どこ吹く風

旅のことを主に書く。

皇紀2594年

2007年07月20日 14時29分21秒 | 中国研修旅行
 今回の主目的である墓参りをした。
雰囲気、ロケーション、食事も素晴らしかった石原荘を出て高速道路を鹿児島市内へ向かう。雨が降り始めていたが途中で大雨になった、台風の影響が早くも出てきたのかと案じる。しかし走っているうちに小降りとなりその内にまるっきり雨が降った後が無い乾いた道になってしまった。先ほどの大雨はナンだったのだ。
雲が台風の同心円状に発生しているのだろうと先を急ぎ市内へのインターチェンジで降りた。

 墓へは市内から電車で行ったことはあるが逆方向から行ったことはないし、鹿児島市内を知っているわけでもないのでカーナビの指示通りに走る。すると墓は市内へ向かう道筋にあった。
お墓は団地となっており山(丘?)までも埋め尽くさんばかりに林立している。入口にあるお花屋さんにお墓の管理を頼んであるので、そこでお花と水を調達する。お墓は直ぐの所にある。お墓に供えられている花が新しいと思ったら13日、新暦でいえば盆の入りである。月遅れのお盆と旧盆しか頭に無い私はそれを思いつくのに暫らく時間が掛かった。

 この墓に来るのは3度目かな。石が組み合わされた小さな墓なので掃除も手間が掛からない。形ばかりの掃除をしてお花を替えて手を合わせる。何時頃お墓を造ったのか気になっていたが墓石の裏に紀元2594年と刻まれている、皇紀2600年が1940年だから1934年に造られたことになる。(計算は合っているかな。)
その頃は皇紀を使うのがフツーだったのか、それとも流行だったのか、はたまた尊皇思想の持ち主だたのかと思いをめぐらした。薩摩の郷士の出なのでそのような思想の持ち主だったのだろう、と思いながら近辺の墓標を見ていると皇紀で彫られているのが多々見られる。戦雲急を告げる時勢なので国民を引き締める風潮があったのだろう。つまり流行りだったと思われる。

 妻のご両親のおかげでこのような楽しい墓参ができることに感謝します。台風が接近しつつあるというのに雨も降らず、子供たちが墓参りし易いような天気にするのも生前の行ないが良かった証明です。