どこ吹く風

旅のことを主に書く。

カナダからの手紙

2007年12月16日 07時01分52秒 | オーロラ
 ティピィと呼ばれるテントの中でオーロラ出現を待つ間雑談が始まり、音楽の話になった。ポップかジャズの大御所その他の名前が出たが私の知らない人ばかり。突然唐突に「平尾マサアキの名前があがったので大笑い、笑った人の年齢が高い人ばかりなので、その事をまた笑う。
 若い人が多くて中には女学生もいた、私がイチバンの年寄りと思われる。♪~Love letter from カナダ・・・から始まる「カナダからの手紙」が流行ったのは何時だったか、20年以上も前の歌だったろうから笑ったのはオジサン年齢に近い人ばかりだった。

 オーロラの出現率が高いイエローナイフまで飛行機を4回も乗り継いでやってきてくつろいでいる時”カナダからの手紙”の話題で、機内で読んだトルコの紀行文が思い出した。”400年前の手紙”という題でオスマントルコ時代の天才建築家ミマル・シナンのことが取り上げた文章だった。
シナンのことはイスタンブール見物の時にガイドが何回も説明していたので記憶に残っていたのと、友人に建築家がいるので興味深く読んだ。
オーロラとは関係ない話で、その上著作権の問題もあろうけど読んで感動したのでここに載せます。

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発見された手紙
 1990年代、イスタンブールで16世紀に建造されたあるモスクの修復プロジェクトが立ち上げられた。このプロジェクトの最も難しい点は、もろくなってしまった石のアーチを修復することだった。
 プロジェクトチームは熟考した末、木の枠組みを使い構造を修復することに決めた。ローマ帝国がかつて使用していた手法とほぼ同じであろうと考えたからだ。作業に取り掛かりアーチの下に木の枠組みを設置し、アーチを支えている重要な石である「キーストン」を除去しようとしたその時、彼らは驚くべきもの、そこにあるべきではないものを見つけた。
それはガラス管だった。ガラス管の中には何枚かの用紙が入っていた。専門家が呼ばれ、その用紙はオスマン語で書かれた手紙であることが判明した。
 400年前に書かれた一通の手紙がその日意外なかたちで届けられたのだ。翻訳された手紙の内容はこうだった。

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我々が建造したこの建築物の石は、400年が寿命である。400年後石のアーチ部分は傷んで脆くなりあなた方はそこを作り直そうとするだろう。その時おそらく建築の技術は我々の時代より大きく進化しており、それゆえにあなた方は意思のアーチを作り直す経験を持っていないだろう。だから私はこの手紙を書いている。

 おそらく、あなた方は石のアーチ部分の重要な石「キーストン」の下に木の枠組みを設置し、その後「キーストン」を除去しようとするだろう。そのプロセスに取り掛かることは、この千築物にとって大変重要な意味を持っている「キーストン」について学び始めることを意味している。
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このあと手紙はキーストンの役割やさらにその後400年維持するために、建築当初と同じ東アナトリア産の石を使うことなどを指示していた。また手紙には図面と工法の資料が添えられており、”同封の資料で、あなた方はこの石の建築物のすべてを学ぶことができるだろう”と締めくくられていた。
 この手紙は、ル・コルビュジュとフランク・ロイド・ライトが歴史上最も尊敬した建築家といわれる「ヒリスト」という人物により書かれていた。
 実は、このヒリストという人物は、1538年から1588年の50年間、オスマントルコ帝国のスルタン(君主)のために、実に多くの建築物を遺した建築家ミマール・シナンに他ならない。
   
  ----以下省略------

 何の繋がりも無いはずの「カナダからの手紙」と「400年前の手紙」が私のアタマではピッとくっ付いてしまった。そこで手紙ならぬハガキを友に出した。
 友人はただ建築設計をしているだけでなく市民運動に深く関わり理論面の中核をなしている人物でもある。
 
”辺野古のアセス方法書や石垣空港の訴訟などで忙しいでしょう。私はオーロラで名高いイエローナイフ来ており零下20数度の中でヒーサに震えることも無く・・・”
と彼が羨ましく思うように書いた。
運動に仕事に忙しい彼の遊びの部分を私が代行してあげているのです、友情の現れですヨ。(笑)

おみやげは、そのJALの機内誌にします。
運動の報告会や支援集会参加のために度々ヤマトへ行くので既に読んだかな。読んでしまっているとしてもお土産は気持ちなのでそれを汲んでもらえれば良いのだ。

写真は雪に覆われた山々に朝日が射し始めたところです。