのと表現すべきか・・・

 途中トイレ休憩中に近くの畑を耕している現場に出くわした、10名ほどのオトコが鍬を振っている、その様子がヘンだ、全員が肩をくっ付けるようにして鍬を持ち上げ振り下ろしている。私の常識では少なくとも1m以上は離れるだろう、しかしここの人たちは固まって作業している。
 何故だろう、おしゃべりが良く聞こえる為か、そうでは無いだろう。土が硬いので固まって仕事したほうが効率的なのか、離れて作業すると耕し忘れ残りが出るのだろうか。いずれの答えもヘンだ、分からない。雇い主も認めているだろうから効率は変わらないのだろう、安全面はどうだろう。
結局分からないが私の答えです。

 アンデスの山あい、山あいとは言え広いところで山に囲まれた小さな平野・盆地を走り続けて上りになった。気温も下がり始めた気がする。この旅の最高地点を通過するのだ、ほどなく標高4335mの峠に着いた。雪に覆われた山も見える、世界でも有数の峠だろうからシッカリとミヤゲの露店がある大きな石で台を作り品物を並べている。ララヤ峠というらしい。

 本日の日程はクスコからプーノへの移動だけなのでのんびりした行程で、観光巡りはシュスタニ遺跡だけである。
そのシュスタニ遺跡は墓の跡でインカ時代より前に作られたものも多いそうだ。タワーになっており窓は一ヵ所、夏至の日に光が真正面に当たるような作りとのこと。
太陽信仰を具体化するのに夏至を選ぶのはどうしてなのか。北欧では冬至を祝う習慣があった、南半球なので夏至がタイセツな日になったのだろうか。

 シュスタニ遺跡は荒涼たる地、湖のほとりの高台に塔がたっていて、もの思いにふけりたいような気分になった。夕方に訪ねたということもあろうが、湖・丘・遠くまで続く大地が陰鬱とも思える風景になっている。木が見えないのも一因だろう。
墓には似つかわしい場所だ。静かに来世で蘇る事を念じて静かに眠っていたのに静けさを破られて行く場のない魂が彷徨っていてもおかしくない。
遺跡は心を楽しいものにはしない。

 この遺跡に来る途中フリアカの街を通ったが、汚らしい街並みに通りだ。水溜りがあり埃っぽくバラックが延々と続き、降りて歩きになれない街だった。
フリアカの街を過ぎて暫らく走ると湖が見えてきた、坂を下りチチカカ湖畔のプーノに着いた。