ニコが小学校の高学年に上がったら、京都や奈良の寺社めぐり、仏像めぐりをしてみたいものだ。
ずうっと以前から、そう思っていた。
そしてこの春、ニコが六年生に進級するタイミングで、念願を叶える機会がやって来た。
時は三月末、ぼちぼち桜の開花時期。 旅程は四泊五日。
「五日間くらいなら、ちょうど良いんじゃない? 私は家でのの子と、まったりお留守番してるから」
大河ドラマは欠かさず視聴しているわりに、寺社めぐりには関心がうすい妻からも、快い承諾を取り付けた。
旭川発、名古屋着。 名古屋から新幹線で京都に乗り入れる。
行きの飛行機は午後の便。 帰りの飛行機は十二時半の便だから、午前中にセントレア空港到着が必須。
つまり、初日と最終日に関し、観光に充てる時間はない。
左右両端を切り落とすと、父娘に与えられる猶予は実質三日、七十二時間。
計画はコンパクトで整理の行き届いたものでなければならない。
行きたい寺、見たい仏像、訪れたい店、食したい名物…。
リサーチを重ねるにつれ、それらはどんどん増殖していく一方。
まいった、まいった。
泣く泣く、訪問箇所を最小限度に留めたプラン作りを目指すことにした。
〇
京都、奈良では仏様の尊顔を拝するにあたり、テーマを四つに絞り込んで訪ねる寺を選んでみた。
一、 千一体の仏像が雲霞のごとく群集する寺。
一、 慈悲深い微笑みをたたえた、もっとも美しい仏様のいらっしゃる寺。
一、 もっとも大きな仏様の鎮座する寺。
一、 もっとも人気のある仏様のおわす寺。
その他、古都観光に欠かせない名刹や神社をいくつか組み入れる。
テーマを絞り込むことにより、仏像や寺院のイメージが無秩序に混ざり合うことなく、娘の記憶の小部屋
に首尾よく収まることを父は願った。
〇
そして、完璧な計画が出来上がった。
と思いきや、「絶対、ミニマリズムに徹するのだ」という涙の誓いは、私の些細な気まぐれによって、
いとも容易く打ち破られることになった。
関西の地図を眺めているうちに、どうしても私は、伊勢神宮に足を伸ばしてみたくなったのだ。
二日目、三日目は京都観光。 四日目は京都から奈良、奈良から伊勢神宮へ移動を試みる。
そう公表したら、
「そんなん絶対無理やでぇ。 止めときぃ。 ニコちゃんが可哀そうやわ」
関西の知人の多くは、声を揃えて反対した。
でも、行ってみたいんだよなあ伊勢神宮。
生まれてこのかた、一度も参拝したことがないし…。
この旅で思い切らなければ、世にいう「お伊勢参り」なるものを経験することなしに人生終わってしまいそうだしな…。
みんなが反対の声を上げるなか、ただ一人私を応援してくれる人が現れた。
妻の妹である。
「さすが、お義兄さん。ニコと伊勢神宮に行くなんて凄いっ! 私もいつか絶対行きたいと思っているんです。しっかり、見て来てください」
ありがとう。 ちゃんと分かってくれる人がいたんだ。
全方位逆風、四面楚歌の状況にあって、義妹の援軍は涙が出るほど(というのは大仰だが)嬉しかった。
「ほら、伊勢神宮ってあれですよね? 海の中に、赤い鳥居が立っているあの神社でしょ?」
えっ…。 思わず、私は絶句した。
伊勢神宮のロケーションは、海の中というよりむしろ、森の中である。
海の中の赤い鳥居? なんかそれって、違うんでないかい?
義妹よ。 君が言っているのは、恐らく厳島神社のことではないか。
厳島神社は広島県にある平家ゆかりの神社であって、伊勢神宮とは全く別物であるぞっ。
たった一日で、京都~奈良~広島…。
そんなの、絶対あり得ませんからっ!
〇
3月26日 日曜日。
14時50分旭川発、名古屋空港行き 全日空326便。
初めて座る窓側のシートに興奮を隠せず、ニコはずっとガラス窓に額を押し付けるような格好で、翼の下に広がる雲のじゅうたんに目を奪われている。
飛行機が安定姿勢に入り、キャビンアテンダントの柔らかな声で機内放送が流れる。
「本日は強い向かい風の為、当機の名古屋空港到着時刻は定刻より10分程度遅れ、16時55分になる
予定です。お急ぎのご乗客の皆さまには、大変ご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。
今後ともクルー一同、安全な飛行に務めてまいりますので…」
一瞬、自分の耳を疑いそうになった。
飛行機って、向かい風で遅れてしまうものなんだ。
なんだか、自転車通学の女子高生みたいですね。
乱気流や雷の影響を受けるというなら話はよく分かるけれど、ちょっと驚きました。
巨大な鉄の塊、空の支配者と思っていただけに、少し微笑ましい気分にもなった。
名古屋空港の天気は雨。
水しぶきを上げて、着陸滑走路に車輪が停止する。
雨に加えて、風が強い。それに寒い。北海道と全然変わらない。
日中は汗ばむくらいの陽気という話を聞いていたのに、一体これは何たることか。
結果、旅行中の五日間、末端冷え性の私は、関西地方を覆った想定外の寒の戻りに悩まされ続けることになってしまった。
〇
3月27日 月曜日、旅行二日目。
伏見稲荷大社(朱塗りの千本稲荷で有名)、清水寺(只今、平成の大修理真っ最中)、三十三間堂(横に
長いお堂に千一体の観音菩薩がどどどっと居並ぶ)、平安神宮(明治時代建立の平安京の巨大レプリカ)
などを見て回る。
3月28日 火曜日、旅行三日目。
天龍寺(嵐山を借景とした庭園が明媚な世界遺産)、竹林の小径、渡月橋、広隆寺(美しい弥勒菩薩像、
慈愛に満ちたアルカイックスマイルと四十年ぶりの再会)、北野天満宮(今年受験生の従姉の合格を祈
願)、鹿苑寺金閣(ここは注釈不要だな)を訪ねたあと、夕方から祇園周辺でお土産を買う。
この二日間に食べたものは、お好み焼き、タコ焼き、天とじ丼、親子丼、栗ういろう、あぶり餅、抹茶パフェ等々。
たいてい一人分だけ注文して、父娘でシェアするようにしたので、食事代はずいぶん安くあがった。
一人旅とは異なり、こうして道連れのいる旅行は、少しずつ品数を多く食べられるから良い。
市内の移動は、ほぼ百パーセント、市バスを利用した。
一日乗り放題のフリーパスがたったの五百円(しかも、子供はその半額である)。
バスの路線は、何十種もの系統が複雑に入り組んでいるが、乗り慣れてしまえば一日パスは非常に安価で便利。
訪れた寺院の中で、娘の感性をもっとも強く揺さぶったのは、やはり金閣寺だった。
さすが、日本政治史上屈指のリーダー足利義満公ですな。
それまで仏像を拝んでも、庭園を歩いても、
「お父やんがヨロコブから、ちょっと関心があるような素振りを示しておこうかしらん」的な態度でいた
ニコの表情が、金閣寺を目の前にしたその瞬間だけは明らかに違った。
照明灯のワット数を、一気に二倍に切り替えたくらいパッと輝くような笑顔になった。
「お父やん。こっ、これが本物の金色だったんだね…」しみじみ唸るような声でニコは言った。
「今までニコが見てたのと、全えーん然同じじゃない。これは、折り紙の金色とまるで違うわ」
〇
京都滞在中の三泊は、先輩のアパートに逗留させてもらった。
宿代が浮いたのは助かったけれど、先輩宅には火の気がなく、部屋の寒さにはほとほと参った。
五度を下回る外気と、室内温度にほとんど差がないというのは、末端冷え性の私に何ともつらい環境であった。
「窓でも開いているのかな?」と思い、立ち上がって確認してみたが、しっかりロックが掛かっているの
を見て、愕然とするほどだった。
一方、若さ溌溂のニコは、この状況にタフに適応していた。
その三日間、父娘連れ立ち、カタカタ石けんを鳴らしながら、歩いて十五分の距離にある銭湯に通った。
そして、昔のフォークソングで歌われるように、洗い髪が芯まで冷える寒さにぶるぶる震えた。
ひと組の手袋、一枚の上着さえあれば、このような目に遭わずに済んだものを…。
ジャケットも手袋も、北海道を発つとき、ご丁寧にも空港駐車場に止めた車の中に置いてきてしまっていた。
痛恨のミスである。
先輩のアパートのそばには、神田川ではなく賀茂川が、ゆるゆると流れていた。
〇
3月29日 水曜日、旅行四日目。
この日の朝が旅の最大の山場になることは、初めから覚悟していた。
早朝に京都を出て、午前中、奈良を観光し、昼過ぎに伊勢へ入る。
弾丸計画を消化するためには、先輩宅から徒歩二十分、最寄りの北大路駅5時56分発の地下鉄に乗車しなければならない。
北大路駅5時56分発の地下鉄に乗るためには、アドバンテージを見込んで、5時15分頃に先輩宅をチェックアウトしなければならない。
5時15分頃に先輩宅をチェックアウトするためには、4時45分頃に起きなければならない。
私はそれで良いが(自業自得)、問題はニコである。
彼女は、父親に押し付けられた無理難題をクリア出来るのか?
結果は、「案ずるより産むがやすし」でした。
その朝、掛け布団の上から手をかけ、軽く肩を揺すっただけで、ニコは素直に目を覚ましてくれたのである。
旅の疲れ、部屋の寒さ。
二重苦にめげる様子もなく、もぞもぞと布団から這い出し、黙々と服を着替え、5時過ぎには出発の支度を抜かりなく整えてくれた。
どうか皆さん、この健気なうちの娘を誉めてやってください。
感謝の言葉を記したメモを残し、眠っている先輩を起こさないよう、そっとアパートの外へ出る。
夜明けには、まだ早い。
荷物の大半を私が担ぎ、下町を抜け、一路、地下鉄の駅を目指す。
古都の空に煌めく星は、心なしか雅な光を帯びているように見えた。
次の通りで、かぐや姫とすれ違ったとしても、その時の私ならば、少しもふしぎに思わなかったかもしれない。
空気は肌を刺すくらい冷たかったけれど、二人は余裕綽々、意気揚々と歩を進めた。
しかし、余裕は慢心を生み、慢心は油断へと姿を変えていることに、私はまだ気づいていなかった。
「お父やん。ちょっと、来すぎたんじゃない?」
立ち止まったニコが、振り返って言った。
そのとき私は、本来西へ折れるべき曲がり角を遥かに通り越し、自分たちの現在位置を完全に見失ってし
まっていることを自覚し、激しく狼狽した。
「やっ、やべ~えっ」
唯一明かりの灯っていた新聞販売店に駈け込んで、駅までのおおよその行き方を教わり、広い通りに出て
からもう一度、コンビニのカウンターにいたお兄さんに道を尋ね直し、「まだか、まだなのか?」やっと
の思いで北大路駅にたどり着いたときには、アドバンテージの時間をすべて使い果たしていた。
下り階段の最後の一段を降り切って、ホームに行き着いたまさにそのとき、シルバーの車輛が風を起こし
て、私たちの目の前に滑り込んできた。
ぎりぎり、セーフ。
一旦地下鉄で京都駅に出てから、近鉄の急行列車に乗り換え、奈良へ向かった。
人心地着いたところで、地図を開いた。
先輩宅を出たあと、大きく南へ行き過ぎ、慌てて北東の方角へ軌道修正していたことが改めて分かった。
つまり私たちは、片仮名の「レ」の字をなぞるように目的地まで、相当無駄な遠回りしていたということ
になる。
こうして、予定の列車を捕まえられたことが、小さな奇跡であるかのように思えてきた。
隣からニコが話しかけてきた。
「さっき会ったセブンイレブンの男の人さぁ、なんか星野源君に似ていたよね?」
さあ、どうであったか。あまりにも慌てていたので、親切に道を教えてくれた彼の顔が、よく思い出せない。
「星野源? そういえば、そんな感じだったかもな…」
そのとき私は、ふと心に浮かんだことを口にした。
「新聞屋のオジサンにしても、セブンの星野源君にしても、お父やんとニコが困ってるのを見かねて、
菩薩さまが姿を変えて助けに来てくれたんだよ、きっと」
〇
7時07分、近鉄奈良駅着。
駅近くのアーケード街にあったサンマルクカフェに入り、カフェラテとココアを飲んで暖を取ってから、
東大寺で奈良の大仏様と二月堂、興福寺で阿修羅像を拝観。
奈良公園にて鹿に煎餅を与える(150円)。
鹿煎餅は、出発前からニコがもっとも楽しみにしていたイベントのひとつ。
ニコの頭の中には、子ヤギと戯れるハイジのような親密なイメージが出来ていたと思われるが、現実はア
ニメのように素敵に展開するという訳にいかなかった。
屋台のオバサンから煎餅を買うやいなや、哀れな我が娘は、カツアゲに来た不良グループのように周りを
ぐるりと五、六頭の鹿に取り囲まれ、ほとんど力ずくで煎餅を奪われそうになるわ、上着の袖を甘噛みさ
れるわ、リュックの紐を食いちぎられそうになるわ、濡れた鼻先でお尻をツンツンつつかれるわ…、
散々な目に遭い「もういい、もういい」と半べそをかきながら、煎餅を手に逃げ回る羽目になってしまった。
〇
奈良滞在は四時間で終了。
11時16分発のJRで(途中、桜井駅で近鉄急行に乗り換え)、伊勢市を目指す。
田圃やら、背の低い山やら、のどかな田園風景を車窓に眺めなら県境を越える。
13時36分、伊勢市駅に到着。
妻がネット予約してくれた、駅すぐそばのビジネスタイプのホテルへ行く。
まだ時間前ということでチェックインは出来ず、荷物だけ預かってもらい早速、外宮(げくう)へ参拝に向かう(徒歩10分)。
本来、伊勢神宮とは大小百二十五ものお社から成る一大聖地の総称であるらしいが、私のような「お伊勢
さん初心者」の場合、広大な敷地面積と高い格式を備えた外宮と内宮(ないくう)のふたつを巡るのが、
ほどよい按配とされるようだ。
外宮と内宮は五Km離れていて、定期的にシャトルバスが走っている。
参拝の順序にも決まりがあって、先に外宮を参ってから、内宮を訪れるのが正式な手順とされるらしい。
まずは腹ごしらえという事情もあって、私とニコは外宮正面大鳥居の前で一礼だけ済ませ、シャトルバス
に乗って、「おはらい町・おかげ横丁」という名の、内宮の門前町へ向かった。
〇
おはらい町には、江戸の昔を彷彿させる瓦屋根の料理屋やみやげもの屋が、ずらりと軒を連ねている。
往来はあふれるほどの参拝客で賑わい、たいそうな活気に満ちている。
しかしニコは疲労の蓄積と空腹、今朝からの強行軍が祟って、とうとうここで電池切れ。
戸外に設えた茶屋の椅子席に腰掛けたまま、動けなくなってしまった。
ここからは、私の独擅場だった。
私は横町を駆け回り、巣で待つヒナに餌を運ぶ親鳥のように、食料を買い集めてはせっせとニコに届けた。
福まん(松阪牛の肉まん。客の目の前で白い湯気を立てて次から次へ蒸しあげられていく)、コロッケ
(さくさく)、おからドーナツ(これも、さくさく)、伊勢うどん(白い麺に濃口醤油の出汁、小口の刻
み葱がトッピングされているお伊勢参りの伝統的ファストフード)を、仲良く分け合った。
最後に、やわらかく粘っぱる出来立て赤福の旨さに感動のため息をつく頃には、暫定的充電も完了。
「よし、行くぞ」
ニコは笑顔で立ち上がり、また元気に歩き出した。
〇
私たちが内宮を訪れる頃には、ぼちぼち日も西に傾き、時刻は四時になろうとしていた。
正面の大鳥居をくぐり、俗世との結界線である宇治橋を渡る。
聖域に身を置いた途端、空気の透明度が一段階、増したように感じた。
目に映るものすべて美しかったが、樹齢五百年に及ぶという杉木立の凛とした気配に、私はもっとも心を動かされていた。
参拝客の流れに乗って、歩を進めていく。
穢れが洗い流されていく感覚、「六根清浄」という四文字熟語が脳裡に浮かぶ。
「『ろっこんしょうじょう』っていう言葉の意味、分かるかい?」私はニコに訊ねた。
「うん、わかるよ」しれっと、ニコが即答する。
何んだって? 分かるわけないだろ。嘘を言うんじゃありません。
知らないことは知らないと言える、素直な娘に育ってほしいと、常々父は思っているのです。
「じゃあ、どういう意味よ?」
「キレイになるってことでしょ」
ん、まあ、確かに。キレイになるってことだけれど…。
「何が?」
「こころとか、体とか」
わ、分かってんじゃん…。
「知ってたの?」
うううんと、ニコは首を横に振る。
「聞いたことあったの?」
うううんと、ニコはまた首を横に振る。
「じゃあ、なんで分かったの?」
「なんとなく、そんな気がしたから」
なんとなく、そんな気がした? ええ! もしかして、うちの娘は天才?
凄いことを発見してしまいましたよ、天照大御神さま。
尚、さらにしばらく、凡父と神童は玉砂利を踏み、柏手を打ち、神殿に頭を下げ、木の幹に手のひらを押
し当て、ゆるりと内宮をめぐった。
参拝を終える頃には、うすい藍色が聖域の夕空を静かに染め上げていた。
〇
3月30日 木曜日、最終日。
私たちが泊まったホテルは、伊勢市駅にほど近く、価格は手頃で、小振りながら浴場は温泉で、朝はひと
り五百円でバイキングが食べれて…、実に申し分のない宿だった。
この日も私は早々にに起き出すと、泥のように眠るニコをホテルの部屋に残し、参拝開始時刻である
朝五時に合わせて外宮を参った。
まだ夜が明ける前の鬱蒼と暗い境内を、上下ジャージ姿の地元のウォーキングおじさん、私のような個人
旅行客、足元を懐中電灯で照らし、添乗員の説明を聞きながら進むツアーの人々らが訪れていた。
ピンと張り詰めた神聖な空気。厳粛で興味深い光景が、目の前に広がっていた。
旅も最終局面というのに、ここでも私は、またひとつミスを犯してしまった。
写真撮影などに気を取られて、うっかり境内にガイドブックを置き忘れたまま、ホテルに戻ってしまたのだ。
朝食後、そのことに気が付き、慌てて外宮へひとっ走り。
ガイドブックは、人に攫われることもなく、心当たりの場所で私を待ってくれていたものの、三十分近く
ロスタイムが発生。
そのせいで予定の列車に一本乗り遅れ、想定外の追加料金を払って、特急で名古屋へ向かうことになってしまった。
追加の特急料金 > ガイドブックの値段。
しかも、その差額510円也。
うーん…、ビミョウだ。外宮へ走った私の判断は、正しかったのだろうか?
それとも、ガイドブックは諦めて、予定の列車に乗るべきだったのだろうか?
みなさんは、どう思われますか。
そうは言っても、初めて体験する特急列車の旅は満足のいく、なかなか快適なものであった。
用意された指定席、緋色のふかふかシート、大幅な時間の短縮。
ちょっと贅沢な特急料金は、こういう形で乗客にフィードバックされるのである。
〇
以上が、今回の旅のあらましです。
そのあと、名古屋空港でお土産を買って、父と娘は14時15分に旭川空港に到着しました。
我が朝日町に戻って最初にしたのは、やはり、朝日神社へのお参り。
「帰って来ました」安着を報告し、旅行中、留守番チームが平穏な暮らしを送れたことへ謝意を伝えた。
ここは常住の神主さんも居ない閑寂な神社だけれど、私たちにとって、もっとも重要な聖地なのである。
最後に一言。
この文章を読まれたなかに、京都への旅行を計画されている方がいらっしゃいましたら、是非、伊勢神宮
もプランにお加えください。
朝の五時に宿を発てば、一日で奈良の大仏さん、阿修羅像、伊勢神宮をたっぷり見て回れますよ。
あともうひとつ、旅をするときの大切な注意事項をお教えしましょう。
向かい風の強い日にヒコーキに乗るときは、到着時刻が遅れることがありますのでお気を付けください。
くれぐれも、時間に余裕を持った行動を、おススメします。