2015年、私は生誕五十周年を迎えた(そんなことは、どうでもいい)。
その年の暮れ、「スターウォーズ」の新作「エピソード7・フォースの覚醒」が製作、公開され大きな話題をさらった(のは、みなさんご承知の通りです)。
スターウォーズ第一作が日本に初上陸したとき(1978年夏)、私は中学二年生だった。
二作目公開時は高校一年生、三作目は大学受験に失敗して浪人中。
いずれの折も、映画館に馳せ参じ、手に汗を握り、興奮で喉をからからにさせながら、スペースファンタジーの世界に酔い痴れた。
世にいう「スターウォーズ直撃世代」の私にとって、今回この新作を観に行かないという選択肢は、元より存在しないのであった。
チャップリンや寅さんや西部劇に始まった少年期における私の映画遍歴は、スターウォーズを以って、ひとつの頂点に達した感がある。
十代半ばから後半にかけて、感受性が最も豊かで、理屈なしに「映画を面白い」と思える年令を私はスターウォーズと共に送っていたようだ。
「君は良い時代に生まれて、それなりに豊かな人生を生きてきたんだよ」
私が通ってきた来し方が満更でもなかったことを、一連のサーガが力強く肯定してくれているような気がする。
○
そんな私も、1990年代後半に製作された四~六作目に関しては、完全にスターウォーズ離れに陥っていた。
映画館へ足を向けなかったばかりか、テレビ放映に際しても、ろくにストーリーを追うことさえしなかった。
最先端の映像技術を駆使しながら、ちょっと不器用な手触りの残るアナログの味わいを大事に保存する。
それが、私にとってのスターウォーズの魅力だった。
ところが、元々マペットとして登場していたヨーダが、四作目以降はフルCGで処理されている。
監督は、本家本元のジョージ・ルーカス。
ルーカス氏を尊敬する気持ちに今も昔も変わりはないけれど、「こんなのはスターウォーズじゃないやい…」やや鼻白んでしまうような気分を、少なからず感じていた。
その後、ルーカス・フィルムは、スターウォーズの製作に関する権利を一切合財ディズニープロに売却。
その影響がどれくらい濃く関わっているのか、興業や宣伝に無知な私にはよくわからないが、このたび公開される新作については、四~六作目のときと世界中の空気の盛り上がり方がまったく異なっているようだ。
映画の公開そのものが歴史の一頁を刻む大イベントになるような作品に、残りの人生で再び巡り合える可能性は、それほど大きくないように思う。
十年の空白を経て、老熟期を迎えた私の映画観が「この作品だけは見逃してはならない」と、落ち着きなく私の心にオーダーしてくるのであった。
行くと決めたからには、早い方がいい。ザ・スーナー、ザ・ベターである。
ちょうど旭川へ出かける用事ができたので、公開三日目の日曜日、パワーズ永山のシネマコンプレックスで13時上映の回を観賞するプランを立てた。
○
「さあ、明日はスターウォーズを観に行くぞ」
そう決めた前日夜から、筋肉が硬張るような緊張が私を捉えた。
そして、よく眠れないまま朝を迎えるに至った。
○
クリスマス直前の日曜日だけあって、デパートへ向かう買い物の車で、国道四十号線は渋滞を呈していた。
少し遅れたものの、9時30分にシネマコンプレックスに到着。ここまでは、ほぼ予定通りだ。
まず、13時上映の座席を確保するため、受付カウンターを目指す。
ロビーは人で埋まり(ずいぶん親子連れの姿が目立つなあ…)、ここにも渋滞が発生していた。
さすがは人気のスターウォーズ。
この熱気の中で、世界の注目を集めている映画を観られることが嬉しい。
迷うことなく、列に加わる。
目の前に行列を作っている人々はみな、直後の10時上映分のチケットを手に入れようとしているのであろうから、私の座席確保には何の支障もないだろう。
ハハハ、備えあれば憂いなし。私の回の上映までは、まだたっぷり三時間半の余裕がある。
逆に私の胸の中で、毒蛇が鎌首をもたげるように、ひとつの不安が湧き上がる。
「もしかして私は、早く来すぎたのではないだろうか?」
「恐れ入ります、お客様。13時上映分のチケット受付は10時の回の上映開始以降になります。暫くここでお待ち頂くか、もしくは、後ほど改めてお出かけ直し頂くかお願いすることになるのですが」
冷たくあしらわれでもしたら、どうしよう…?
シネコンに不慣れな(そして、デジタル社会への対応を当にあきらめているような)二十世紀型映画少年には、細かいルールがよくわからない。
それは困るのである。
私には、このあとすぐ車を運転して市の中心部を目指し、旭川駅近くで足さなければならない用事が控えている。
ここで暫く待つことなどできないし、再びシネコンに戻って来るのは上映時間間際である。
私は今すぐ、座席を確保しなければならないのだ!
でも、そんなのは要らない心配でした。
順番が回ってきたので、私は事前購入していた前売り券を提示した。
「13時の回の座席をお願いします。」
「13時のスターウォーズですね? 少々、お待ちください」
カウンターの受付嬢は爽やかなふたつ返事で、手際よく発券に応じてくれたのであった。
○
三件の用事を消化し、パスタで軽めの昼食を済ませ、12時30分頃永山パワーズに戻った。
ロビーで待つほどもなく、入場の案内が始まる。
早速、入場する。
「あれ…?」意外に思った。
館内の照明が落ちて、広告映像がスクリーンに映し出されるようになっても、あまり席が埋まらない。
客の入りは半分か、あるいはそれ以下か。
では、私が9時すぎに見た、ロビーの人だかりはいったい何だったのか?
後に判明したことであるが、その時間帯ロビーにたむろしていた人々のほとんどは「妖怪ウォッチ」のお客さんであったらしい。
道理で、親子連れの姿が目立ったのも肯ける。
スターウォーズ熱はまだ、列島末端旭川まで、十分な波及を果たしていないのか。
○
長々続いた近日公開作の予告が終わり、ようやく「スターウォーズ・フォースの覚醒」本編の上映が始まる。
フルオーケストラの奏でる重厚で華やかなテーマ曲が耳を撃ち、広げた紙巻物が引き上げられていくように、スクリーン手前から奥へと(もしくは、銀河の遥か彼方に向かって)解説の字幕が流れ去っていく。
慄えました。哭きました。
今回、私だけでなく世界中多くのファンが、この約束されたオープニングに涙を流す目的で「スターウォーズ」を観に行ったのではないでしょうか。
「うん。何年経とうが、スターウォーズはスターウォーズだ」そして、私は私だ。
アイデンティティの確認と、そのことによってもたらされる深い安堵の感覚。
それこそ、スターウォーズを観る主要なテーマであると、私はここに断言したい。
初期の作品では、敵味方双方の戦闘員の身のこなしに、ちょっと緊張感の足りないところがあって、そのゆるい感じが得も言えぬ味わいを醸し出していた。
それも、今は昔。
今作で、手を抜いた動きをしているようなストームトルーパーは一人もいない(が、そのことにやや寂しい気がしないでもない)。
性懲りもなくハン・ソロが借金を踏み倒して、債権者の雇った賞金稼ぎに追われているのがいい(事前の情報の流入を一切カットし、映画の内容を全く知らなかった私は、H.フォードの出演! にたいそう驚いた)。
オンボロだのポンコツだの、悪口を叩かれながら、ミレニアム・ファルコン号がバリバリ現役の姿で飛び回る絵は、殊のほか嬉しかった。
新登場のドロイドBB8が、ダルマのような体躯で、砂漠の上を泡を喰って逃げ回る様子が愛らしい。
フォースの暗黒面のイコンとして登場するカイロ・レンは、なかなか悪い奴になりきれず、司令官としてもまだまだ未熟で、部下の失態の報告を受けると怒っちゃってライトセーバーを振り回し、精密な計器類を滅茶苦茶に壊してしまう。
今後、続編では彼の成長と変貌の様子が、物語を支える柱になるのだろう。
Xウィング・スターファイターとTIEファイターの対決。
エースパイロットの操縦する両軍戦闘機が、空中で激しくバトルを展開する。
スリルとスピード感が圧倒的であることは言うまでもない。
まるで、動体視力を鍛えるテストかトレーニングを受けているみたいだ。
もしこれを3D画面で観ようものなら、その脅威的な迫力はいかほどのものになってしまうのか?
想像すると、空恐ろしい気がしてくる。
古くさい映画鑑賞眼しか持たない私には、3Dはドラッグのように思えてならない。
一度手を出したら後戻りが効かなくなってしまいそうで、今のところまだ(実は興味はあるのだけれど)、3Dの映画体験は回避している。
それに、3D効果がもたらすビジュアルインパクトの大きさは、作品の正当な評価の機会を奪ってしまうことになるのじゃないのかな?
ファルコン号の復権と並んで嬉しかったのは、ハン・ソロとレイア姫の恋愛が、物語の縦糸として脈々と受け継がれていたこと。
これって、「カサブランカ」の続編を35年後にH.ボガードとI.バーグマンの共演で映画化するようなものですから。
俳優さんたちが、みんな元気で良かったです。
英雄が対峙する場面では、暫く銃声が止む。
そして、決着のついたあと、再び銃撃戦が始まる。
その間合いも、絶妙でした。
過去に作られたシリーズ六作品のなかで最大の衝撃は、何といっても、二作目でダース・ベイダーがルークに「私はお前の父だ」と告げるシーンだろう。
突然の父親宣言に、ルークは激しく動揺する。
そのとき、映画館の座席の上で私(当時高校一年・16才)は、危うくアゴが外れそうになるくらい、もしかしたら当事者であるルーク本人よりも驚いたかもしれない。
第三作で明らかになる、ルークとレイア姫が兄妹だったという事実も、とても新鮮だった。
今作でも物語のクライマックスに、大胆な仕掛けが観客を待ち受けていましたね。
それは、観てのお楽しみ。
○
「スターウォーズを観て来たよ」そう人に話すとまず、必ず「面白かった?」と訊かれることになる。
しかし、その質問を受けて私は、いささか返事に困ってしまう。「ウ~ム…」。
とりあえず「面白かったョ」と答えておけば、場が丸く収まることはわかっているのだが、面白かった(あるいは、面白くなかった)という視座で、私はスターウォーズと向き合っていないようなのだ。
そもそも、正義の騎士たちが悪党どもと戦うディズニー映画なのだから、最後はどうなるか結果は見えている。
私とスターウォーズの関係性は、歌舞伎と歌舞伎ファンの距離感に相通ずるものがあるのではないかと推察する。
「勧進帳」を観に行く歌舞伎ファンの方々は、斬新なストーリーの飛躍に期待を寄せているのではないでしょう。
仕草の美しさや、型の荒々しさ、人間味豊かで爽やかな心の在り方…。
歌舞伎ファン同様、私もきっと、それらの要素をスターウォーズに求めているに違いない。
私の中でスターウォーズはいつしか、私的な伝統芸能として結晶化されてしまったようである。
○
「スターウォーズ・フォースの覚醒」を観終わって、最初に思ったのは「自分はまだまだ死ぬ訳にはいかないよなあ」ということ。
必ず生きて(そして、健康な体で)、是非とも最終話「エピソード9」まで見届けなければならない。
次の目標は、はっきりしている。
数年内に製作される次回作を、娘といっしょに観に行くことだ。
音響効果など強すぎる刺激を考慮して、今回は同伴を許さなかったが、その頃には娘も、私が初めてスターウォーズを体験した年齢に達していることになる。
スターウォーズが与えてくれた「新たなる希望」とともに、明日からも生きていこうと思う。
みなさんも、フォースと共にあらんことを。