「亭主元気で留守がいい」・・苦笑い・・・だけでは終われないですね。。。
父親不在という現状には、家庭的な要因、社会的要因があるのですが、子どもが父親不在の家で育てば傷になったり、家庭崩壊にもつながります。
また、その子どもが親になった時、父親のイメージがつかめず、結局伝統的な厳しい父、怖い父というパターンになるわけです。
厳しい、怖いといった父親としての威厳を否定したいのではなく、厳しさと優しさの両面が必要なのではと。。。
日々の歩みにおいて、ほとんど関わりがない父親が口を開けば、「あれがだめ、これがだめ」と厳しく叱っても、、子どもと良い関係を築くことや
父性の役割を真に果たせるのか、考える必要がありそうです。
個人的には、子どもが小学生ぐらいまでは父親も母親と同じように、愛情を注ぎ、その子を全面的に受け入れ「基本的信頼」を築けるように関わることが大事なことであると思います。
今春、娘が保育園に通い出しました。園の先生たちとも信頼関係を築きつつあることは何よりうれしいことです。
そこの園である一人の先生に親子関係の信頼を築く上で大切なことに気づかされたことがあったのです。
帰園時に園の先生が一日の報告をしてくださるのですが、一人だけ正直にマイナスの報告をしてくださったことがあったのです。
私の中ではこの先生は信頼できる先生になったのです。
これは親子の関係でも同じように言えると思います。
娘に悪いことをしたら、素直に「ごめんなさい」と言える関係でありたい。
信頼関係を築くには、表面的な口先だけのものではなく、「ありのままの自分で向き合う」ことが必要なのではないでしょうか。
父性の役割について、、、
父性の役割の重要性は子どもが成長し、自立したいという欲求が出てきたときなのだと思います。
社会との橋渡しをする存在としての役割です。
娘が社会の雑多な人間関係の中でもやっていけるようになるための、言わば良い道具になれるか、が重要なのだと思います。
そのために、まず「娘と交流をたくさん持たなければ」。
それを妨げるものは何か。。
家庭的な要因で言えば、夫婦の関係が大きいと痛感しております。
最近、夫婦で喧嘩してしまうことがあり、そういう時に子どもに近づきたいけれども
母親がいるので行けないということがあったのです。
夫婦の中をよくすることが子どもとの関わりを多く持てる要因の一つですね。反省です。。
最後に、、、
理想の父親像とは何かと聞かれたならば、、「分からない」といのが答えなのだと思います。
それぞれ、父親も子どもも環境も違うのですから、無理に「父親はこうであるべき」という形にはめ込まなくても良いのだと思います。
個人的には、もっと男性に対する働き方を含めた支援を社会全体で考え、取り組む必要があることと、
父親同士の子育てについて素直に「話し合える場」がもっと身近にあったら良いのになと、、。
ありのままの自分で向き合えるように。。