そんなに美しくは無いと思う。
容姿どうこうより、その生き様も。
せせこましいし、ずるい所もおおいにある。
自分で言うように、手先のままに不器用なのか。
それとも、新しく生きていく道を探して行けるのは器用だからなのか。
天才か凡人か。
善人か悪人か。
多分、その全てが混ざって、石川浩司なのだと思う。
今更避けても仕方ないので、言ってしまえば、私の夫である。
ニヒル牛は元々は、石川浩司の頭の隅にあったアイデアから生まれた。
彼がたいして思い入れを持っていなかったそれが、私には大切な宝物に思えた。
あ、これは言わせてもらうが。
もちろん、種を植えたのも水をあげたのも、育てたのは全てスタッフと私で石川は関係ない。
石川はアイデアを生んだだけ。ここは大事。
そんなニヒル牛で、私は一人の若い子が言うのを聞いた事がある。
「石川さんは光なんです」と。
そうか、光なのか・・。
生きづらそうな彼女にとってそうなのなら、石川は最後まで石川浩司でいなければならない。
光でいなければ、ならない。
不格好に傷だらけで、おおいに見苦しい時だってあって。
そんないびつな光でも、それは間違いなく光なのだ。
「石川浩司のひとりでアッハッハー展」1/30まで。