さて、今日は長いです。
以前にも書いた事があるのですが。
24年前、ヘンリーダガー作品を見た事は、私がニヒル牛を作る大きなきっかけとなりました。
今は、アールブリュットと言えば名前が上がるヘンリーダガー。
60年もの間、誰にも見せず、1人でイラスト入り大長編小説を書き続けた人物です。
その小説のタイトルは『非現実の王国』
スイスのアールブリュット美術館を訪れたのは1993年、だんなの両親との家族旅行でした。
美術館の一部屋を使った企画展が、ヘンリーダガー展だったのです。
部屋に入り、絵の前に立ち、本当に身体が震えてきたのを覚えています。
こんな風に、自分の奥深くまで突き刺さる作品が存在するんだと。
眼を離せなかったのは、暗い雲から逃げていく少女達の絵。
私はこの雲を知っている。
ベージュの空に広がってく重い灰色の雲。
今にも激しい雨を降らそうとしているこの不安に満ちた雲は、自身の中にずっとある雲だ。
私を飲み込もうとする、いつもそこにある闇だと。
辛く痛く、そして感動して離れられず、義理の両親を数時間待たせてしまいました。
ニヒル牛、実は最初の店名候補は『ヘンリー』でした。
私は、ニヒル牛の箱の片隅に、どこかのヘンリーダガーも作品を置ければいいと思っていたのです。
それが難しい事だとは分かっています。
ヘンリーダガーだって、大量に発見されてしまった作品を、誰にも見せたいとは思っていなかった。
死の直前、すべて捨ててくれと言ったのは、本心だったに違い無いです。
『残虐な描写で殺される少女達は、なぜかみんなペニスを持っている。
それはヘンリーが実際の異性の裸を見た事がないからだ』
死んだ後にそんな風に語られるのは、どれほど鬱陶しい事だろう。
だけど私は、それでもあの作品を見られてよかった。
身勝手な話ですが、ヘンリーダガーの作品が、そのまま大量のゴミにならなかった事を、本当によかったと思ってしまうのです。
それは私のために。
だけど、ニヒル牛に作品を持ってくるヘンリーダガーなんて、いるはずが無い。
ところが。
円盤の田口さんが、最近ニヒル牛に納品してくれている作品。
それは、私がずっと見たかった、どこかのヘンリーダガーの作品達です。
前回納品の『創作』は、古本屋のワゴンで叩き売りされていた誰かの日記。
そして、今回はCD。
田口さんがレコーディングスタジオで働いてた時に、飛び込みでやってきて、これを残して消えたどこかの人。
田口さん不在の時だったから、田口さんさえ会った事が無い人。
伝え聞きで「最近親戚が、自転車のチューブを毎日短くしていくのが悩み」とおっしゃっていたと。
ジャケットを見ると演歌だけど、これは一体なんなのか・・。
視聴して途方にくれました。
すげえ。
絶対に演歌じゃない。昭和歌謡?いや・・。
アヴァンギャルドで狂気に満ちた傑作です。
もう一つはSF本。
こちらは作者は分かっています。
85歳の蓬転生という方。
田口さんの知り合いの印刷所に持ち込まれた同人誌です。
生活保護を受けてどや街に住んでいると、本人があとがきに書かれていました。
こちらは、ぱらぱらっと読んで、その難解さに、まだ読み始める勇気は持てていません。
だけど『日本庶民が失った伝統の再生を願って千年先の庶民に送るSF』
・・ちゃんと読もうと思います。
もちろん大事なのは、それがどこかの誰とも知れないアウトサイダーが作った物という事ではありません。
その作品が、誰かの気持ちを揺さぶる力を持っているという事です。
田口さんが形にしているのは、そういう作品だけです。
ニヒル牛、17年たって『非現実の王国』がこんな風に置かれるとは・・。
ニヒル牛の片隅に・・。私は、ずっと願っていました。
誰かの『非現実の王国』をのぞき見るのは傲慢かも知れない。
だけど結局、私も私の『非現実の王国』の中で生きています。
あの雲はずっとずっと、不安に闇を抱えてあります。
私は不安も闇も、ニヒル牛にあって欲しいのです。
以前にも書いた事があるのですが。
24年前、ヘンリーダガー作品を見た事は、私がニヒル牛を作る大きなきっかけとなりました。
今は、アールブリュットと言えば名前が上がるヘンリーダガー。
60年もの間、誰にも見せず、1人でイラスト入り大長編小説を書き続けた人物です。
その小説のタイトルは『非現実の王国』
スイスのアールブリュット美術館を訪れたのは1993年、だんなの両親との家族旅行でした。
美術館の一部屋を使った企画展が、ヘンリーダガー展だったのです。
部屋に入り、絵の前に立ち、本当に身体が震えてきたのを覚えています。
こんな風に、自分の奥深くまで突き刺さる作品が存在するんだと。
眼を離せなかったのは、暗い雲から逃げていく少女達の絵。
私はこの雲を知っている。
ベージュの空に広がってく重い灰色の雲。
今にも激しい雨を降らそうとしているこの不安に満ちた雲は、自身の中にずっとある雲だ。
私を飲み込もうとする、いつもそこにある闇だと。
辛く痛く、そして感動して離れられず、義理の両親を数時間待たせてしまいました。
ニヒル牛、実は最初の店名候補は『ヘンリー』でした。
私は、ニヒル牛の箱の片隅に、どこかのヘンリーダガーも作品を置ければいいと思っていたのです。
それが難しい事だとは分かっています。
ヘンリーダガーだって、大量に発見されてしまった作品を、誰にも見せたいとは思っていなかった。
死の直前、すべて捨ててくれと言ったのは、本心だったに違い無いです。
『残虐な描写で殺される少女達は、なぜかみんなペニスを持っている。
それはヘンリーが実際の異性の裸を見た事がないからだ』
死んだ後にそんな風に語られるのは、どれほど鬱陶しい事だろう。
だけど私は、それでもあの作品を見られてよかった。
身勝手な話ですが、ヘンリーダガーの作品が、そのまま大量のゴミにならなかった事を、本当によかったと思ってしまうのです。
それは私のために。
だけど、ニヒル牛に作品を持ってくるヘンリーダガーなんて、いるはずが無い。
ところが。
円盤の田口さんが、最近ニヒル牛に納品してくれている作品。
それは、私がずっと見たかった、どこかのヘンリーダガーの作品達です。
前回納品の『創作』は、古本屋のワゴンで叩き売りされていた誰かの日記。
そして、今回はCD。
田口さんがレコーディングスタジオで働いてた時に、飛び込みでやってきて、これを残して消えたどこかの人。
田口さん不在の時だったから、田口さんさえ会った事が無い人。
伝え聞きで「最近親戚が、自転車のチューブを毎日短くしていくのが悩み」とおっしゃっていたと。
ジャケットを見ると演歌だけど、これは一体なんなのか・・。
視聴して途方にくれました。
すげえ。
絶対に演歌じゃない。昭和歌謡?いや・・。
アヴァンギャルドで狂気に満ちた傑作です。
もう一つはSF本。
こちらは作者は分かっています。
85歳の蓬転生という方。
田口さんの知り合いの印刷所に持ち込まれた同人誌です。
生活保護を受けてどや街に住んでいると、本人があとがきに書かれていました。
こちらは、ぱらぱらっと読んで、その難解さに、まだ読み始める勇気は持てていません。
だけど『日本庶民が失った伝統の再生を願って千年先の庶民に送るSF』
・・ちゃんと読もうと思います。
もちろん大事なのは、それがどこかの誰とも知れないアウトサイダーが作った物という事ではありません。
その作品が、誰かの気持ちを揺さぶる力を持っているという事です。
田口さんが形にしているのは、そういう作品だけです。
ニヒル牛、17年たって『非現実の王国』がこんな風に置かれるとは・・。
ニヒル牛の片隅に・・。私は、ずっと願っていました。
誰かの『非現実の王国』をのぞき見るのは傲慢かも知れない。
だけど結局、私も私の『非現実の王国』の中で生きています。
あの雲はずっとずっと、不安に闇を抱えてあります。
私は不安も闇も、ニヒル牛にあって欲しいのです。